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自分が女であることを受け入れないわらわ

私は一応、生物学的には女性で生まれた。

性的指向は今のところ異性愛者で、
“女性らしい”格好にも特に違和感はなかった。

あるきっかけで、最近、胸を綺麗に魅せるような服装が好きだと気づき、トップ画みたいな服を集めている。(写真は私だよん♪)

楽しい(((o(*゚▽゚*)o)))♡ テンションが上がる♪

同時に「今まで女らしい服が好きな自分を封印していた」ことにも気づいた。

正直、こういう格好をするのは、男性に媚びているとか、旧来の女性像に準じている感じがして、
ものすごく嫌だったし、今でもその気持ちはある。

なんでかというと、「女性」って「男性よりも下」という認識が自分の中でかなり強いからだ。

自分の中で、と言ったけれど、
社会学的に見てもそうだ。

例えば、「女性は感情的である、よく泣く」なんて言われたりするけど、それは客観的に見ると、よく泣く「赤子」に近い性質を持っているとも言える。赤子は無力で、親に世話されなければ生きていけない。それって暗に、女性が無力であるという見下すような意識があることを証明しているようにも思える。

もちろん今は女性のエンパワーメントは盛り上がっているけれど、実際のところまだまだ私は世界を信用しきれてはいない。

やっぱり、社会の諸制度や実態を見ても、女性蔑視はまだまだあると思ってしまうし、何より自分がそういう世界であるという信念を持っている。

だから、なんだかまだまだ性自認として、「女である」ということを受け入れきれていない。

同時にやっぱり、女性としての自分の顔や身体は大好き。

そんな矛盾を抱えている。

でももしかしたら、「女性=無力である」というような、昔のジェンダーとしての「女」というラベルは、正直受け入れきれなくてもいいんじゃないかと思えてきた。

そういう昔のジェンダー意識を自分と切り離して、自分なりの女像を作っていきたい(*´∇`*)

旧来の女っぽい格好をしているからと言って、
社会にsurrender(服従)しているわけではないと、世界に、いや、まず自分に言いたい。

料理ができなくても、掃除が苦手でも、化粧が下手でも、ゴリゴリ論理的でも、そういう女がいてもいいよね、っていうかそれがわらわだが、それが何か?

女だという枠に留まらず、
自分が自分らしく表現することで、
世の中の「女性像」が変わっていったら、
すごく嬉しいなとおもう。

正直、自分らしさはまだまだ私も探し中だし、
新しい世界に「女性」「男性」「性別」って概念が必要なのかも懐疑的なんだけどね?

ゆっくり探していけたらいいなって思う♪

世界の変化はひとりひとりから。

そうでしょ?

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