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自分にやさしくしてあげよう

昨日はnoteが書けなかった。まとまらないし、人に見られることを前提にした文章が書けないと思った。手書きの日記に殴り書きしてから寝た。

信頼できる人たちと近況報告のようなものをしていたら、自分の口から出てくるものが、全部が言い訳のような気がしてしまった。

悔しいし恥ずかしい。周りはすごくて、かっこよくて、眩しい。比較して、余計に恥ずかしい。(一緒にいた人たちは1ミリも悪くなくて、本当の本当に私自身の、私だけの問題)

自分の在り方が、浅いような、低次元なような気がする。なんかもう、そこまで考えた。


もやもやしたまま寝て、起きて。この連休は出来るだけ人との予定を入れないようにしていたから、今日は1日1人で過ごしていた。家にいても、外に出ても、ずっと頭から昨日のことが離れなくて、ずっと考えていた。


考えてみて、本当に今の私の現状は低次元で、浅くて、恥ずかしいんだろうか?と思った。

今私の現状や抱える悩みについては、ずっと向き合ってきた。少なからず進捗がある。何かが変わっている。

「ずっと向き合ってきた」のは私で、「ずっと向き合ってきた」ことを知っているのは私だけ。もちろん、話を聞いてくれていた人がたくさんいた。それでも、「ずっと向き合ってきた」のは私だけなんだ。

そう思ったら、浅いとか低次元とか、「そんなことないよな?」と思ったし、否定してしまったらこれまでの私があまりにもかわいそう。

実際問題、私がもっと自分に厳しくして乗り越えなきゃいけないことはある。あるけど、別にずっとだらだらやってきたわけじゃない。辛いけど向き合って、少しずつでも変化してきたと自分で思える。だったら、自分で自分のことを追い込む必要なんてない。

もっと自分にやさしくしたって良い。

人にやさしくしてもらうことじゃなくて、自分で自分にやさしくすることで、自分を満たそう。それが出来るようにならないと、多分一生満たされないんだろうなと思う。

誰かに「頑張ってるね」って言ってもらわなくても、自分で自分に心から「頑張ってる」って言えるようになる。

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かつて人生の暗黒期でコーチングに出会い、"自分になる"を探求する旅を始めました🛳️いただいたサポートは自分らしい仕事や暮らしを実現するための活動に使用させていただきます。これからも私の等身大の旅を共有していきます✍️