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答えは、すぐそこに。

心穏やかに過ごしたいー

もう、ずっと前からそう望んでいるのに、うまくいかない日々を過ごしていました。

現実は、目の前の出来事に振り回されてばかり。
誰かの言動がずーっと頭の片隅に残っていて、なんだか気分が悪い。
そんなことが日常茶飯事でした。

そこから一念発起して、「思考を止めてやる!」と決めて取り組んでいたある日、ふと目に留まった本がありました。

それは、『ヨガ哲学』の本。
わたしは10年ほど前からヨガに取り組んでいて、ヨガ哲学の講義を受けたこともあります。だけど、もう一度『ヨガ哲学』に触れてみたくなったのです。


その本で見つけた一文。

ヨガとは心の働きを止めることである

ヨガ・スートラ


「あぁ、これ、わたしが今求めているものだ」

なんともタイミングよく欲しい情報が飛び込んできたので、そのまま読み続けていきました。

思考を止めることで、自分自身の本質を見ることができる。それがヨガの目的です。
私たちは社会的な立場や、肉体、思考で自分を認識していますが、それらは全て表面的な姿です。本来の私たちの姿は限りなく純粋で、外的な要因に一切影響されない存在です。しかし、普段は思考の波などが覆いかぶさってしまい認識することができません。

生きるのが楽になる インドの古典ヨガ哲学


わたしが「思考を止めよう」と決めた理由は、他人に対するネガティブな感情から逃れたいと思ったから。

でも、もっと深い所から湧き出る望みがあったのかもしれません。
「本来の姿で生きたい」と。

きっと、他人に振り回されている自分が嫌になったのでしょう。わたしに対して不快な言動をしてくる他人が悪いのではなく。

さらに、なぜだかわからないけど昔から持っている私自身の価値観にも納得するものがありました。

わたしは自己紹介で自分の肩書きを並べるのが好きではないのです。
年齢・職業・家族構成・・・。

「そういったもので自分自身を飾りたくない」と感じていたのです。理由はわからないけど。でも、この本を読んで納得。


「私たちは社会的な立場や、肉体、思考で自分を認識していますが、それらは全て表面的な姿です。」


そう、社会的立場はわたしの本質ではない。旅の途中でどこかの街に一時滞在したとしても、そこがわたしのホームではないのと同じ。

どこの大学を出たとか、どこの会社に勤めてたとか、結婚してるとか、子どもが何人いるとか。一時的に経験したかもしれないけど、その出来事自体はわたしではないのです。

それにしても、わたしは10年もヨガをしてきたし、朝の瞑想も日課になっているのに、「今まで何やってたんだろ?」という気分です。「何にもわからずに取り組んでいたんだな」と。

理由はよくわからないけど、なんとなく続けていること。それはいつの日か自分を助けてくれるものなんでしょう。

多くの人は、すぐに結果を欲しがります。成果が見えないものは、「ムダなモノ」と考えがちです。

私自身も、インストラクターになれるほど上達しないし、「すごく好き」というわけでもないのに、何で続けてるんだろうとずっと疑問に感じていました。

でも、ここに来て、大切なものを授けてもらったと実感しています。

「わたしには思考を止める練習が必要」

答えは、ずっと前から近くにあったようです。

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