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夢とその後。

初投稿ノート、思ったよりもたくさんの方に見ていただけて嬉しかったです。ありがとうございました。あの話のその後、の話をしたいと思います。
私は、生活を上手く回せなくなっていきました。声の仕事以外に並行してやりたいこと、みたいもの、全部やろうとしていたのも問題であったかもしれません。表舞台に立つような機会も頂いていたりしたので、キャパオーバーという言葉がピッタリのような気もします。9~10月の間、高熱と呼ぶ熱を数回繰り返しました。これまでタフで、体力で、どうにか全てを回すことが出来てしまっていたのに、体からのSOSが出ていたのでしょう。あぁ、インフルエンザだなとかコロナかなとか、考えて病院に行っても陰性。謎の高熱が続くも病気ではない。という日々でした。そしてこの時期に、愛犬を亡くしました。生まれてからずっと一緒にいた愛犬がいない生活というのはどうにも彩りが感じられなくて、眠れば愛犬と最期にすごした日は遠くなり、起きれば愛犬が居ないことを目の当たりにする日々に、生活を営んでいくことが困難になっていきました。養成所までの道筋で呼吸が出来なくなったり、今まで人生で出たことがない鼻血がダラダラと溢れて止まらなくなったり、それでも行かねばと涙を拭いながら養成所に行くもそんな精神状態で上手くいくはずもなく、「ちゃんとやって来てる?」なんて言われたりなんかもして、もう全部がぐちゃぐちゃでした。ここでグッと踏ん張れれば良かったのかもしれません。夢を叶える人はここでグッと耐えられる人なのだろうな、とかも考えました。でも、もう今は夢を見ていられない、自分を守らないと、このままだと私は夢に溺れて身を投げてしまうと感じ、養成所を辞める決断をしました。私をここまで追い込んだ大元の原因である講師に出くわしてしまい、辞めると伝えた時「頑張っていたのにねぇ」と言われ、貴女がもっと、もっと早くその言葉をくれていたら私は辞めずに済んだかもしれないのにと、悔しくて悲しくて、やりきれなかった自分が不甲斐なくて唇を噛みました。そこから今までは何となくで生きています。辞めてから心の枷が外れたみたいに、生きています。でも、退屈で、代わり映えしなくて、楽しくは無いです。離れてみて、やっぱりやりたいことがそれ以外にないと気がついてしまって、また泣きました。だからまた、スタートできるところを探しています。心はだいぶ、どうにか建て直してきたところなので、どうにかなるように頑張っています。人生で初めての挫折。悔しくてたまらないけど、必要なことなのだと思いました。
弱いだけ、と言われればそれまでです。私が続けられればよかったのに、弱いからやめた。それ以上でも以下でもないですが、弱い自分に気がつくことが出来て自分を守れたということは誇らなければならないというふうにも感じます。ただ、面白く生きていたい。死ぬまで面白く、あの人は面白い人だったと言われたい。私の声を、声だけでいいから遺したい。そんな日を夢みて、また生きていきます。、

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