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父親のことカミングアウト

5月15日
診察&抗がん剤の日。

CTの結果も採血の結果も普段と変わらず変化なし。
悪くはなってはないけど良くもなってないという毎度毎度のいつも同じパターン。

下痢は治まったっぽいんだけど、オナカイタイのは軽くなったとはいえ無くなったわけではない。
ドクターもはっきりした原因わかんないです・・って。
そもそも大腸がやられちゃってるんでそこに巣食ってる奴が悪さしてるのか?

それと抗がん剤だけど、前回吐き気止めの薬が点滴タイプに変わって、それ入れてる最中に猛烈に吐き気に襲われたんだけど、今回は何も起こらなかったよ。
というか爆睡しちゃってたからわかんなかったというのが正解か笑
また次回、注意しておこう。

***

ささ、今日の本題。

突然なに?ってタイトルだけれど・・

私ずっと母ひとり子ひとり家庭で子供時代を過ごしてきたわけだけれど、当然ながら父親が居るからこそ私がこの世に存在してるわけで。

むかしnoteには書いた(と思う)ことだが、私の両親は私が生まれてすぐに離婚した。
私は母に引き取られ祖父母(母方の)の家で育てられた。

母はもちろん祖父も祖母も私に父親のことは何も語らなかった。
別れたとも死んだとも言わなかった。
「うちにはおとうさんはいないんだよ」
ただただそう言われ、その事実だけを植え付けられて、それが当たり前のこととして幼児期を過ごしていた。

やがて私は小学生となり、祖父母のもとを離れた母親との二人生活が始まる。
さすがにこの程度の年齢になれば子供なりに察した部分はある。
もし父が死んだのなら仏壇が無いのはおかしい。
写真も無いから顔も知らないし名前すら知らない。
家の中に父を思い起こさせる物が何ひとつ無いのだ。
不自然だよね。
父親はきっと何処かに居るはずなのに、母は私がその存在を知る事を拒んでいる。
母は自分の周りから夫の存在を、つまり私の父の存在をすべて消し去っていた。
だから私はずっと父親がいないことへの疑問も、会いたいという感情も湧かなかったのだろう。

多感な中学生ともなれば自分が片親であることに負い目を感じ始めていたのは事実だ。
それでもだからって父親のことを知ろうとは思わなかった。
母が夫(私の父)のこと、もっと言えば結婚生活のことすら明かさないのは彼女なりの知られたくない事情があるのだろう。
私の家族には他の子の家族には当たり前にいる父親がそもそも存在していないのだという事実だけを背負ってこれからも生きていこうと。(この時点で第一期厨二病発症)
もっとも私は干渉されたくない、ひとりでいるのが楽だというタイプの人間だったし、クラスの中でも友達の輪みたいなものには決して入ろうとしなかったのは、そういうプライベートな境界線に踏み込まれることから逃げたかったというのも一因ではあろうけれど・・

***

時は経ち、最初に母の口から父親のことを聞かされたのは20歳の時だったかな。
大学生になって親もと離れ一人暮らしをしていた私は夏休みかなんかで帰省した際、珍しく母親がご馳走するからとちょいとお値段張りそうな飲食店での席でだった。

そのとき初めて母親の口から(父とは)私が生まれてすぐに離婚したと、そして父の名前も聞かされた。
当時どんな仕事をしていた人っていうところまでは聞かされたが、父の写真を見せられたわけでもなく、また結婚の経緯やなぜ離婚に至ったのかってことは最後まで口に出すことはなかった。
思い出に浸りながら語ったというよりは半ば事務的に、私がそろそろ就活って時期だったからおそらく採用面接で親のことを訊かれたときにちゃんと話せるようにってことで口を開いたのだろう。
黙っていてごめんねなんてものもなく、やはり彼女にとって結婚生活は黒歴史だったのだ。
そういったところは私わりと先回りして察してしまうタイプなので特になにもツッコまずうんうんと黙って聞いていた。

***

時は現代に戻り・・

先日、郵便受けに手紙が入っていた。
差出人に書かれてあるのは見知らぬ人の名前だ。
誰?この人?

ウチはとにかくチラシやDMが多い。
会社の本店住所をウチにしてたのもあるんだけど、特に家を相続してからは不動産屋からのDMめっちゃ多い。
この手紙はレターパックで届いていたので気がついたのだが、これがもし宛名印字された普通の郵便だったら他のDMといっしょにシュレッダー直行してただろう。

封を開けるとそこには「行政書士」と書かれた名刺が入っていた。

ん?なんかわたし訴えられてるのか?笑

同封の手紙を読むとそこには・・

(私の)お父さまが亡くなられました。折り返しご連絡をいただきたいです。

との内容。

はぁ?

