杉田俊介と山上徹也の革命の問題

杉田俊介が山上徹也について書いているいくつかの文章を読んだ。
それらについて僕は何か納得いくような印象を受けなかった。それは杉田自身の迷いが文章に反映されているからかもしれない。と同時に杉田は山上の「革命」(僕はそれを革命だとは思わないが、杉田がそう書いているのでこう書く)について読み違えているからではないかとも思われる。

革命とは一般的には大規模な社会変動とか制度改革のことを言うように思う。もちろん技術的発展や思想の進歩を革命という場合もあるが、政治に対して適応する場合は前者の意味がふさわしいだろう。

杉田がいくつかの文章で書いている「革命」は改革とか改善という言葉で足りるのではないだろうか。革命というほど大規模なものではないように思うし、そこまで強い語を使う必要が見いだせない。

山上は事件前、杉田の文章に対し引用リツイートをしていた。そのツイートでは杉田の文章について「だが~」という風に書かれていた。
山上の「だが」のツイートは今読むと「誰かを恨むでも攻撃するでもなく」のところにかかっているのではなく、むしろ杉田の同じ一文の少し後に書かれている「革命的な実践」の方にかかっているのではないか、という風に思われる。

一般的に革命を欲するのは社会がラディカルに変わって欲しい人々、それによって状況が改善することを望む人々である。杉田は次のように書いている。

誰からも愛されず、承認されず、金もなく、無知で無能な、そうした周縁的/非正規的な男性たちが、もしもそれでも幸福に正しくー誰かを恨んだり攻撃したりしようとする衝動に打ち克ってー生きられるなら、それはそのままに革命的な実践そのものになりうるだろう。

『男が男を解放するために 非モテの品格・大幅増補改訂』杉田俊介(2023)Pヴァイン P.193

しかし、杉田の言う革命的実践はあくまで心の持ちようと生き方の話で、革命的実践をする人が増えたところで社会にそういう人が増えた、という話でしかない。
上で言うような弱者男性たちが幸福に正しく生きたとき、それは「革命的な実践」ではなく美しい暮らしではないだろうか。それ自体は素晴らしいことである。だが、それを革命と呼ぶのか。社会像、社会観の変化等あるかもしれないが、00年代、10年代と現代で社会像、社会観が変わっているとしてそれを革命とは呼ばないだろう。もっとも「革命的な」実践であるから革命ではないと言われればそうなのだが。

金もなく、無知で無能な周縁的/非正規的男性が幸福に正しく暮らすためにはどうすればいいのだろう。杉田はこの問いを実存の問題として、心持ちの問題として片付けてしまった。
サルトルの実存主義は文字通りの意味での革命(マルクス主義)とそれへのアンガージュマン(参加)につながっていた。

杉田の「革命的な実践」を「だが」と言って否定した山上は暗殺という行動を起こした。それを見た杉田は山上の行動を「革命」と呼んだ。
つまり「革命的な実践」を「だが」という言葉で受け入れつつも拒否した人が、杉田が「革命」と呼ぶような事態を引き起こしたことになる。
ここには杉田の批評、評論における重大な瑕疵があるように思えてならない。

杉田の「革命」の用法としてあくまで内面の話である、ということができるのかもしれない。「革命的な実践」にしても山上の「革命」にしても内面の変化、衝撃の話だということかもしれない。
しかし、杉田の内面に衝撃をもたらした山上の「革命」は見えるものであった。テレビや新聞で報じられるものであった。
山上が杉田の言う「革命的な実践」をしたところでそれは可視化されていたのだろうか。杉田は知る由もないそれを「革命」と呼ぶことができたのだろうか。

杉田は「革命」は「理論」と「運動」によるものであるべきだ、と述べている。しかし、杉田が山上の行為を「革命」と呼んだとき、それが杉田にもたらした衝撃によって、つまりショッキングだったから、「革命」と呼んだのではなかったか。
だとすれば杉田の「革命」、その「理論」と「運動」は同程度の衝撃をもたらしうるものであるべきではないだろうか。
直近の評論ではポスト資本主義的であり、小文字の共同体で大文字の政治にコミットする、というようなことが書いてあるのだが、それは人々に衝撃をもたらすのだろうか。
そうでなければそれは「革命的な」実践であっても「革命」ではないだろう。そしてそれは「革命」を望む人にとっては「だが」という言葉で再度拒否されるのではないか。

杉田は評論において「革命」という語をこのまま使い続けるのだろうか。

参考文献
・「二十一世紀のニヒリズムに抗した『ひとつの革命』」杉田俊介(2022)
『7・8元首相銃撃事件 何が終わり、何が始まったのか』河出書房新社
・「山上徹也の革命・・・・・だが・・・・・」杉田俊介(2023)
『対抗言論 反ヘイトのための交差路 3号 差別と暴力の批評』法政大学出版局
・『男が男を解放するために 非モテの品格・大幅増補改訂』杉田俊介(2023)Pヴァイン
・「“首なし” たちのユートピアのために──ゴジラ・首・すみっコぐらし」杉田俊介(2024)週末批評
https://worldend-critic.com/2024/01/13/kubinashi-sugitashunsuke/


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