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波乱万丈だった2019年を振り返る

こんにちは。カンボジアのキリロム工科大学に通いながら、ブログやツイッターで大学生活などを発信しています、ゆうみです。



さて、2019年も終わりに近づいてきたということで、一年間の振り返りを。。。今年はとにかく濃かった。2019年を一文字で表すとしたら「濃」ですね。来年はもっと濃い一年にするつもりですが。


早速一月から振り返りを・・・


ちなみに短いバージョンはこれです(笑)


センター試験で頭がいっぱいだった一月


ブログにも書いてありますが、私は一年上京して浪人し、最終的にキリロム工科大学にたどり着きました。今年大学一年になったばかりなので、1月はまだ受験生(浪人生)。まだ浪人してた時期だったんだなという実感があまりないです。


詳しい話はブログ記事で!


1月はセンター試験。毎日ひたすらセンター対策やらをしたのを覚えています。駿台の寮にある自習室にいるみんなで時間を計ってセンターを解いて、点数を言い合ったり。切磋琢磨していました。

センターの試験場は東大。後ろに座ってる子も斜め前に座ってる子も、話を聞く限り東大志望の現役で正直めちゃくちゃ焦りました。


世界史・地理・英語で絶好調だったものの、国語を解く直前頭痛に襲われ、「これは終わった」と思ったのを今でも覚えています。

英語のリスニングではあの話題になったマスコット問題がしょっぱなから出て、笑ってしまいました。席が一番前だったので試験官が前に座っていたのですが、試験官も苦笑い。あれはほっこりしましたし、緊張がほぐれましたね(笑)


寮に帰って「採点したい・・・」という気持ちを抑えながら二日目の理系科目に向けて勉強しました。一日目の後の勉強って正直なにも頭に入らないです。


二日目は理科が絶好調だったものの、苦手意識の髙かった数学で撃沈。寮に帰って採点し、「いい点ではないが足きりは突破できるだろう」と希望を胸に二次試験の勉強を残りの一月はひたすらやっていました。


初めて東大を受験した二月


無事足切りを突破し、二次試験へ向けて勉強。赤本や青本をリュックと手提げにできる限り詰めて、あのお茶の水の坂を行き来したのをよく覚えています。

交差点で信号が青に変わるのを待てず道を渡るサラリーマン。

人がいっぱいの自習室。

金曜の帰り道にすれ違う酔っ払い。

学校が休みで予備校に来るたくさん現役生。

お昼にできるコンビニの長蛇の列。

浪人仲間とたまにする散歩。

短かったけど、長かった、二次試験までの日々。しんどかった。早く終わってほしかった。


二月は本当に勉強して、寝て。この繰り返しでした。

でもたまに友だちと話す時間、おいしいものを食べる時間、そういう何気ない短い時間のありがたみが身に染みてわかりました。


二次試験当日。あまり思い出したくはないけれど、あの東大という憧れの空間で受験ができたことはこの上なく幸せでした。


文系科目が終わった二日目。切り替えのために髪を染めようと思った矢先、渋谷駅でヘアモデルのお誘い。なんやかんや運は強い方なのかもしれないです。


泣きまくった三月


今までで一番泣いた月かもしれません。


見つからなかった自分の受験番号。浪人仲間の合格の報告。落ちたという現実を受け入れられずに落ち込んでいる自分と、大好きな仲間たちの報告を聞いて喜ぶ自分と。


泣きながら見たお台場の海は一生忘れないと思います。


そして、一年間を共にした寮の友達との別れ。

寮の友達は、ただの友達じゃあないんです。言葉では表現できないような「なにか」でつながっている。今までもこれからも私のよりどころの一つです。


そして後期試験の不合格通知。

ただ、このときは数分泣いただけだった。なんとなく察していたからかもしれません。「受かるよ」という周りの言葉はその時否定はできなかったけれど、自分の中のインスティンクトで、なんとなく結果がわかっていたのかもしれません。


新しいことだらけの四月


カンボジアのキリロム工科大学。

四月に私はここに合格し、そして数週間後にはカンボジアの山の中にいました。


あっという間すぎて、あまり覚えていません。

高校時代の親友と尾道。浪人仲間と東京でお別れ。その後はもうカンボジアにいました。


バイクだらけで交通マナーなんてまるでないかのような道路。

道端に落ちるたくさんのゴミ。

看板のクメール語と中国語。

ジロジロ見てくるカンボジア人たち。


これが到着してすぐの、最初の印象かもしれません。

しかし、買い物をしに初めてプノンペンを散策して、カンボジア人の温かさに触れ、活気を感じ、発展を目にしました。


なにもかもが私にとっては新鮮でした。


モチベが最高潮に達した五月


キリロムにもなれはじめ、とりあえず勉強意欲が凄かったです。


教科書を読み漁ったり、本をたくさん読んだり。

ただ今の私からするとインプットの鬼でしたね。アウトプットがなかった。


ストレスが溜まり始めた六月


同じ学科のみんなでプロジェクトをこの時期から始めたのですが、日本人以外とプロジェクトをするのは初めてでなかなかいいようにいかなくて、ストレスがたくさん溜まりました。