私はしばし固まっていた。
そっかぁ・・私には父が居たんだよな。
歳を取ってくにつれ思い起こされる頻度が増してくるのはなぜ?
母親が亡くなったときに相続のために戸籍謄本取り寄せて、そのときに父親の名前が載ってるのを必然的に見てしまうわけだけど、私が生きてきた中のほんの一瞬だけだけどこの人が家族の中に居たのだと改めて感じてた3年前。

そして今、その父が死んだという知らせ。

あぁ、死んだのか・・
人はいつか死ぬのだしそれは順番でやってくるものだからいずれそんな事実に直面する。

悲しみとかショックだとかそういう感情は不思議となかった。
どこか遠い親戚のおじさんが亡くなったような自分ごとでないような感覚。
そりゃそうだ。
血は繋がってるとはいえ物心ついた頃にはもうすでに居なくなってた人。
顔も知らないし会ったこともないから声すら聞いたこともない。
昔どういう人で今どこでどういう生活をしていた人なのか何も知らない。
母親にとっては良い意味でも悪い意味でも忘れられない存在の人だろうが、私には全く接点のない人間なのだからアカの他人という感覚でしかない。

私はいったいどう立ち振る舞えばよいのだ?

***

父は再婚していたようで、手紙には続いてこう書かれていた。

奥様から遺産分割協議の提案が出ているので検討していただきたい。

と。

会ったこともないアカの他人だけど、血が繋がっている以上わたしは法定相続人。
だんだんとミステリー小説のような様相を呈してきたな笑

父のことすら何も知らないのに、さらにもっと繋がりのないそのご家族と遺産の話し合い??

降って湧いた新たな人間関係にお金の話し合い(遺産の奪い合い?)・・
今回の行政書士さんとはメールでのやりとりが出来る方なので少し楽だが、知らん人とはもう関係は築かず生きていこうと思ってたのに・・

めんどくせー
きがおもーい

それでかなりしんどいわたしです。

***

行政書士さんへ手紙受け取った旨のメールを送ると、折り返しで父の遺産の目録が送られてきた。
たいへん失礼な言い方だが・・、さほど大した財産はお持ちでなかった笑
これで泥仕合化は無いな。

ま、でもなにかあったときのために時系列にまとめてメモっておこうとまずは戸籍謄本を引っ張り出してきて、母の結婚から自分の出生から離婚へと続く流れを書き出してみた。
すると・・

衝撃の事実に気がついた!

私って未婚の母の子だったんだと。
私が生まれて2週間ほどしてから両親は婚姻届を出してるのだ。
父と母がいつから交際していたのかは知らないが、普通いわゆるデキ婚って妊娠が判明して出産までに籍入れるけど、それとは違い私の場合は出産後婚姻した体になっていたのだ。

そして3人の家族生活は1年とちょっとで破綻し両親は離婚した。

この1年の間に何が起こった?
いや母のお腹の中で私の生命が芽生えてからの2年の間、ふたりの関係はどういうものだったのか?
父はいったい何者なのだ?

憶測だけが独り歩きしている。

母も死んだ、そしていま父も死んだ。
祖父母も叔母もみな死んだ。
真相を知る者はもう誰も居ない。
真実は完全に闇に葬られたのだ。

まさにミステリー!笑

じゃあ真相探しの旅にでも出ようか?

なーんてことは微塵も思っていない。
しょせん他人の人生だ。
知ったところで私の人生が変わって癌が治るわけでもない。

まぁ今回の件で父が新しい家族とともに暮らしていたこと、資産状況から平穏な生活を営んでいたであろうこと、住んでいた家も見れた(Googleマップで笑)ことで私なりに安堵できたという意味で収穫だったかな。
死因は聞かされてないし聞こうとも思わないけど、病死でなければいいな。
それだけ。

顔も何も知らなくてごめんね。
わたしのおとうさんよ、安らかに。

だけど自分の生誕が謎に包まれてるってすごいね笑

***

朝の海辺を歩く。

キアシシギ
あさごはんちゅう
なかよし
イソシギ
見かけない子

きみは誰?
キョウジョシギというらしい。
京女鴫と書く。

艶やかどすなぁ。

***

5月も後半になるとこの子たちの様子がキニナル。

着々と開花準備中だね。

バラは咲き誇っていたよ。

思わず「キャベツ!」って口に出てしまった笑

今年も暑い夏になりそうなんだってね。
季節の変化をゆっくり感じていくってことがだんだん難しくなってくのかな?
体重は減ったけれどようやく下げ止まった感じだから、あとは運動して食って寝るを繰り返すだけ!
みなさまもどうかご自愛を。

んじゃまたね🖐😉 Bye now


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