【読んでみた】絶歌

救済です。

1年に一度、何度も読みたい本が見つかれば上等だと思っている。

昨日も例のごとく、図書館で過ごした。読みたい本を、司書に書庫から取り出してもらう時の気まずさ。ましてや、平日昼間っから、ニートです!と言わんばかりの恰好で、出庫を頼むのは気が引ける。加えて、図書館協会で物議をかもした本なんて頼みづらかった。スタッフは誰がどの本を読もうが気にしてないだろうが、こちらは多少緊張する。

今日は推しのバイブルを読んでいく。僕の推しは、凶悪犯罪者を信仰している。中でも、神戸連続児童殺傷事件を実行した元少年Aを。推しの背骨に当たる思想を構築した人間の文章を読んで、改めて嚙み砕きたかった。共感できなくても、せめて納得してみたい。

絶歌/元少年A

神戸連続児童殺傷事件の犯人によるルポ。全てがノンフィクション。事実は小説よりも奇なり、そんな表現が似合う一冊。

本書は2015年の発売の際、随分モメた。凶悪事件の犯人による自筆というだけで話題に上るが、追い打ちをかけたのは被害者家族への事前連絡がなかったためだ。著者である元少年A印税が入ることに不満を抱いた層もいた。また、出版社も金儲け主義だと非難を浴びせられた。

第一部では、幼少期の自分を振り返るシーンから更生施設までの足取りを描いている。第二部では、少年院を出てから、現在に至るまでの軌跡を描いている。一部と二部ではそれぞれ書き癖が異なる。第一部には事件の流れと心理、心理を裏付ける思想の根底が中心になっている。第二部では、施設出所後の足取りとその時の心情が主だ。現在に近づくほど、心理的な表現が減少している。まだ少年Aの中で、今現在の心理をまとめ切れていないのかもしれない。あるいは、出版社の圧で罪悪感と謝罪の要素を追加したのかと思わせられた。何にしろ、著者の内側が顕れているのは第一部だと思う。

一部の読者の間では、ゴーストライターが脚色を加えて書いたともいわれている。他作品の引用や語彙の多さ故に、そのような説が浮上したんだろう。凶悪犯罪者で、中学校の途中で施設に送られることになった少年が到底書ける表現ではない、そう思わせる文章だった。ただ、予想を凌駕するサイコパスな行動を裏付ける心理と、猫の殺傷描写の鮮明さから見て、本人の文章だと思った。不思議と恐怖感はあまり感じられなかった。それは、殺傷時の心理に納得がいったからだと思う。

大衆が期待するような、殺人シーンの細かな描写はなかった。一方で、聴取でひた隠しにした殺人の根底にあった心理は暴露されている。少年Aにとっての『ここまでなら言える』ボーダーラインがひかれてるように思えた。幼少期の一つ一つのエピソードの描写は、実に鮮明で、その後の心理・行動に結びついていた。彼の見える世界に存在する全てを記憶しているようだ。同時に感情・心理をも記憶しているようだ。被害者男児に対する歪んだ愛情・性倒錯の由来まで到達できた。共感は無理にしても納得までは辿り着けた。

エピソードの描写とは別に、表現しにくい精神世界を実世界のモノになぞらえて説明していた。実在しない概念や心理の根底を描くことは難しい。2人の読者が全く同じ文章を読んでも異なる景色を浮かべるのと同様に、著者と読者の間には価値観の差がある。ましてや凶悪犯罪者と一般人の間の価値観には大きな溝がある。その溝を埋め立てたのは、心理や概念を目に見えるモノに置き換える考えだ。彼は「死」という概念と「死体」実体を結び付けた。

全体を通して、本書は一般人の読者が求めていた懺悔の書ではない。到底共感できない凶悪犯の殺害時の心情なんて、見て楽しいものではない。少年Aの社会復帰を望まない人も多い。ましてや人並みの生活を送っている様子など見たくないのだろう。万人に勧められるような本でないことは明らかだ。それでも、自分と異なる思想とその由来に触れられる一冊だと思う。

先日、コロナの報道を差し置いて注目された立川ホテル殺害事件。被害者女性を持っていたナイフで70個所めった刺しにした犯人も、特別な思想と価値観の持ち主だったのかな。他の価値観が確かに存在すること、それを認めることを、凶悪事件のたびに強いられる。それならいっそ、人が死ぬ前に、思想に殺される前にその信条に触れたい。そう考えさせられた。

また一歩推しに近づけたかな。




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