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あなたが私にくれたもの♪メルカリで買うた中古の本♪



友人や恋人でも親でも、大切な人からの贈り物ってなにを貰ってもとても嬉しい。
それを選んでくれているときは少なからずわたしのことを思い出してくれたり、考えてくれているから。




今まで頂いてきた贈り物の中でも優劣をつける訳では無いけれど、特に「誰かからもらった本」というものは、わたしの中ではかなりインパクトが強かった。(いい意味で)


そして、出来れば送り主がまだ読んでない本ではなくて、読み終えた本がいい。


だからサラの本じゃなくてもよくて、読み終えたそのままの本でも、古本屋でも、メルカリで買った本でも嬉しい。

基本的に本はプレゼントには向かない。

書店で「プレゼントを探していまして、、、」と、店員さんに子ども向け問題集や絵本以外で、相談している人は見かけたことがない気がする。

どちらかというと、本屋での贈り物の定番と言えば、「これでキミの好きな本を買いな!」という意味合いでの図書カードが一般的。



そもそも本なんて、わたしを含めてみんな自分が元から下調べをして目星をつけたものしか買わないし、若しくはふらっと時間潰しに本屋に立ち寄った時にジャケットがお洒落だとか、実際に手に取ってみてペラペラと何ページか捲ってみて、なんか面白そうだなと思ったら買う。



だって好きな分野も興味があることも勉強してみたいことも人それぞれだから。
自分が食べる今日の晩ご飯をわざわざ誰かに訊ねないのと近い。




だけど、そうやって主体的に手に入れる今までの感覚の本とは別に、自分以外の誰かに本を貰うという今までなかった受動的行為によって、
このままだとわたしが絶対に手にしなかっただろう知識と言葉を得れたり、価値観が変わったり、更に違うベクトルで好きな分野の視野がグッと広がるという経験をしたことが実際に何度かあった。



わたしだけじゃこの本に辿り着けなかった。



この人はなんでわたしがこれに興味が湧くと思ったのだろう?とか考えながら、
どんどん読み進めていくうちに、あるタイミングでそれが腑に落ちる瞬間を見つけれたら、すごくラッキーな気分になる。(勿論、???となることもある。それもまた面白い。)


またそれとは逆に、その人を思い浮かべてみて、宝探しゲームをしてる気分で、贈り主の《彼女/彼》が感じただろう「おもしろポイント」の一文や章を探してみたり。

そういうひとり遊びの楽しさもあるし、
後日「読んだよ!」って連絡して、本を口実に呼び出して、安居酒屋でジョッキ片手に各々が思ったことをあーだこーだと語り合う時間が、実はわたしの最終目的地。




本をもらうという物理的な行為から、読んだ先に生まれる、そういう二度美味しい時間までの一連の流れこそが、わたしが「誰かから読み終えた本を貰う」ことが好きな一番の理由なのだと思う。

特にお気に入りのエッセイ本(保存用と2冊あるよん)


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