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自死への道

四月十九日
 今日から二週間僕のある過程を日記として書き留めようと思う。
日々僕が思っている感情や言葉が飛び交う混沌とした日記になりそうだが、まぁそこは気にしなくてもいいだろう。

四月二十日
 最近暑いのか、寒いのかどちらか分からない。
はっきりしてほしいものだ。親がしつこく大学の勉強をしなさいと言ってくる。

四月二十一日
 何でもない日が続くと憂鬱な気分に襲われ、死にたくなる。まだ春のはずなのに気温は二十三度の日がある。春は四季の中から追い出された寂しい存在になりつつあるのかもね、

四月二十ニ日
 大学の講義の予習、復習をしっかりしなさいと親に怒鳴られる。こんな日々はもう懲り懲りだ。でもこうなったのも無理はない。全部僕の決断がもたらした結果なのだから。

四月二十三日
 腕の毛とすね毛を剃った。すね毛は強く剃りすぎてふくらはぎの後ろの方にかさぶたができた。
そして、バイト終わりお風呂入って江國香織の小説を数頁読んだ。

四月二十四日
 もう限界に近い。死にたい。死体がただひたすら動いている感覚だ。もう生ている心地がしない。一体僕は何の為に生まれてきたのだろうか。まだ一縷の希望を見ているのだろうか。

四月二十五日
 今日は一週間の中で一番楽しみな水曜日がきた。なぜならバスケのサークルがあるからだ。僕にとってこれが一番の生き甲斐になりつつある。嬉しく思えばいいのか、虚しくなるのか、この日になるといつもこう考えてしまう。

四月二十六日
 今日は早く朝起きた。すね毛は前剃ったはずなのにもうチクチクしてきて少し気持ち悪かった。これが女の子が嫌がるすね毛なのだろうな。早く脱毛をしたいな。

四月二十七日
 死にたいとは思わない。珍しくね。なんだか気持ちが晴れやかなんだ。憂鬱な気分になったとしてもなんとか乗り越えられると思う。今もこれからもね。

四月二十八日
 あれ?ここは現世?それとも地獄?今日は心が痛む。身体に不調と見られる兆候はない。でもなんでだろう。心が空っぽなんだ。

四月二十九日
 まただ。また親に怒られた。大学の課題をやらずに部屋でスマホをいじっていたからだ。僕は生てきた中で勉強に関して一回も褒められたことがない。多分。死にたくなる春が過ぎて欲しいな、

四月三十日
 もういいや。日記を書くのはおーしまい。
なんか面倒くさいさいんだよね。いちいち。
難しい言葉を使わないとって無意識に思うし。

五月一日
 結局日記は続く。習慣になったものは中々やめられないらしい。煙草がもうすぐでなくなる。新しく買わないとね。買うならいつもの家の裏のコンビニにしよう。

五月ニ日
 煙草を二箱買った。青のハイライトだ。ブンさんという僕の好きな人が吸っていたこれを吸うようになった。ブンさんと仕事したかったな、ブンさんのインスタフォローしてるし、noteもフォローしてる。いつかフォロー返されないかな、

五月三日
 本を一冊読み終えた。僕は積読しがちで一ヶ月前に買った本をまだ読んでいないということがざらにある。この癖を早く直したいものだ。
 そして、今日が日記を書く最終日だ。この日記を遺書にしてもいいだろう。それとも個展みたいなものを催して人に読んでもらうのも良し。実はこの日記は僕が死ぬまでの過程を書いていたんだ。そして、この日記を書き終えたこの日に僕は死のうと思う。家族とも友達ともお別れだ。最後の日記がこんなに長くなってしまった。家の前に咲いていた桜はもうほぼ散っていた。

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