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天国の感触に辿り着きたいならば

『奇跡講座』学習者のSakieです。

画像は、2018年にカリフォルニア州にあったFACIMにて、ネバダ州への移転前に行われたラストレッスンを受講する為、当時、共に『奇跡講座』を学んでいた仲間たちと一緒に、ローズマリー先生や、FACIMで学んでる現地の生徒の方と写っているものです。

この頃の私は、FACIMに通えば一流の生徒になれる!すぐに『奇跡講座』を習得出来る!私なら出来る!と、本当に、おのぼりさんだったなぁ!可愛いやつめ!と眺めると同時に、ローズマリー先生やグロリア先生に会って、とても緊張したこと、そんな私を優しく受け入れてくれた先生方や、生徒の皆さんを、とても懐かしく思います。

当時、私は『奇跡講座』を自己啓発か願望実現の為のものだと誤解釈していました。

さて、それに気づき、真に『奇跡講座』が導こうとしているゴールに対し、私はそれをゴールとすると決めた私は『奇跡講座』のファシリテートをするものとしては、新参者である部類であることは、自明であり、神の教師としての資質を身につけていく入り口にも立ったばかりの者だと思います。

では、本題に入ると、

はたして『奇跡講座』学習者は、『奇跡講座』学習を通して真理の探究をしている者は、

天国の感触に触れると覚悟を決めた時、内的な作業として、何をしていくのか?

言い換えれば、「赦しの実践」とは何なのか?

ということを明確にしておくことは、

「やってるつもり」を脱する為に

とても重要です。

『奇跡講座』を学び始める前から実際には否認していただけであり、世界へと投影し続けてきた、今までは放置していた、内側にずっとあった、怒りや恐れや罪悪感、劣等感や虚無感、無力感をきっかけにして、[赦しの実践]をするのか?気休めや気晴らしで紛らわしていくのか?それは、自由なのですが、何を犠牲にしているか?を、テキストの学習を通して、理論的な知的理解でどんどんわかっていくと、[赦しの実践]が先でしょ!となります。

『奇跡講座』を学ぶまでは、原因のレベルにおいて、自我の思考体系を自らが選び、自ら採用した時に(自ら望んで)感じている、結果としての怒りや恐れや罪悪感、劣等感や虚無感、無力感であるという認識は、全くないことがほとんどです。言い換えれば、この世界が怒りや恐れや罪悪感、劣等感や虚無感、無力感を私に感じさせている!私は被害者であるという状態です。

ですが、ひとたび「自我との同一化」に気づき、「真の知覚への知覚の訂正」「自我の思考体系で考えていること、思っていることを、聖霊と共に直視していくプロセス」「聖霊の心眼で[咎めがない][裁きがない]全ては虚偽であると知っているところから“looking”していくこと」を、コツコツと淡々と続けていこうとするならば、世界に対する見方、世界の使い方、世界を真に(一時的に)有意義に使い出します。

ここまでの解説で、何かを感じた方、今までの実践は、もしかしたら、間違っていたのかもしれない、もしくは、自分の見方は、間違っているのかもしれない、

聖霊の心眼というもので見るというところまで辿り着く、その境地を見てみたい!体験してみたい!垣間見るだけでもいいから、一度、そこに行ってみたいという方はいらっしゃいませんか?

私の提供する「個人セッション」では、「looking」するためのひとつの手法として、下記のような問いかけをさせていただく場合があります。

癒しにテクニックやスキルは通用しませんが、良かったら、参考までに、読んでみてください。

(霊性の道における学びのプロセスにも段階がありますので、今のところ、セラピーの核心に迫る部分は有料記事としています)

セラピスト「今日はどうされましたか?」

患者「目標を失って、生きている意味がない、僕なんか、消えた方がましだ、と感じるんです」

セラピスト「目的地を見失っているから、どこに向かっていけばいいのか?動きがとれなくなったのね。それは、実は、いい傾向ですよ。安心していてね。ところで、目標が無いこと、それ自体は、悪くないと思うのだけど、どうかしら?」

