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珈琲とノイズ

久しぶりの更新になった。

10月頭は大阪に行っていた。全力で仕事をし、全力で遊んだのち、クソ風邪をひいた。つらいよ。

大学時代からの友人が大阪でカフェをやっているのだが、その友人が最近よくお店に遊びに来るようになったという16歳の専門学校生K君と奇妙な友人関係を築いていて、アニメかよ、と思った。K君も学校で同級生に同じことをを言われたらしい。
「2人でYouTubeで世界獲ろうな!」と言っていた。きっと、精神年齢が同等だからこそ成立する関係性なんだ。

K君は中学校3年間不登校だったそうだが非常に頭の良い子で、また、人懐っこかった。
数年前に父親が亡くなったとのことだったので、私も小さい頃に父を亡くしているという話をした。私の家は父が死んだことで残りの家族がおかしくなって暴力家庭へと進化を遂げたが(そうでなくても母親はだいぶアレだったけど)、反対にK君の家は暴力パパが亡くなったことで家庭が平和になったそうで、他人事ながら安心した。

ちなみに友人の父親は離婚して放浪しつつも健在だが、友人が生まれた際に「雑音(ノイズ)」と名付けようとして母親が必死に止めたというエピソードがある。たまたまお店に来ていて、「うちの息子がお世話になってます」と言われたので、「(これがノイズのパパか…)」としみじみした。

K君の父親は生前ジャズピアニストで、幼い頃から無理矢理ピアノを弾かされていたらしい。父親が死んでもうピアノを弾く必要はなくなったのに、今は、「なんか弾いちゃう」とのことだった。友人のカフェにはピアノが置いてあり、ある日突然「曲を作ってきました」と言って弾いてくれたのが仲良くなったきっかけらしい。アニメすぎる。

クラシック音楽の無調という概念について知りたいと言っていたので、スクリャービンのピアノソナタを第1番から順にかいつまんで聴かせていった。スクリャービンは初期はショパンに憧れて美しいメロディなんかを書いていたが、ニーチェに傾倒し始めて以降どんどん調性が崩壊して神秘性を帯びていく様が好きで、学生時代よく聴いていた。7番の「白ミサ」、9番の「黒ミサ」は曲名の中学2年生感も含めてかっこよすぎる。


翌日はまた別の友人に会いに行ったが、その友人もまた、趣味で作曲をしているという。不思議な縁があるなぁ。ラヴェルが大好きで大好きで仕方がないが、ラヴェルはもうこの世にいない=ラヴェルの新作が作られることはないため、自分が作るしかない、という、同人誌の作家みたいなことを言っていた。

彼は大学生で私にとってはそこそこ年下だ。とある合宿で初めて出会った日、彼はまだ高校生だった。自己紹介で「読書が好きです」と言っていたため、何の本を読んでいるのか聞いてみたら夢野久作の「ドグラ・マグラ」を差し出してきたので、私も鞄の中から夢野久作の「瓶詰めの地獄」を差し出し、その時から激マブになった。

今回会うのはかなり久しぶりだったのだが、待ち合わせ場所に長髪長身の小室圭似の男がヒールの靴をカツカツ鳴らしながら現れたので普通に怖気付いた。別に隣を歩く人がどんな格好をしていようが構わないが、シンプルに、怖いオネエだったから…。仕事場に行く時にしょっちゅう新宿二丁目を通るけど、二丁目にだってあんなおっかないのはいないわよ。

ビールを飲みながらお互いの好きな曲を教え合ったり、メシアンのトゥーランガリラ交響曲を一緒に歌ったりして盛り上がった。一緒に歌うような曲ではない。けど、大変にキュートな曲であるよ。

「あなたも作曲やりなよ〜」と言われて使っている作曲のアプリまで教えてもらったからには一度やってみようかとも思うが、私は生まれた時から無機質な人間で、放っておいても曲や文章が出てくるようなタイプではないので難しいかもしれない。憧れはあるんだけど。ジャズのアドリブなんかは勉強したらできるようになるかな。いずれにせよ頭が固いので理論を一通りやらないことには何も出てこないだろう。凡人はパターン学習と模倣を地道に繰り返していくに限る。


その更に翌日には京都に足を伸ばし、かねてからの目的だった古書店、アスタルテ書房に行った。

おそるおそる雑居ビルの階段を登り店の前まで来ると、扉に臨時休業の紙が貼られていましたとさ。

とっぴんぱらりのぷぅ。



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