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季節は春に移り変わろうとしている。荒れた天気を繰り返しながら少しずつ気温が上がり、ふとした瞬間に沈丁花の甘い香りが鼻孔を擽る。

あれだけ反芻していた恋人との記憶は、隅々まで鮮明な彩度で浮かび上がったあの時間は、今は霞がかったようにぼやけてよく思い出せない。楽しかったんだろうなと思いを馳せると苦さばかりが際立って、すぐに掻き消されてしまうようになった。

私はどんな無邪気さで、純粋さで、恋人に笑いかけていたんだろう。何も飾ることなく、素でいられたんだろうか。今はそれすらも曖昧で、人の感情が容易く変わってしまうことに虚しさを覚えている。

もっと上手く立ち回れていたら一緒に居続けることができたんだろうか、そんな意味のない後悔も繰り返し渦を巻く。あの失敗がなければ今の自分にはなれなかったことを知っているし、私たちは根本的に合わなかったと薄々は気付いているけれど。後悔が浮かぶたびに「仕方がなかった」と自分に言い聞かせている。でもきっと、出会った頃から私は何もかもを履き違えていた。

それでも悲しいことばかりではなくて、失恋をした今だからこそわかる深みがある。芸術や自然を、以前よりも繊細に感じ取る感性を身に付けられた。世界の彩度がぐっと鮮やかになって、触れた先からじっくりと奥深く味わえるようになった。失恋ソングが世に溢れている訳もやっとわかった。どことなく虚しさの漂う空気感や、後悔が綴られた歌詞が胸にしんと沁みていく感覚を経験者として知ることができた。
これは救いであり、希望だと思っている。

一人だった頃の自分に戻っていく、そんな感覚もある。冷静沈着で、客観性を貫く、以前のしたたかな私に。それは寂しいようでどこか落ち着きがあって、自分をようやく取り戻せたというような不思議な感覚だ。「おかえり」と、そう自分に言われているような気がしている。

この瞳で見る世界が懐かしかった。知性と静けさに満ちた視界。人から「冷めてるね」と言われることもあるこの瞳が、私は好きだった。

私は自分と同じような哲学を持った人が好きだと思う。どこか寂しさや諦観を纏いながらこの世界を愛している、そんな眼差しの人。そういう人はきっと、私と同じ温度で世界を見つめている。

きっと私は暖かな春を迎える。苦さと懐かしさと新しさの入り混じった感覚で、前に進もうとする度に過去に引き戻されながら、それでも少しずつ過去を忘れて、引き摺って、新たな方向へと足を踏み出す。


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