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ニューデリーの街 | 初めての海外旅行でインドへ行く②

3月22日(金)

デリー空港からニューデリーへオレンジラインという経路の列車で移動することになった。空港から地下鉄までが最難関の道であると記事に書かれていたため警戒して空港の外に出たが誰も話しかけてくる人はいなかった。

まっすぐ進んで地下鉄の駅に入る。ゲート前でチケットを買わなければならないのだが、ヒンディー語が分からずかなりもたついた。実はチケット売り場は基本的にお釣りなし、ぴったりの金額を渡さないといけないらしい。ルピーを崩せていないことをかろうじで伝えると隣の駅員に話しかけ、自前のお釣りを用意してくれた。笑顔で優しく、こういうインド人もいるのか、、、と感動した。

地下鉄は驚くほど綺麗で、時刻表もデジタル化されており、日本の地下鉄とあまり変わらない。
窓はシールが貼られあまり外を見れないようになっているが、それでも日本と景観が全然違うことが分かる。ほぼ森、たまに寺院と家がちらほら見え、大気汚染のせいか全体的にもやがかかっている。外に出ると想像よりは全然マジだったが確かに大気汚染の呼吸のしずらさと埃っぽい匂いがした。

意外と綺麗な地下鉄

ニューデリー駅を出て、ひとまずホテルへ向かおうと思いGoogleマップ上に従って歩き始めるとインド人が話しかけてきた。そっちは行き止まりで歩道橋を渡るんだよと説明してくる。確かにこのまま真っ直ぐは進めなさそうだったので歩道橋を渡りはじめるが、さっきの男はずっと後ろをついてくる。しかも誰かと電話している。これは YouTubeで何度も見た旅行会社へ連れて行ってぼったくるグループの手口そのままだった。怖くなり地図を確認するが抜け道がなくそのまま進むしかない。歩道橋を降りると物乞いの集まりに紛れ露商が立ち並ぶ方へ向かうも行き止まり、後ろから「マダム!マダム!」と詐欺師が追いかけてくる。とりあえず物陰に隠れ、近くの地下鉄乗り場へ降り、別のゲートから外へ出た。ちょうどそれがホテルまでの一本道となっており、ついてくる詐欺師の影も消えたため、また歩き始める。道路からレイルウェイの電車の駅を見下ろすとやはり日本と全然景観が違うことに驚く。ホームは段差になっておらず線路の地続きに人が立っている。錆びた電車は交通公園にある廃棄の電車くらいボロかった。

ニューデリーの道路

ホテルを確認し、コンノートプレイスへ向かう。
今回まわる場所はそれぞれ徒歩で30分ほどかかる場所で、全てを歩いて回るのは本当に大変だった。地元の人たちもリキシャーやバスを使っていて、カモられるかもしれないから徒歩で移動、というのはかなり酷な話だったようだ。それもあってかリキシャーの運転手はひっきりなしに話しかけてくる。多分今日だけで100回は No thanks.と言っている。

コンノートプレイスは日本にある40年前の西洋風の建物が立ち並んでいる感じで、道は綺麗だったけれどかなり古びていた。とくに室外機が無数に取り付けられた古いビルや門はすごく綺麗だった。中にはH&Mやユニクロ、スタバなど高価な買い物をする人たち向けの店が並ぶ。花が植えられイギリス領であったことを色濃く残している感じがした。カフェでよく分からないインド料理(ナンの中にマッシュポテトやチーズが入って平たく焼かれたものとチャイ)を食べメインバザールへ向かう。

コンノートプレイス内

メインバザールはデリー最大の市場であり、入った瞬間に「ああ、インドに来たんだ、、、」と思えるようなカオス具合だった。バナナや南国フルーツが道端に盛られ、見たことのないお菓子を詰めた屋台やサリー屋、鞄屋などが所狭しに並んでいる。整備されてない土の道路を車やリキシャーがブザーを鳴らしながら走り、客引きのヒンディー語、車のブザー、物乞いの叫び声でめちゃくちゃうるさい。ニワトリのケージを大量に詰めた荷車やトラックを3人がかりで押す人などもいる。
そしてここへ来て初めて気づいたのだが、二日後はHoli Festivalというカラフルな色の粉を掛け合うヒンドゥー教の祭りの日であり、街全体はお祭りムードになっていた。粉や水鉄砲が露商店で多く売られ太鼓を叩いて回る人たち、holi dayなんだからお金をくれとせびる人たち、すでに粉を掛け合い真っ赤な顔の子供たち、水風船を投げつけてくる高校生男子など、皆が浮かれているのがよくわかる。

