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パートナーとか、結婚とか、愛とか、


ダンボールがどんどん積まれていって、少しずつ生活スペースが少なくなっている。
生活用品がなくなっても買い足す必要はなく、私の家からどんどん物が減っていくのを見ていると少し悲しくなる。

ああ、私の今の暮らしは終止符を打つんだなって。


一人暮らしを始めて3年半、今の家で暮らして1年半ほど。自分のお城を自分の手でどんどん壊していく喪失感は思っていたよりも大きい。

自由気ままに生きることができることに味を占めていた私は今更誰かと暮らすなんて、と思う。


もうすぐ初めて会ってから3年が経とうとしている。
一緒に暮らそうと2人の気持ちが固まるまではそう時間はかからなかった。過去にも一緒に暮らそうかというタイミングはあったけれど、そのときはなんか違った。

今だからわかることだけども当時は自分を納得させられるほどの決め手はなくって、ただ不安が大きかった。
結果的に一人暮らしを継続して得られたものは語り切れないほど大きかったので、結果オーライだけど。

今はあの頃と違って「この人なら生活を共にできる」と思えるのは、あまりよくない状況があったときに乗り越えられるだろうとか、彼といる私が誰といるときよりも好きだと思えるからだと思う。
パートナーが私が喜ぶことをしてくれる、そんなことは私によってそれほど重要ではなくって、ただこの人とであればお互いを尊重して理解できないことも寄り添い合える努力ができて自然体で居られるだろうと言えること。それでよかった。

そして、誰かに幸せにしてもらわなくても自分の手で自分を大切にできる自信がついたから、相手に求めてしまわないかの心配も減って、一緒に住むことが怖くなくなったのだと思う。


彼との付き合いが長くなってきたり、一緒に暮らすようになることを告げると周りから「その先」を期待されるような言葉をかけられる。決して悪気があるわけでないのは分かっているけれど、他人から将来を期待されなきゃいけないのが妙に引っかかっている。

他人が期待する未来が例えば「結婚」だとして、それが神聖なものでゴールだと聞こえるのは気のせいではないような。

とはいえ、私自身も今のパートナーである彼と過ごすまでは、よい人がいればいつかは結婚したいと思っていたし、恋愛というものはきっと甘くて、付き合った先には結婚が存在してずっと一緒にいるためには結婚以外の選択肢は知らなかった。

彼と一緒にいる時間が長くなるにつれ、「婚姻関係」そのものよりも私にはもっと精神的なつながりによってパートナーとの関係が成り立つように思う。
それは絶対的な約束がなくともきっと変わらないだろうし、逆に法的に認められた関係であっても何かがズレれば別の道へ歩むときが来るだろう。

形は何でもよくて、良いときも良くないときも受け入れて文字通り「支え合える」ことができれば、と思えているからこそ、私は彼と生活を共にする決断ができたのだと思う。
結婚がどう、とかそれ以上に一緒に暮らすことは私の中で大きな変化だと感じている。


未来なんて正直どうなるかなんてわからない。
こうやって言っても、パートナー関係を解消するかもしれないし、考えも変わるかもしれない。

愛というとても流動的なものが永遠に続くなんて思っていないから、思っていないからこそ、ただ目の前の関係と真摯に向き合って「愛すること」を諦めないでいたいな。


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