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「お好み焼きが食べたい」と言ったら涙が出てきた

「お好み焼きが食べたい」

兄と弟との3人のグループLINEにそう送ってから、少し泣いてしまった。もちろん、お好み焼きが食べたくてどうしようもないからとかではない。

仲は悪くない、むしろ良い。でも本音が言い合えない、わからない。そんな関係だった私たち兄弟は、去年本音で話す機会をもってから、たまに3人で会おうと決めた。

涙の理由のひとつというか、ベースにあるのは、兄弟との関係性が新しく作られていることへの安心感のようなものだと思う。

もうひとつの理由は、私の「〇〇したい」はいつも全然純粋じゃないのかもしれないと思ったからだった。

自分の意見をそのまま場に出すことが、わがままな気がしてしまってなかなかできない。

どこに行きたい、何がしたい、あれが食べたい。自分から場に出す時も、純粋に自分の気持ちだけで出しているものってなかった気がする。

きっと相手も行きたいと思ってくれるから、相手が行きたいと言っていたから、相手がここなら気に入りそうだから…、そんな理由で私の希望は作られる。そんなのもはや私の希望ではないんだけど。

別に自分を犠牲にしているつもりもないし、やりたいからそうしてきたのだけど、今振り返ると私の本当の気持ちはそこにあったのかはわからない。誰かの希望を自分の希望と思い込もうとしていないか?

弟から「何が食べたい?」とメッセージが来た時、何も考えずに「お好み焼きが食べたい」と送った。純粋な私の希望。ふたりがどうとか何にも考えていなかった。(ごめん)

言った瞬間、ここでなら言えるんだ、言えるようになったんだ、の気持ちと同時に、いつも全然言えていないんだ、の気持ちになった。

これまで何を基準に生きてきたんだろう。純粋な私の希望はどれくらいあったんだろう。

もちろんこれからも、誰かと何かをする時に、自分の希望だけを100パーセント通すつもりはない。

だけど、本当の自分の希望は自分がちゃんと知っていてあげなきゃいけないんだと思った。いつも真ん中に私の希望がある状態でいよう。

かつて人生の暗黒期でコーチングに出会い、"自分になる"を探求する旅を始めました🛳️いただいたサポートは自分らしい仕事や暮らしを実現するための活動に使用させていただきます。これからも私の等身大の旅を共有していきます✍️