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自分のスタンスを表明することで変わる景色


普段、自分の暮らしやインテリアを発信している私ですが、それにしても珍しい投稿をしました。

正直、パブコメを送ったことを明らかにしなくてもよかったかなぁとは思う。賛否両論を生むような話は基本的には触れないほうが敵を作らなくていいだろうし、変な人と思われないだろうし、SNSであればフォローワーが減る可能性もあったり。(私はこの投稿で増減は感じなかったけども)
それでも、たまたま見かけた発信を見て今まで気にも止めなかった凝り固まってた思考に私自身が気づいたこともあり、誰かが気づけるきっかけになったらいいなぁと思って共有してみた。


去年くらいから、少しずつ日常生活に隠れている事実を意識的に知るようにしている。それは「社会問題」という言葉がいちばん近いのかもしれないけれど、「問題」として認識していなかったものが多い。

例えばパブコメの内容でもある経口避妊薬が本当にほしいときに手に入らないかもしれないこと。というか、そもそも普通に生きていて経口避妊薬の存在を知らなかったかもしれない。
私は大学で専門的に勉強していた分野があったから知ることができたけども、中高生のときであれば知らなかった。その手の話に縁がなかったから知る由もなかったと思う。

ここで日本の性教育の問題について議論するのは話から逸れてしまうので、今回の記事では深くは突っ込まないけれども、普通に生きていたら疑問にも思わない不思議なことって多いなぁと感じることが増えた。

今はSNSで友達やちょっとした知り合いとつながることができて思考を垣間見れるし、自分も発信できる。
その中で見てくれている人に「変な人だなぁ」と思われることが嬉しいとは言い難い。なんならできたら避けたい。だから今までプライベートでは暮らしのアカウントで書いているようなことは言ってこなかったし、そのアカウントの中でも言っていいことと言わないことの線引きをしてきた。

私は情報収集のかなりの量をSNSに頼っているのだけども、その中で他人の思考に救われたことが何度かある。
根っからのネガティブな人間だったけども自己肯定感を高める思考を知ったり、何年も先を歩く先輩方の洗練されたマインドを知ったり、「普通」に対して疑問を持つきっかけになったり。

私は誰かのある一面に強く憧れを持って「こうなりたい!」と思うことが多くて、それはそれぞれの内在に秘める思いを知ってこそだと思っている。
そして、友人でも内にある考え方が近いと不思議と深く仲良くなれる気がする。私に限った話、かもしれないけれども、当たり障りのない話をするよりもとんでもなく激しい話でもその人らしい生々しい話をされるほうが好きになってしまう。

自分のリアルな感情とか立ち位置とかを示すことは怖かったけども、いつからか思い切って怖がらずに言ってみたら、案外「わかります」っていう声が飛んでくる。

なー-んだ、言わないだけでみんな思ってるんだ。

そうやって「私はここにいるよ」と言うことで、周りの目が前よりか気にならなくなったし、近しいひとたちが集まるようになってきている。
少しばかり生きづらさを感じていたけれど、分かり合える人が近くにいると世間から取り残されている感覚は薄れていった。同じ景色でも鮮やかに見えるような。
意外にも自分から自身のスタンスを示すのって大事なのかもしれない。


最初に挙げた社会問題的な話題についてはまだまだ自分の考えを示すことって難しい。

それは誰かを敵にまわしてしまうかもしれない心配かもしれないし、そもそも問題だとは思っていないことかもしれないし、真面目な話をすると面倒くさい人っぽいと思われる他者からの視線からかもしれないけれど、とにかく漠然と言いにくい雰囲気がある。
私個人としては、もっとフランクに話せる世の中であってほしいし、話せるからこそ未来は明るいと思う。

過激で極端な話、誰かを攻撃してしまうような話は、多様な考え方があるとはいえ言い方を考えなきゃいけない。隣の人が自分と同じ考えじゃなくてもその考えをもつ自由があって、受け入れてくれる場所がある社会であってほしいなと思う。

私自身の器も深く大きくしていかなきゃだけども、風通しよくって、自分のまっすぐな気持ちを大切にできる場所になれたらぁとぼんやり考える最近。

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