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【1分小説】encore

ずっと耐えていました。劇場の香りがして、席について、舞台を眺めてしまったらもう、だめでした。いつも夢で見る景色。死ぬほど逃げてきたつもりだったのに。私はその時からすこしも、離れることができていませんでした。

未練。

怪我をきっかけにバレエから離れ劇場を訪れるのは久しく、というか、劇場に足を運ぶのを無意識のうちに避けていたんだと思います。友人に誘ってもらえていなかったらたぶん、行かなかった。客席の傾斜を、香りを、リノリウムと踊る足音を、今にも観客を喰らおうとする「舞台」という重力を、目の前にするのが恐ろしかった。だって私はもうそちら側には立っていない。私は拍手を贈ることしかできないからです。そんなわかりきったことを、確かめたくなかったからです。でもとうとう来てしまって、内臓を掻き回されるような気分をどうにか治めたくて、もうとっくに治っている傷跡を押さえつけていました。

別に、やめなくたって良かったんです。怪我はいずれ治る。踊りたいのなら、踊り続ければ良かった。私は怪我を言い訳に自分から逃げだしたんです。齢15にしてこの人生の行末を確定させる覚悟がなかった。もしかしたらそんな私の逃げ腰な姿勢が、怪我を招いたのかもしれません。でもこれを言ってしまったら格好がつかなくて、親にも友人にも本当のことを言えなかった。全ての責任を、傷口になすりつけた。

スタンディングオベーション。痛かった。私のつまらないプライドが傷口をまた抉り返したからです。でも、やめてよかった。バレエをやめてよかった。私は今、バレエを踊らない私の人生を上手く描けなくて、ああでもないこうでもないと、悩んでいる。こっちの方がよほど、愛おしいんです。

今でもバレエが、舞台がだいすきです。固執は悪じゃない。どんなカタチであれ誰しもルーツはあるはずで、私はここからきています。
だから幕切れまで。すこしだけ。あと、もうすこしだけ。

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