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では、人類以外の「善」とは何か。

伝統はなぜ素晴らしいのか?

「伝統的」という言葉には「100年以上継続して伝承されてきた」というニュアンスが含まれるようだ。
100年以上となると最低3世代の継承が必要。
3世代となると「自分のやり方」みたいなのをやりたくなる人も出てくるはず。
そこをグッと堪えて師のやり方をそのまま受け継ぐ。

日本は「伝統工芸品」と「伝統的工芸品」の2つがあるようだ。
要は経済産業省が認めるかどうかで、後者がそれ。
裏を返すと「認定されてないが100年以上継承されてきてる工芸はたくさんある」ということになる。
認定に興味がないか、認定してもらうまでのプロセスを知らないか、認定自体を知らないか、のどれかだろう。
認定は自治体から省にお伺いを立てることから始まるらしい。

国として伝統を守ろうとするのは「文化を守る」ということだろうが、そのままインバウンドに結びつくし、そもそも国としての歴史がそのまま国の威厳となるのだろう。
それくらい歴史や伝承や血筋のような「絶えなかった事実」を大切にしているということだ。

そこで疑問が湧く。
「絶えなかった事実」はなぜ尊いのか。

時代や環境によって善悪は変わる。
よく言われてる「戦争中は人殺しが正義になる」とかいうアレだ。
移り変わる価値観の中でも「絶えなかった事実」だけはいつの時代もどの環境も善いとされる。


そもそも善悪とは何か。
普遍的な基準はあるのか。

辞書の定義では「道徳的に正しいこと」とある。
道徳とは社会規範とういう仮説が成り立つ。
裏を返すと自分以外がいなくては善悪などなくなるということだ。
つまり善悪というのは人間が後から名づけただけ。

世界には異なる地域、人種、文化の数だけ「善悪」は存在する。
善を探すのはそれらの共通項を探すことだ。
共通項が生まれた理由を探すことだ。
自然現象として考えると人類最初のコミュニティから生まれた道徳が「善」でそれが継承されて今に至る。
普遍的な道徳。
普遍的な善行。

では、人類以外の「善」とは何か。

「すべての」と言い切れるかは分からないが、親が子の命を守るのは種の保存としては自然現象。
つまり「助けること」は善。
自分自身も助かることは善。

助けることと助かること。
つまり生きること生かすこと。

より根底に「生きる」がある。
種の保存、継続。

「続くこと」こそ善。
「終わること」は悪。

社会規範のある人類的コミュニティでは「終わること」も善となることがあるが、「続くこと」は限りなく普遍的な「善」。

「伝統」は根底では「種の保存」と同じという事だ。

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