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どんな自分も愛そう(上)

過去に語ったように、私は関東で生まれ関東で育ったが、就職先の配属により宮城県の仙台市で晴れの社会人デビューを飾った

家族はもちろん、友人や顔見知りの人すらいない地である杜の都の冷気は私の孤独を刺激するのに十分過ぎる寒さだった

覚える事の多い社会人1年目、週5〜6でサラリーマンをしている私に与えられた束の間の休日を共に過ごす相手はこの街に居ない

TikTokを眺めるだけの砂を噛むような毎夜を過ごす私に1通の通知が届く

旧友が私に関連する内容のストーリーを更新した際のメンションによるものだった

思えば宮城に来てからインスタグラムの更新をほとんどしていない
正確には更新する内容がなかったのだ

これを機に久しく閲覧していなかった友人達のストーリーを拝見した

そこには地元の友人で集まって楽しそうに飲み会をする様子や、恋人と都内で綺麗な夜景をバックに記念日を祝う華のあるデートをしている様子、家族と旅行をしている様子が載せられていた

私が喉から手が出るほど欲していた日常がそこにはあった

偶発的に彼らの過ごす煌びやかな日常と、味の無いガムを噛み続けているような自分の日常を比較し、自分を卑下した

自身で勝手に生み出し、そして育て上げた劣等感はやがて私の心を蝕むようになる

私はその日を境にインスタグラムの閲覧をやめた

人の幸せを妬むようなつまらない人間にはなりたくなかったからだ

いや、他人の"綺麗"だけを切り取って貼り付けられたインスタグラムというコンテンツを見て他人と自分を比較する私はもっとつまらなく、そして情けない人間だ


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(下)に続く

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