もし地球上の "弱さ" が "真の強さ"に変わったら
お久しぶりです。
氣付けば、もう1年以上、noteを書いていなかったです。
2023年は、やりたいことがたくさんあって、夢中になっていたら、あっという間に時が過ぎていました。
(noteもやりたいことなんですけどね。)
ふと、書きたい氣持ちが溢れて止まらなくて、今日は、誰よりも、自分自身に向かって伝えたいことを書きます。
だけど、同時にたくさんの方に伝えたい内容だったので、自然とnoteを開きました。
ここ最近、逢いたくてたまらなかった人がいたんです。
オンライン上で出逢った、強くて、優しくて、美しいKさんという方に、わたしは強烈に惹かれていました。
(とはいっても恋愛対象の異性ではないですよ。)
Kさんとは、オンラインでは、良く顔を合わせていたけれど、関東圏にお住まいではなかったので、なかなかリアルでは難しくて。でもどうしてもリアルで逢いたくて。
その人に逢うためなら、たとえ、北海道でも沖縄でも、与論島でも行きたいくらいの氣持ちだった。
日本国内なんて近い、近い。
だけど、「逢いに行っていいですか?」という勇氣がなくて。
わたしは、昔から本当に人を誘うことが苦手で、「一緒にランチしよう!遊ぼう!」って声をかける勇氣がなかったんですよね。
それは、相手が、わたしに逢いたいと思ってくれているか、わからないから。自分に自信がないから。
実際に逢って、相手に楽しいって思ってもらうことができるだろうか、とかなんとか永遠に考えてしまうから。
最近は、少しずつそんな自分が変わってきて、逢いたいと思える人を誘えるようになってきてはいたんですけど、そのためだけに、遠方から押しかけるって、断りづらくて、なんかちょっと重いかなとか考えてしまって(笑)
旅行とかで、「そちらに行く予定があるから、その時に逢えませんか?」みたいな口実があると誘いやすいんですけどね。実際、そうして旅行を兼ねて、過去にも、noteで出逢ったお友達に長野まで逢いに行ったこともありました。あの時も「逢いたい」が溢れてとまらなかったな。
だけど、今回は、残念ながら、Kさんの拠点近くへの旅行予定はなくてですね。
そんなこんなで、ウジウジしていたら、Kさんの方から、「関東圏に行く予定があるので、お逢いできたら嬉しいです」って声をかけてもらって、もう嬉しくて、嬉しくて。
それで、昨日、そのKさんと、わたしのもう一人の大好きなHさんと、3人でランチをして、お茶もして、たくさんお話をしてきたんです。
そしたら、なんと、Kさんも、わたしと同じで、人を誘うのがとても苦手だと聞いて、驚くと同時に、それでも声をかけてもらえたことに、とてつもない感謝が湧きあがってきたのでした。
あ、ここまでは、まだ前置きです。
前置きが長くて、恐縮です。
それで、いろいろとお話をして、普段は聞けないKさんのこれまでの人生のストーリーを聞く事ができました。
Kさんの許可をいただき、
一番印象に残っているお話をぎゅぎゅっと凝縮して超簡潔に説明すると、
危険な環境から、
ご自身とお子さんを守るため、
あらゆることに配慮をしながら、
一時、安全な場所へと避難し、
たくさんの葛藤を乗り越えて、
危険な環境を安心・安全・信頼できる場所へと変えていき、頼りたくない、頼ってはいけないと思っていた人たちを、少しずつ信頼し、頼ることができるようになっていった
というお話でした。
(いや、これでは、10000分の1も伝わらないのですが、、、)
そして、「今は幸せ」と言って笑うKさんは、とんでもなく、強くて、優しくて、愛に溢れた美しい方だなと、感じました。
帰り道、東京組のHさんと2人で一緒に帰ったんですけど、駅のホームで、話していたとき、「Azusaさんって、強いですね。」って言ってもらったんです。
「え?強い?!わたしが?」
「強くなりたい」と、心からそう願って生きてきたけれど、どんなに頑張っても強くなれなかったわたしにとって、それは、とても不思議な言葉に感じました。
生まれ育った家では、
「Azusaは、甘い、弱い」と言われてきたから、
そんなわたしを見て、
「強い」って言ってくれる人がいるなんて、
すごく不思議だなって感じたんですよね。
だって、わたしは、忍耐力がなくて、親の期待にも応えられなくて、心配ばかりかけて、仕事も全然続かなくて、辛いこと、苦しいこと、嫌なことからは、逃げて、逃げて、逃げて、どうにか生きてきたから、、、
結局、一人では生きていけなくて、たくさん迷惑をかけて、周りの人に甘えて、頼って、今を生きているから、、、
から、、、?
だから何?
だから弱いの?
あれ?
なんか、さっき、ぎゅぎゅっと凝縮したKさんのあの話と、なんだか少しだけ似ている氣がする。
いやいや、わたしの状況なんて、
Kさんの当時の状況と比べたら、
ミジンコとゾウさんくらい違うのだけれど、
でも、
「安心安全な場所に避難して、
少しずつ人を頼れるようになって、
甘えられるようになって、
自分のやりたいことができて、幸せになった」
という本質の部分では少し似ていて、他の人の話では、それを「強い、美しい」と心から感じるのに、自分の話となると、なぜか「弱い、情けない、恥ずかしい」にすり替わっていることに氣が付いた。
短所や、欠点、コンプレックスは、
見方を変えれば、長所や魅力、
チャームポイントに成り得るものと、
頭では分かっていたけれど、
本当の意味で、自分ごととして理解できていなかったのかもしれない。
こんなふうに書くと、「弱さ」だと刷り込まれてきたものたちが、あっという間に「強さ」に変わる。
あぁ、これは「強さ」なんだ。
見る人によっては、
これを「強さ」だと言ってくれる人がいるんだと驚くと同時に、わたし自身も、まぎれもなく、これは真の「強さ」だと感じてしまうのでした。
自己肯定感を高めるためによく言われること。
これって、つまり極論さ、「強くてもいいんだよ」ってことなんじゃないでしょうか?
