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自分をケアすることとお掃除、案外似ているのかも?


ようやく、休日がきた。
疲労困憊の仕事終わりには、ごはんを食べることとお風呂に入ることで精一杯の私。ごはんが入っていた食器を洗うことだって、ままならない。
同居のパートナーは私よりも忙しい仕事なので、帰ったら家の中がすっきり片付いているということは少ない。

私の休日はまとまって家中を綺麗にするのにうってつけの日なのだ。


ここ数日で秋の足音が聞こえてきたなあというところから、一気に秋が目と鼻の先のところまで来ている。いや、朝晩と昼の気温差に驚くほど秋めいていた。朝起きて、リビングのカーテンと窓を開けるのがマイルーティンなのだが、心地よい光と風が入ると思わず顔がほころんでしまう。
そして、ちょっとばかり散乱した家の中を整えるやる気が湧いてくる。

いつもは机の上を片付けて、リビングダイニングの掃除機がけをしたら、「ちょっと休憩」という気持ちになるけれど、この日ばかりは違う。
なんだか気持ちがのってしまって、疎かにしがちな出窓周囲のホコリを落としてみたり、キッチンを念入りに磨いてみたりしてみた。

いつもはめんどうで仕方ない掃除。
しっかり細部まで見て綺麗にしていく様は、自分をケアしていくのと似ている。

自分のケアとして私が思い浮かべるのは、全身に目を配ること、心を満たすこと。これって別に絶対必要なことじゃない。人間の三大欲求でもないし、衣食住のように生死にかかわるほどでもない。ただやってみたら気持ちが満ち満ちるような気がする。それだけのことだ。
それだけなんだけど、そのことに気づくことってなんか大事な気がする。

日々生きていると、自分のことは疎かにしがちだ。
自分のことを疎かにした結果、変化に気づけず、知らない間に心身のバランスを崩していたなんてこともある。だから「ケアすること」を通じて、改めて自分と向き合う時間をつくることって大事だと思う。そして、自分のために時間をつくってあげて、自身を大切にすることが自己肯定感を少し上げ、明日の生きる原動力になる。


掃除の話でいうと、まず掃除しなきゃと思うことこそがちゃんと住環境を快適にすることに目が行っているということだなと思う。疲れているときはそれよりも寝ることが優先されて、次の日散乱した部屋を見て、思わず溜息をこぼしてしまうのだから。
そして、ざっと整理するよりも細かなところを綺麗にしていく中で気持ちが良いというのもあるけど、「わたし、小さなところまで目を配れている…!」という気持ちが自身をケアするときに感じていた自己肯定感につながる感覚とよく似ている。
今のおうちは好きな空間で、その場所を綺麗にすることで「大切に扱っている!」と思えて確かに気分がいい。


家事の中でいちばん苦手な掃除だけど、ただ綺麗にする作業ではなく、より空間を好きになるための過程で大好きなものを大切にするためのケアだとか、その過程で自分の心も整っていく、と思えば、多少気の乗らないことでもがんばろうかなと思う。


また寒くなったら動きたくなくなって、掃除なんてやだやだモードになるかもしれないけども、この秋はちょぴっと苦手なことを克服できそうな予感がしている。

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