見出し画像

【徳島の右下生活】#131日目 はじめてのインターネット

の思い出を書けと言うことなのか?

初めてのインターネットと言えば、小学校の時の授業だな。おそらく英語の授業で、パワポを使って外国人観光客に話しかける資料づくりだったと思う。もしくは社会の時間に自由に調べものをするときに調べたイスラム教のことだったかな。いずれにせよ真面目坊主だった。

家ではよく父のパソコンを勝手に触って、18禁のサイトを見てたっけ。ここは不真面目坊主。あの頃はネットの怖さも、性のあれこれも分からず、欲の赴くままに心身ともにすくすく成長した。

思春期になるにつれて性欲も増す。大学のころも周りに言えないけど募るそれに悩まされてた。その欲を持つことがいけないことだと感じて、性欲意外を満たそうとすることでその欲を打ち消してた。

でも、インターネットがあるとそこにすぐにアクセスできてしまう。20歳を超えてもその欲は現れる。これからもどうぞよろしく付き合っていくのだろうと思うと気怠い。時にやめてほしいと本気で思う。要らない。切りたい。

他の人はどうしてるんだろう?

#はじめてのインターネット

インターネットの恩恵で、「僕のヒーローアカデミア」

本題はこっち。
アニメシリーズ第6期が始まったということで、各漫画アプリで無料配信されている。
今日10月7日までは89話、爆轟がディラン連合に攫われ、オールマイトとオール・フォー・ワンが対峙する場面までが配信されている。

特に印象に残ってるのが「ヒーロー殺し・ステイン編」。ステインは、「殺す」という倫理的に間違った行いをしたが、その思想は否定しがたいものである。それは、オールマイト(我が身を顧みず、救うことを第一に動く姿)こそが本物のヒーローであり、それ以外の私利私欲(お金、地位、権力)を目的としたヒーローを断固として拒否するという思想であり、その反応として「殺し」を働いてきた。それは、「超人社会」と呼ばれる“個性”を持ち「ヒーロー」と題して(ステイン的には信念もなく)暴力を働いてきたことへの反抗が「ヒーロー殺し」であった。
つまり、ヒーローの本質は「利己」ではなく本物の「利他」であり、今の社会は間違っていると唱えたのだ。

アニメでは、理解も追いつかずステインの思想の本質にまで辿り着かなかったが、漫画を再読してようやく理解した。
この現代社会でもそのようなことはないだろうか?
職業の名前が先行し、権力を振りかざす者。
資本に目がくらみ、人脈という賄賂を駆使して金を稼ぐ。
営業という名の物々交換製造機。
消費という名の環境破壊行動。

話をヒロアカに戻そう。もう一つ言いたいことがある。
ステインが殺しを働き、その前後でもステイン属する(?)ディラン連合の働きで、(オールマイトが教鞭をとり、主人公が所属しているヒーロー養成学校の)「雄英高校」は甚大な被害を被り、生徒に危険を及ばせた。雄英高校は(読者的にも)ディラン連合の諸々の襲撃に対して「適切に対応した」と言える。がしかし、メディアと世論はそうはいかない。「危険に晒した」「対処を怠った」「未然に防げないのか」と顔を隠して声を上げる。確かに生徒に危険が及んだのは事実。しかし、その元凶のディラン連合は前提に置き、最善の対処に当たった雄英高校やその先生たちを非難するのだ。
ここでも人が「本質」を見失う姿が描かれている。ディラン連合が非難されるべき対象であるはずなのに。

バトルにばかり目がいくが、ヒロアカは「社会」と「正義」それらの本質を問うてくる傑作と言える。
ヒーローが正義なのか。
社会を形成しているのは一部の人たちだけなのか。
――と。

そして雄英高校1年A組の20人を始めとする、それぞれの生徒とその個性。つまり、人と人を形成した社会をそれぞれの視点から描いており、なおかつ綺麗なビジュアルと迫力ある戦闘、それに合いなすディランと呼ばれる敵。
超人社会とそこに立つ正義の本質とは。

インターネット社会の恩恵を受けて漫画で振り返りつつ、アニメ6期を楽しんで観よう。

#アニメの秋

この記事が参加している募集

#はじめてのインターネット

2,647件

#アニメ感想文

12,298件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?