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どうやら私は振り返るのが好きらしい


先日、久しぶりにインスタライブをした。
今までは自分の声が残るのが嫌でアーカイブにしていなかった。でも、時間が合わない方もいて、少しの期間なら…と回は残してみたので、少し怖いもの見たさで自分の声を聞いてみた。

あー-!やっぱり好きじゃない!

自分の声と喋り方を聞いて、耳を塞ぎたくなった。

活舌が悪いこともあって聞きにくいし、声質の影響か子どもっぽい。言葉を選ばずに言うとアホっぽい。笑
あとは、テンションが上がったり緊張すると早口になりがち。これが友人との会話であれば、その場の雰囲気もありよいのかもしれないけれど、音声だけなので正直聞き苦しい。

でも、気づいたら何回も再生していて、それはこの機会に喋り方を改善したかったからなんだろうなと思う。


私はもともとネガティブで、こういうときは「あのとき、ああすればよかった」「何か思われたかな」と悪いほうに考えがちだった。だから、この場合「印象がよくなかっただろうな…」と思うだけにとどまり、くよくよと後に引きづっていたんだろうなと思う。

それが「どうしたらもっとよくなるだろう!」という風に前向きに考えられるようになったと思えば、いいことのような気がする。


最近、精を出している自分磨きのおかげで自分の好きな自分に少しずつ近づいている。
それは、自分の好きじゃないところと向き合うことができるようになったからだと思う。学生時代に「なんで?」と聞かれ続けたことで分析能力を身に付けたからかもしれないが、どうやら私は振り返ることが好きらしい。

きっと昔だったら、振り返るのは自分の見たくない部分を見ることになるから避けていた。


きっかけは「憧れの人に近づきたかった」ということで、最初はその人に近づけることしか考えていなかったけれど、向き合い続けてみてみると案外愛着が湧くもので。

例えば、最初はただただ痩せたい!と思っていたけれど、ハリがあるのも悪くないなとかお洋服選び次第で綺麗に見えるな、と気づいて自分の持っているものを活かしたいなと思っている。
顔にしても、メリハリのないことやエラが張っているのが嫌だなと思っていて鏡を見ては落ち込んでいたけれど、似た系統のお顔の人のメイクを参考にして「いいじゃん!」と思えるようになったり、意外と輪郭を見せたほうがよいよと言われたり。

嫌なものに蓋をして憧ればかり唱えていたら、今もないものねだりをしていたのかな。

結局、私はわたしであってその憧れの人にはなれないのだから、どこかで受け入れなきゃいけなかった。

これに気づいて納得できるまでに10年弱はかかったけれど、向上心を持ちながら今「わたし」として生きることが楽しいと思っている。


自分が気にしているほど他の人は気にしていなくて、ひとつひとつのことを振り返る必要はないのかもしれないし、不特定の誰かに好かれるためにやっているというわけではないけれど。自分自身の小さなことで落ち込んだりする必要がなくって、日々「いい感じ!」と思えるのがモチベーションなんだろうなと思う。

あとは、自分が大事に思っている人たちが少しでも気分よくいられるのならいいなぁと。


最初の話に戻ると、声というのは直せるものではないし「いい声だね~」と言われることも少なくない。
だから、改善できるとしたら話し方で、年齢も考えると「子どもっぽくて聞きにくい話」ではなくて落ち着いた話し方ができるようになりたいな…と。

自分の話し方というのは鏡のように気軽に確認できるものじゃないけれど、人に与える印象は大きい。今回客観的に聞いたことで、まだまだ私の自分磨きの道は続きそうだなと思いました。


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