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卵子凍結を語る時に語られていないこと

はじめてnoteを使ってみることにしました、くるみです。
今回記しておきたいのは、「卵子凍結を語る時に、語られていないこと」。
ここ数年、卵子凍結経験者として取材を受ける機会が二度ありました。両方ともそれなりの時間を注ぎ、1つは世に出て、1つはお蔵入り(他の方の取材へ変更)となりました。その中で感じた大きく3つのモヤモヤについて、自分なりに残しておきたいと思います。

◆語られない第1世代の声 ~第2世代台頭による卵子凍結イメージ~
 私が卵子凍結を最初に検討したのは2015年、35歳の時。今でこそ、東京都が39歳までを対象に卵子凍結助成金を開始し、43歳までの体外受精も保険適用となったことで、多くのメディアが取り上げるようになった「未婚女性の卵子凍結」。
だが、9年前は、都内で堂々と未受精卵の卵子凍結対応を公表している病院は都内では1院くらいしか検索できない状況だった。理由は簡単で、受精卵凍結より未受精卵凍結は妊娠率が低いから(高額費用に値する結果の保証ができないため病院側も推奨せず)。
「それでもわずかな可能性にかけて、出来るだけのことはしたい」という卵子凍結第1世代の挑戦者により、私が実際に行った2019年には、体外受精説明会に卵子凍結希望の私も参加させてもらえるようになり(沢山の夫婦に交じって一人で参加した)、6院くらいを比較検討して行うことができた。
※現在は不妊治療説明会と別に卵子凍結専門の説明会を多くのクリニックが行うまでに一般的となった。

 私と同じ第1世代(仮呼)の人たちは、卵子凍結という技術が生まれた時点で既に30代半ば。氷河期世代に生まれ、終電も当たり前の男女平等の働き方をして10年、気づけば妊娠を焦る年齢になった人たちだ。「男並みに働く女性は妊娠や結婚は望んでいないはず」というのは男性や社会による勝手な固定概念である。我々の親世代は専業主婦の多い団塊の世代。真剣にやりたい仕事を目指す一方で、当たり前に自分も母になると思ってきたのに…という世代間ギャップの境目に当たる。そんな第1世代の挑戦者について語られるのは、「凍結卵子を実際に使用した人は少ない」という事のみ。女性側に非があるようにも聞こえる言われ方だ。しかし、お金をかけて身体を痛め卵子を保存した人たちだ。破棄する道を選んだ人にだって、それぞれに物語と葛藤があるはずである。しかし、その声は語られない。

 いまメディアが取り上げる卵子凍結経験者のほとんどは、それよりも若い世代(第2世代と仮称する)、「子どもが欲しいか今はまだわからない」「いずれは欲しいが今は仕事を優先したい」といった人たちの声である。その世代にも、妊娠を強く望むためという従来型の女性もいるはずである。しかし、メディアは【新しい世代の台頭の現れ】として「卵子凍結」を語りたい。「子どもが欲しいか分からなくたっていい」「妊娠をもっと女性側が主体的に選びたい」-そうした女性たちの考えも私は全く否定しないし、そうした考えからの相談を受けることもある。
 ただ、私には絶句する出来事があった。男性の友人に卵子凍結の話をしたところ、「それって仕事を優先したってことでしょ」と言われた。自分にとっては、子どもが欲しいことの表明のように思っていた卵子凍結が、そのようなイメージになってしまっているなんて・・・。第1世代が経験した苦悩が語られることなく、第2世代の台頭のみが、まるで【イマドキのバリキャリ女性の象徴】のように報じられることで、卵子凍結への固定概念的なイメージが生み出されてはいないか。これが一つ目に感じた、モヤモヤである。

◆男性の理解が進まない限り結実しない! ~第1世代が身に染みた現実~
 では、第1世代が味わってきたこととは何か。一言でいえば、【功をなさない、良き事と捉えられない悲しさ】である。
 不妊治療さえ一般的でなかった親世代の女性などには「卵子凍結」というだけで眉を顰める人たちも未だ多い。「それより結婚相手をみつければ」「そう聞いて男の人がどう感じると思う?」「仕事があるんだからいいじゃない」「そうね…全部欲しがってもいいと思う!」…はて?仕事をしながら結婚や子を望むのは、全部欲しがっていることになるのか。『虎に翼』の時代ですか? 卵子凍結がまだ存在せず結婚・妊娠を諦めた女性や、金銭的余裕のない女性に話すことにも気を遣う。
 結果、同世代で卵子凍結をした人は私の周りにも知っているだけでも5人はいるが、私以外は会社や周囲にも話さずに行っている。採卵周期に注射と内診を繰り返し人為的に多数の卵子を排卵誘発し採卵するのだから、精神的にも身体的にもかなり負担を強いられる。どうしてそれを、周りに隠して心細い想いをしながら、コソコソ行わなければならないのか。出来る限りの努力を、女性が自らのお金で行うことは、恥ずべき事ではないはずだ。