元々備わっている「強さを出して、自由に使ってもいい」って、そういうことじゃないでしょうか?
あれ?
なんか、「わたし、実は強かった説」が浮上してきたんですけど。
強かったからさ、だから、社会に適合できなかったんじゃないの?
強かったからさ、自分の望まない方向に、自分を押しころして進むことができなかったんじゃないの?
強かったからさ、自分や女性の安心・安全・好き・自由・欲・快楽を求める氣持ちをないものとしたり、搾取しようとしたり、抑えつけようとしたりする "なにか" が許せなったんじゃないの?
12年くらい前、一緒に暮らしていたおばあちゃんが天国に行った時、わたしは、してはいけないことをしました。
おばあちゃんの部屋に残っていた日記を読んでしまったんです。
他の人が見ていいものじゃないとわかっていました。もし自分がされたら、嫌なことだから。
けれど、おばあちゃんとのことで、後悔していることもあって、どうしても、おばあちゃんが何を思っていたのかを知りたくて、見てしまったんです。
その中には、「Azusaは、甘い、弱い。○○(妹)と□□(従妹)は、しっかりしているのに。あれでは、結婚は無理。」と綴られていました。
その時のわたしは、「おばあちゃん、わたし、結婚なんて絶対しないよ!」って強く思いながら、でも、「そうか、しないんじゃなくて、わたしには無理なんだ、できないんだ。」って、静かに傷付いて、そっとおばあちゃんの日記帳を閉じました。
おばあちゃんの中で、やっぱり「結婚」は辛いものだったのかな。
苦しくて、我慢して、耐えるものだったのかな。
おばあちゃんの娘、わたしのお母さんも、そんな「結婚」をしているように見えるよね。
でも、ありがとう。
今となっては、あの言葉は、最高の褒め言葉だよ。
おばあちゃんが言う、「弱い」・「甘い」っていう言葉こそ、実は、本当の意味の「強さ」なんだって、昨日腑に落ちたからさ。
ねぇ、おばあちゃん、わたしね、結婚したよ。
だけどね、全然辛くないんだよ?
結婚なんかしたらさ、自由がなくなって、やりたいことできなくなって、いっぱい我慢しなくちゃいけないんだって、わたしもずっと思ってたけど、全然違ったんだよ。
わたし、今が一番幸せだよ。
毎日が楽しくてたまらないんだよ。
すっごく自由なんだよ!
こんなこと言ったらさ、おばあちゃんも、お母さんも、「いい旦那さんと巡り合えたからだね」って、きっと笑って言うだろうな。
うん、だって、
わたしの夫は、まちがいなく最高だ。
だけどね、いま、わたしが幸せなのは、きっと、わたしが強かったからなんだよ?
あぁ、そっか、わたし、強かったんだ。
わたしの「強さ」は、地球の重たい “なにか” の力によって、すっかり「弱さ」にすり替えられていて、全然氣付けなかった。
わたしが心から願っていた「強くなりたい」は、本当は「弱くなりたい」って意味だったんだね。
これっぽっちも、弱くなんてなりたくないのに、一生懸命弱くなろうとして、苦しかったよね。
どんなにあがいても、全力を尽くしても、弱くなれなかったもんね。
いままで、苦しめて、本当にごめんね。
こうやって、自分で自分を抱きしめた、深夜3時すぎ。
涙が溢れてとまらなかった。
3年くらい前に書いたこの記事で、わたしはこんなことを書いていた。
「左手」は、今回ここまで書いてきた本当の意味の「強さ」でもあるんですよね。
このどうあがいても隠しきれない天性の強さを自分で認めて、
「強く生きていい」って許可してあげるだけで、
きっと世界は変わっていく。
この強さを「ないもの」としたり、「弱さ」としてしまう環境から、距離をとればいい。
いや、むしろ、距離なんてとらなくても、
誰か一人でも、この強さをそのまま強さとして見てくれる人と出逢えたなら、
もうわたしたちは無敵になれる。
もし、地球上の "弱さ" というものが、
"真の強さ" として、誇れるもの、
素晴らしいものに変わったら、
きっと、地球平和だって、なんだって、
実現できてしまうんじゃないかとさえ思えてくる。
あぁ、もしかしたら、わたしは、この自分の天性の強さに氣付きたくて、Kさんに恋焦がれ、逢いたくてたまらなかったのかもしれない。
駅のホームで、Hさんに、言ってもらった
「Azusaさんって、強いですね」
という言葉が、まだ、からだ中に心地良く響いていて、これから、この出逢いが、わたしの人生を変えていくことを伝えている。
これまで、noteからリアルのお付き合いに発展した方々は、みなさん、もれなく強くて優しくて、美しくて、眩しかった。
わたしに、こんなにも素晴らしい出逢いをくれたのは、もちろん、ここnoteと、そして、もうひとつのわたしの居場所。
本当に感謝してもしきれません。
あっという間に5000文字に達してしまいそうなので、"もうひとつのわたしの居場所" については、また今度綴りますね。
久々にnoteが書けて快感です♡
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
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