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どこ

先日折坂悠太さんのライブへ行ってきた。

別居、離婚、緊急搬送を数回、入院などを経験した私はすっかり老け込んだ。排水溝へ溜まってゆく大量の髪の毛。明らかに皺の増えた顔。半日も外出すればへとへとで、回復まで丸二日かかる。
「まだお若いですから」と、この年齢になっても時々言ってもらえるが、一体私は何歳だろうか。

入院中、最後の一般販売のタイミングで折坂さんのチケットを買った。この日に私はライブに行けるのかどうか、ある種の賭けだった。
当日は緊張からか食欲不振、軽い睡眠不足になってしまったが、できる限りのことを施してなんとか終演まで楽しむことができた。折坂さんのライブに足繁く通う私は、いつも彼の澄み渡った音楽を浴びては涙する。

「いや〜楽しいですね」
髪をぼさぼさにして、安堵したように笑う。いつまでも変わらないものがここにあるのだろうと期待してしまう瞬間だった。歌い、吠え、語る折坂さんは、初めて音楽にふれた瞬間を鮮明に蘇らせてくれた。

"今私が生きることは 針の穴を通すようなこと"
命からがら今日まで生きて、ここに辿り着いた私は、肩を震わせ泣いた。嬉しいお知らせですと、アルバムの発売とツアーの発表。都度拍手が起きる。ああ楽しかった。とても純なものに触れた。私はなにをしたいか、どこへ行きたいか。頭が動き始めた。

そこから退場する人々を眺めていると、またしても過呼吸が起きてしまった。ああ、やってしまった。こんな人間が来るところじゃなかった。こわくないよ、こわくないよ。目を閉じて波が過ぎ去るのを待つ。
幸い会場の方に丁寧に対応してもらい、友人が落ち着くまで通話してくれた。とてもじゃないけれど電車では帰れなく、お金を払ってタクシーで帰った。


生きることは難しい、私にとって。当たり前に生きて、その先にある娯楽や経済活動や人生を進めていく人たちに触れては、私はどこへ行くべきかわからなくなる。
ごはんの味がするのかしないのか、眠れなかったのか、あやうくしんでしまうところだったのか。その縁を歩みながら、日々を繰り返す。
「私にはまだ」「お金がないから」「無理できないよ」
じゃあ尚更どこへ行こうか。面白いほどに変わり映えのない生活だ。健康になりたいという、たったひとつの思いが私を囲う。この中で何をしろと?無理して外に出ればまた過呼吸だ。心無い人に出会ってしまえば一週間は失う。

ひとりとは寂しい。ライフステージの上がる友人たちは、守るものが増えていく。誰かここにいませんか。この囲いの中で、私と共に、なんてことない話をしたいのです。私はどこにいてどこに行きますか。まだ生きていますか。

おいしいご飯を食べるにはどうしたってお金が必要