 そうやって何とか卵子凍結を行った第1世代がさらに直面するのが、男性側の不理解である。女性の妊孕性やそれに対する女性の気持ちを把握していない男性がいまだ多い。「40代でも産めるでしょ」「子どもは何人欲しいですか」「どちらでもいいと思っている」ーそうした言葉で女性たちを傷つけていく。苦しみを味わうのはいつも女性側だ。
 せっかく30代の卵子を凍結してあっても、子を望む婚活中男性はまず40代女性を選ばない。自身が40・50代であっても。30代女性でも不妊はあり得るのに。彼らのうち何人が自分の精子について調べているだろうか。(婚活のプロフィール欄に、女性は凍結卵子の有無、男性は精子の検査結果の記入欄を男女平等に設けてはと本気で思う)。
 また、卵子凍結=バリキャリイメージも影響する。実際、卵子凍結にはかなりのお金がかかる。「将来、不妊治療にかかる費用の一部を先に女性のみで負担してくれている女性」と思えば、本来は頼もしい!と思ってもらってもいいはずだが、例えプロフィール欄に「凍結卵子あり」と書いても、高額負担を知らない男性もいるし(女性は婚活で年収を公開しないのが美徳とされる風潮…)、高年収女性や不妊治療を望まない男性も多い。      
 卵子凍結を決断するにはどんな想いがあって、どんな苦労をして、使用して妊娠するにはどんなことが必要で、同年齢の凍結卵子を持たない女性と比較した妊孕性がどうなのか…等を自分事として受け止め、「せっかくの貴重な卵子、無駄にするのは勿体ない!共に生かそう!」と協同作業として考えてくれる、そんな男性は存在しないのだろうか。。

 卵子凍結を取り上げるネットニュースへの読者コメントからも世の中のアンチぶりが見て取れる。30代後半で卵子凍結をした女性に対し、「20代で行わないと意味がない。30代後半では既に遅い」と言うコメントが大量につく。しかし、20代女性が10年間、15個の卵子を採卵保存したらいくらかかるか知っているのか。5個を5年間保存してきている私で130万円ほど負担しているので、その2倍以上の費用を、パートナーができて自然妊娠する可能性もある20代独身女性が負担するのが現実的だ、など言えるだろうか(一般女性の平均年収は400万円である。多くの低年収女性が卵子凍結をしたくても出来ない現実がある。また、受精卵の方が妊孕性は高いため、40歳以下であれば卵子凍結をするよりパートナーをみつけてからの体外受精の方が妊娠率は高いのだ)。
 従って、一部の金銭的に恵まれた独身女性が、自らの貯金と、パートナーがみつかる可能性と、年齢による妊娠率を天秤にかけて、現実的に踏み切るタイミングが「30代後半」となるのは妥当である。そして、30代後半の卵子を10個以上採卵してある40~42歳の女性であれば、30代後半の凍結卵子なしの女性と同等程度に近い妊孕性はあるのではないかと思われる。
 女性たちはこうした事を全て計算して臨んでいるのに、男性側の理解が進んでいないために、利用のタイミングを逃してしまう。どうして女性側だけが、金銭的・身体的負担を背負い、かつ精神的にも追い詰められなければならないのだろうか。これが2つめのモヤモヤである。

◆レアケースは報じなくてよい?~少数派に寄り添わない社会~

 3つめのモヤモヤは、「卵子凍結を<物理的に>必要とする人たち」の存在がほとんど事例として取り上げられないことである。
 私の場合、幼少期に数年にわたり性被害を受けてきたことによる挿入障害(旧称:ワギニスムス)が、卵子凍結という手段に至った理由である。この問題について、自分側に原因があるのではと思い始めた時点で30歳過ぎ(幼少期のトラウマは大人になるまで自覚しにくい。それまでは交際経験はあれど相手側や慣れの問題だと思い込んできた)。35歳で卵子凍結を知り婦人科に行くも内診を受けられなかったことで、自分の症状を認識するにいたった。専門の医師による行動療法に往復4時間かけて通い、採卵器具が入るようになるまでに4年を要した。「その歳では遅い、保存個数が少ない」と言われても、私にはこれが精一杯のことであったのは以上の理由だ。
 卵子凍結は必ずしも女性のエゴではなく、それが無ければ妊娠が難しい人も存在するのだ。このことを両メディアには伝えたが、それについては取り上げられなかった。「特殊ケースだから」「読者にわかりにくい」…あくまでもメディアが伝えたいのは“一般的な“卵子凍結女性像である。

 同じ理由で、私は子を持ちたいLGBTQの人たちの苦しみを察する。私は当事者の友人から子を断念した気持ちを聞いたことがある。「子育てをしたい」その想いは、女性である自分となにも変わらないと思った。なのに、生きづらさを抱えてきた人たちの努力が、「一般的でない話だから」と括られ、取り上げられなかったり、「LGBTQ文脈」として取り上げられる。実際には、“一般的な人々”の中にLGBTQも性被害者も存在するのに。
※『夏物語』(川上未映子)、『街とその不確かな壁』(村上春樹)などに、私と同様の症状と思われる登場人物が描かれる。専門医には、パートナーと訪れている人も多くいる。

 存在する人たちを見ないようにしてきた、その歴史が今を作っているのではないか。「何も知らない人たち」という“受け手”を設定して、「一般的」とされる人たちの事例のみ伝える。それは世の中の人たちの意識のアップデートを遅らせることに繋がっていないか。
 台湾や欧米などでは未婚者の精子バンク利用も当たり前になっているが、日本は法整備が定まっていない。その間も、某精子バンクの元日本窓口女性は、無精子症カップル、同性カップル、選択的シングルマザー希望者などのために奔走し、少数派に寄り添わない日本社会を憂いている。
 卵子凍結経験者といっても、背景や経験は十人十色。その一人一人に対し、色眼鏡で決めつけることなく、その想いを汲んで共に歩むパートナーが多く現れる…そんな社会へと促すような報道が問われていると感じている。



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