私たちはサリー屋で200ルピーのサリーとパンジャーブを買いついでに粉も買ってメインバザールを出た。

ラクシュミーナーラーヤンへは40分ほど歩いたと思う。メインバザールとは違い閑静な住宅地が立ち並ぶ通りを永遠に歩いた。昼過ぎだったこともあり路上で昼寝をする人、おしゃべりをしにバス停に集まる女性、下校途中の高校生などが見られた。路上にはものすごい数の野生の犬がいるが、みんな穏やかで襲ってくるような様子はなかった。それどころか野生の犬と一緒に横になって昼寝をするおじいちゃんがけっこういた。

野犬と昼寝をする様子

ナーラーヤンは14:30までしまっているため早くついてしまいバスの停留所で時間を潰す。14:30になり寺院へ入ると靴箱と電子機器を預け、裸足で寺院を回った。建物は白と赤の城のような見た目をしているが、中は仏教の寺に似たような塗装や壁画が見られ、正面に立つカラフルな立像に向かい祈ったり黄色い花を載せたり、赤い粉を額につけたりしていた。奥の部屋には絨毯が敷かれ、立像の横に座る人が念仏に似たお経を唱えている。アラビア音階の2つのメロディを交互に繰り返し、内容は聖書か何かを当てはめているようだった。メインバザールの喧騒からここへ入ると、そのお経の静かな声だけが響き安心する。
帰りに靴を管理するおばさんがお金を100ルピー払えとせびってきたので外で両替をすると言ってそのまま走って逃げた。

道中の何を売っているかよく分からない露店

最後の目的地、グルドゥワラは本当に綺麗だった。全ての人を平等に救うという理念を幾分実行しているように見える。頭の部分が金色になったタージマハルを思わせるような建物の中を入ると、カラフルなターバンを巻く子どもから老人までが至る所に座ったり寝転がったりしている。全ての人を飢えから守り、生きられるようにと無償のご飯とチャイが与えられる。寺の中は金色に統一され細かいアラベスクが彫られていたりシャンデリアが吊るされていたり、幾つもの天井扇風機が回っていたり、とにかく豪華だった。中央にはグルの眠るベットと思われるものが置かれ、ハルモニアムや太鼓を演奏する人とマイクでお経を歌う人がそれらを取り囲む。お経はアラビア音階で歌われアザーンにも似ていたが、よりAメロBメロみたいなものがしっかり展開されていて聞き応えがあった。ファンの回る涼しい空間と歌声を聞きながら眠る人、目を閉じて瞑想する人がたくさんいた。シク教の人たちは寺や神聖な場所に入る時、床を指で触り、そのままその手を額につける動作を必ず行う。これはシク教の理念である天と地、人と神の合一という部分からきているのかな、とか思ったが、後から調べてみると、「マタ・テクナ」と呼ばれる神の前に謙っていることを示す動作だったらしい。寺院の裏には約50メートル角の人口池があり、水を触ったり周囲でくつろぐ人がたくさんいた。水は濁っていて相当汚そうだったが鯉や小魚がたくさん泳いでいて、中には沐浴する人までいた。私たちも東屋のような場所で休んでいると子どもやおじいちゃんが話しかけてくる。みんな同じ釜の飯を食う人というか、差別なく仲間として話しかけてくるような感じで、ヒンドゥー教寺院に比べるとかなり居心地は良かった。地元のラジオ体操に来た時のおじいちゃんや年下の子たちのような反応だった。

グルドゥワラでの食事の様子

グルドゥワラを出てコンノートプレイス近くの南インド料理屋で米の蒸しパンとカレーを食べ歩いてホテルへ向かった。ホテルへの道は19時を回っていたこともあり少し治安の悪さが増し、人が路上で騒ぐ様子が少し怖く早足で帰宅した。
今考えると朝から昼まで路上や市場にはものすごい数の人であふれかえっていたが、そのほとんどが成人を過ぎた男性だった。子どももたまに見かけたが、女性はほとんど見ることができなかった。平日の日中彼女らはどこで何をしているのだろうか。

夕食のイドゥリとパランタ

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