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自分のものさしに従う暮らし、表在化しないそのものの良さや背景を知ること


Instagramでこんな発信をしているのだから、きっときっと私の暮らしを見る人たちは「丁寧な暮らし」をしていると思うだろう。

こだわりの家具に器、そこそこ自炊はして、オーガニックやヴィーガンなものにも興味がある。自覚としても丁寧に見えるだろうとは思う。だけど、私自身は「『丁寧に』暮らそう」と思ったことはない。
ただ、心地よい方向にふわふわと流れた結果、行き着いた場所なのだ。


人によって趣味嗜好が違うように、価値観も違うし心地よさも人によって違う。なんなら場面によっても違う。
私も最近は朝早くに起きれないし、ごはんも丁寧に作れない日だってある。活動的に過ごしているように見えて、何もしてなくって気づいたら夕方で頭の中のto do listには半分以上もチェックがついてない、なんてことは日常茶飯事だ。

そんな目まぐるしく状況が変わる日々でも、何だか落ち着くことが当たり前のように見慣れたお気に入りのものや整った生活習慣だったりする。
例えば、仕事前の忙しい朝でもコーヒー豆を挽いてコーヒーを淹れること。本当はずっと寝ていたいけども、ちょっと早く起きてコーヒーの香りを嗅ぎながら徐々に頭と身体を起こしていき、心の余裕を持ちながら朝の準備をすることと気が乗らない仕事前もちょっと気持ちが上向きになる。
丁寧な暮らしのテンプレートみたいな習慣だけど、実際に私の心が悦ぶことなのだから、他人にどう思われようと「自分の心が豊かの習慣」なのだ。

どこに心が動くか、何が心地よいと思うか、そんな個人の美的感覚と感性の積み重ねによって暮らしが構築されると私は思う。それを「丁寧」の一言にまとめるには私が思っている意図と違うし、ちょっと雑な気もする。

とはいえ、ある一面を切り取った中の世界ではそういう風に解釈されてもしょうがないよなあと思う。結局は自己満足の領域なのだから、あれこれ考えてもしょうがないのだけど。
ただ、何が私を幸せにするのかという自分のものさしがあると、自ずと大切にしたいことも見つかるだろうし、どう生きたいかという視点にもつながっていく。

過去の記事には、そんな自己分析の過程もあるので興味があればこちらから。


暮らしに関してのマインドは上記の記事を書いたときから大きくは変わっていなくて、おそらく自分の中での位置づけはある程度信念を持てるようになってきたのかなと思う。もし、少しずつ変化していることとしたら、暮らしを構成するたくさんのモノコトが健やかであることや自分の信念に近しいものかというのも暮らしの心地よさに繋がっていると感じる。

名作と言われる家具はただ見た目の美しさだけではなくデザイナーの意図に触れてこそ「ああ良いな」と思うことが増えたし、生産背景が誰かが悲しんでしまうような搾取されていないとわかると安心して暮らしを共にできる。素敵な販売員さんやお店から購入することはその人たちを応援する気持ちになる。
ある一面を切り取るだけでは、きっと世の中にたくさん出回っている似通ったものたちと大差ないんだけども、心持ちは全く違う。


そのモノが気に入っているだけではなくて、背景もちゃんと愛せる。
短い文脈で語られがちで、そのものの真の良さに気づきにくくなっている世の中だけど、審美眼を磨くことや自分の心地よさのものさしを知ることは忘れないでいたいと思う。きっとそれが、私にとって生活、人生をより豊かにすることだと思う。

同時に、他人のものさしについて否定することなく、しなやかに受け止める心を持っていたいと思う最近。


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暮らしにまつわるお話はこちらでも
Instagram:@_haliving

日々の暮らしの写真
Instagram:@film_kurashino

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