振り返ると、全部自分で頑張ろうとしていたんです。他人に頼らず全部自分がやってしまっていて、それでコミュニケーション不足が起きたのだと思います。


同じメンバーで今もプロジェクトを何個かやっていますが、お互いのことを理解するようになったため、私も相手もたまに頼りあいながら物事を進めるようになりました。成長を感じますね。


もっとストレスが溜まり始めた七月


七月は人間関係でストレスが溜まっていました。

今思えば些細なことでしたが、ストレスが溜まっていると過剰に反応してしまうみたいです。よくないですね。


そしてこの時期は大学を辞めようかと一番思った時期でした。親にも相談しましたが、思いとどまりました。

今はキリロムに残ってよかったと思います。


病んだ八月


六月・七月・八月は本当に大変でした。


八月は恋愛で悩まされました。

カンボジア人からの猛アタックに精神的に疲れ、その上遠距離のつらさ、自分の弱さが重なって大事な方とお別れをすることに。(実際お別れしたのは九月ですがいろいろあったのは八月)

まあ、今でも連絡とったり話聞いてもらったりしていますし、私にとってややはり頼りになる存在です。


経験をたくさんした九月


九月はたくさんのイベントがありました。

初めてのオープンディスカッション。(簡単にいうと理事長へのプレゼン)

初めての学校で行われる誕生日パーティー。

カンボジア在住日本人が集まったソフトボール大会。

フィリピン旅行。


病んではいたものの、たくさんの人と会い、いろんなことを経験できた月でした。


日本にやっと帰れた十月


十月の約半分は日本にいました。実家のある岡山には帰らずに東京へ。


会いたかった人にたくさん会い、いまやってることやこれからについて語りました。


美味しいものもたくさん食べました。


日本から帰った後はカンボジア人の友達10人ほどと初シェムリアップへ。

カンボジアのことをもっと学んだり、友達のことをもっと知ることができました。


やりたいことをやりまくった十一月


十一月は自分が好きなことをとことんやりました。

本を読んだり、ツイッターで活発に発信するようになったり。

ブログもなんとなくではなく、今までの記事を分析したり、ブロガーの方のブログを参考にさせていただいたりして、成長が見られた月でした。


10月から入ってきた8期生のカンボジア人学生ともたくさん交流しました。


プノンペンにもたくさん行き、カフェを探したり、普段いかないような店に行ってみたり。インプットとアウトプットができるようになった気がしますし、行動力も依然と比べてつきました。


一時期、自分が何をしたらいいのかわからず、ただ淡々と毎日を過ごしていた時期もあったのですが、「手足をとりあえず動かしてみたら」というアドバイスを受け、実行してみると毎日がなぜか充実していくようになりました。やはり頭で考えるだけではだめ。行動が大事だということに気づきました。


人生が180度変わった十二月


2019年最後の月である十二月は、もっとも濃かった月かもしれません。


興味本位で参加したミノンペンフェス。

情熱を持った人々が集ったあのフェスは私をより熱くしました。

世界中にパッションを持った人たちがいるコミュニティ「箕輪編集室」に入りたいと思いました。


そして東南アジア割ができた当日での参加。

数日後に立ち上げた「ランゲージスタディ部」。

第二回ミノンペンフェスのサブリーダー。


何かを作り上げていく楽しさが箕輪編集室では入った瞬間感じられました。


そして、よくよく考えてみると、私の行動力はキリロムで養われたんだと気づきました。


もともと行動力がないほうではなかったのですが、大学入学までの自分は敷かれているレールの上をまっすぐ、はみ出ることなく歩いてきました。


キリロムは自分からアクションを起こさないと、なにも変わらないし、することがないように感じながら大学生活を送ることになります。そういう環境の中に約半年いたからこそ、自分でアクションを起こすことに対しての恐怖心がなくなったのだと思います。


そして、アクションを起こすとき、周りの人は助けてくれます。キリロムでは理事長をはじめ、日本人スタッフ、教員、先輩、同期、後輩がアドバイスをくださったり、協力してくれます。


自分が気づかないうちに、マインドセットや価値観などが変わっていました。そういう意味でもこの2019年は私の20年の人生の中でも大きな転換期となったと思います。


2020年、目標はもちろんたてるつもりではありますが、過去の私がカンボジアに住むことになるなど予想もできなかったように、2020年なにがあるかなんて知ったこっちゃありません。ただ自分が楽しいと思うことを追求し、挑戦していこうと思います。


28日からベトナムへ行き、ラオスで年越しします。

皆様どうぞ、2020年もよろしくお願いいたします。






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