患者「何をしていても、死ぬ為に生きているような、時間の浪費だけをしているような、そんな気分なんです」

セラピスト「自己のアイデンティティを失ってしまうことを恐れているのね?」

患者「はい。自分が自分じゃなくなっていく感覚が恐い、、、」

「この世界でいうところの成功はしたいんだけど、しかも、見えてきているんだけど、果たして、そうなった時に、成功したら、傲慢になって、天狗になって、大切な人達が誰かわからなくなっちゃったり、自分を見失っちゃうんじゃないかって、凄く、こわいんです」

セラピスト「そうなのね、、、。自分にとっての大切なものや人がわからなくなってしまったり、自分というものを、自分らしさとでもいうのかしら?それを見失うことが、こわいのね?」

患者「うん。とても、こわいんです」

「今までだって、誰よりも努力して、人が遊んでる間も仕事して、築き上げてきたポジションや、僕なりのフィロソフィーがあるんです」

「僕なりの正解や正義、ルールがあるんだ」

「今までだって、コツコツと努力をしてきていて、理解者や応援者はいたし、その人達をこれからも大切にしたいし、これからも、なんだったら、その人達への恩返しになるなら、って思っているくらいなんです!」

セラピスト「そうなのね、、、。素晴らしい想いですね。今、現時点で、何か、変化が起こりそうなことが不安で、今、現時点では、困っているわけでもなく、経済的にも、精神的にも、特に、今も、不満ではないのでしょう?むしろ、努力した結果、前よりは、よくなっているのよね?」

「でも、あなたの理想や、あなたの描いていた幸せ観とは、違っていたのかな?それとも、まだ、達成していないけれど、いよいよゴールが見えてきたと思ったら、感謝出来なかったり、今まで応援してくれた方々に不義になるんじゃないか?って、罪悪感があるってことかしら?」

患者「はい。最初の目標設定が現実的な数字じゃなかっただけで、何歳までに、年収いくらとか、貯金がいくらとか、独立したいとか、明確な数字としての目標が細かく、あって、それには未達なんですが、それが、悔しくて、、、でも、ですね!同年代の他の人達より、チャレンジもしてきたし、人と比べなければ、実は、良い線いってる気もしています」

「ただ、理想が高い自分がいて、理想になったらなったで、人が変わっちゃうんじゃないか?人でなしになっちゃうんじゃないかって、恐くて動けなくなっていて、、、」

セラピスト「そうなんですね。そこも、達成する為に、今している努力や頑張りは、それがあなたの目標なのでしたら、方向性は間違っていなさそうですし、目標の数値を微調整すれば、今のままで、現状はプロセスとして、悪くはない、っていうこと、ですよね?」

「目標達成した時に、「あなた、最近天狗になってるよ」って、軌道修正してくれる相手がいたら、いいのかしら?」

患者「今、悩んでいることは、不確定だと思っている未来への不安や、杞憂、取り越し苦労だって、頭では、本当は、わかっているんです」

セラピスト「素晴らしい気づきですね。その目標設定と、幸せの実感っていうものが、もしも、=イコールでなく、間違っていたら、、、と考えると、どうでしょうか?」

「その目標を立てて、頑張らなくちゃ!という考えが、もしも、意味がない考えだとしたら、真実ではないとしたら、どうでしょう?」

患者「僕の場合は、目標は、立てないと、ダラダラ無為な時間だけが過ぎてしまいます。僕は、それが無いと、本当に駄目になってしまうんです」

セラピスト「そうなんですね。そういうことが、過去にあったのかしら?」


ある意味では、ある程度まで、人生のひとやまを越えないと、求める意味さえわからなかった、仏様か?菩薩様を求めるか?のような懇願、真の癒しと真の平安の境地に到達したいという飽くことなき【本当の自分】を知りたいんだ、追求したいのだ、という方だけ、この先は、読み進めてください。


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