ぽんぽこホモサピ合戦

・人からいただいた静岡のお土産のシフォンケーキを鞄から出すのを忘れたまま仕事に行ってしまい、帰ってきたら「シフォンケーキ.zip」になっていた。
最近の私の予定と同じくらいミチミチで、ケーキに共感を覚える。

・やることが多すぎて何から手を付ければ良いかわからなくなっているため、今日は逃げの日記である。ここ1週間くらいずっと頭が四方八方にとっ散らかっている。


・人々が当たり前のようにやっている意味のわからない行為や習慣に対して、大学を出たぐらいからひとつひとつに自分なりの意味付けや解釈を施していった。
限りなく発達が怪しげな人間でも、そこに理由を見出すことで例えばお天気の話なんかが自主的にできるようになる。
私と相手がいて私の方が立場が上である場合、権力勾配のもとで私に言いたいことが言いづらい、というような人がいる。「なんかあったら何でも言ってね」というセリフだけだと、直球すぎて受け取れないような繊細なタイプだ。
そういう相手に対して、「お前とのコミュニケーションはやぶさかではない」と示す、謂わばコミュニュケーションのためのコミュニュケーションとして意図的にやっている。これをすることでその後の話の流れが円滑になったりもして、導入剤として非常に便利だ。世の中の多くの人からしたら何当たり前のこと言ってんだ、という話だろうが、これができるようになるまでに長い年月を要した。
天気の話に何も見出していない人もいるので(これは直感でわかる、同類なので)、そういう人には違う話をする。徐々に緊張をほぐして、時には程良くナメてもらうことで相手の考えなどを述べてもらいやすくなる。私は初対面で怖がられやすいので、「怖くないですよ〜〜」をずっとやっている。

・という理由のもとの行為なので目上の人にはこういう形質のコミュニュケーションや配慮ができない。こまったことだ。
周りが息をするようにやっている「媚を売る」もできないので全然可愛がられないし、信用もされない。媚が売れた方が自分にとってはメリットがいっぱいあるのだからいくらでも理由を付けてやれば良いのに、明確な「嫌じゃ!」という感情のもと、人生において非合理的な選択となっている。
こういうの全部なんも考えずにやれる人は動物として強いなと思う。こういう人がぽんぽこ繁殖なんかもして、私のような人間のふりをした人間は細々と生きていく。自然の摂理である。

・最近「あ、この人も必要に応じて人間のふりをしているな」と思える女性に出会って勝手に嬉しくなっている。普段気づかないだけで、ちゃんとしてるように見える人もなんだかんだ必死で生きているんだろうな、とも思う。
いっせーので全部やめて、皆でめちゃくちゃになろうぜ。


・例として天気の話を挙げたけど実際のところ私にとって天気は死活問題で、仕事中は窓のない部屋にいても、雨が降ってきたことと雨が上がったことがわかるようになってしまった。


・仕事先のおもしれー女が、子供がいるわけでもないのにプリキュアを毎週見ているらしくて更に好きになった。

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