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不器用な両親の愛情をようやく感じた


私は誰に対しても本音を言えないタイプでした。

20代後半に差し掛かるころからようやく、少しずつ相手へ自分の気持ちが伝えられるようになってきたけども、親にはあまり言えなくて。

いつからか「何か言ったらまず反対される」と思っていて周りの顔色ばかり窺っていたし、自分の気持ちに嘘をつかないことよりも嫌われないことのほうが大事だった。


そんな私が勇気を振り絞って自分の気持ちを言ったなぁと思うのは、大きく動くときで転職するつもりだということを伝えたときと今回くらい(これについてはまたいつか別の記事にて)。
とはいえ、転職のときはどう伝えたのかほとんど記憶にない。

「今の職場を辞める」「〇〇に決まった」それしか伝えていなかった気がするけれど、切羽詰まっていたのもあって反対されることもなかったし、きっと両親は何も言えなかったんだろうなと振り返る。

学生時代に進路も親に勧められるがままで、なんとなく決めた私が大きく動いた自分の気持ちを伝えるのは今回が初めてに近かった。



ようやく自分の意志がはっきりしてきて、良いように言うと他の人の意見に流されることがなくなったし、悪く言えば「なんと言おうとも」と思っていた。
大体の反応は想像できたし、「これは説得するまでに時間がかかるだろうな」と踏んでいた。だからこそ、ちゃんと意志は持たなきゃと決心が固くなるまではぼんやりとも言わなかった。


意を決していざ言ってみると、実家にいるときは「何かと反対されていた」母親は落ち着いて話を聞き理解しようとしてくれたし、父親は「決めたことに反対する理由はない」と一定の理解を示してくれた。


この反応には結構意外で。
とにかく両親の思っている通りにならなきゃ反対されると思っていたけれど、それは「反対」ではなく、心配だからこそ何か言いたくなるということにようやく気付いた。

当時の私は「何を言ってもわかってくれない」と思っていたし、本当のことを言わないほうがうまくいったから両親が言うような道を進むほうが波風立たず都合がよかったから言われた通りにしていた。心の奥底では両親に対して否定的な気持ちが膨らんでたけれど。

大人になったからということもあるだろうけど、特に実家にいる頃は近くにいるからこそ小さなことが気掛かりだったんだろうなと想像する。

両親からストレートに何かを褒められたり、わかりやすい言葉で愛情を感じることが少なくて、私自身の真面目な性格から文字通り受け取ることもあり、余計に「反対されている」から「自分自身を否定されている」という感情に陥っていた。


今回伝えたとき、色んなことにもやもやしながらも結果的に背中を押してくれたのは、両親の愛ゆえだろう。

そして、今まで全面的に肯定することよりも、たくさんの「心配」が娘である私への愛情を表現していたんだと気づいたとき、こっそりひとりで目を腫らすくらい泣いた。
おそらく「言葉にして」ということに関して私も両親も不器用だから気づけなかったけれども、小さい頃からずっとずっと愛情を与えられていたんだろう。


いろんな感情がほどけて両親と対等な立場で居られるのかもしれない。
照れくさくて言えなかった感謝も、気遣いもようやくストレートに表すことができる気がする。

わたしか生きたい人生を歩みながらも、大切に育ててくれた分、これから返していきたいなと心から思う。

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