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断髪小説 弟子入り②

おじいちゃんの影響で子どもの頃から落語が好きだった。

おじいちゃんは学生の頃、落語研究会で活躍していてプロの噺家を目指していたが、親に反対されて教員になった。そしてアマチュア落語家として地域のイベントや福祉施設の慰問をしていた。
落語のCDもたくさん持っていて家の中でよくかけていたものだ。

そんな環境の中で育った私は自然と噺を覚えていった。
おじいちゃんに稽古をつけてもらい、おじいちゃんといっしょに納涼祭やデイサービスで子ども落語を披露し、人前で演じることの楽しさを覚えた。
高校の時に受けたアイドルグループのオーディションでは特技のアピールで落語を披露して合格。
芸は身を助けるとはこういうことなのだろう。

デビューからしばらくして、大物落語家の師匠に同じグループの子3人で密着取材をする仕事が入った。
後で知るのだが、師匠とおじいちゃんは高校時代に交流があったらしい。
師匠は好奇心旺盛で、私たちのようなアイドルグループのことも知っていて、取材の時も優しくニコニコと接していただいた。

しかし、自宅で弟子に稽古をつける撮影から「ここからはマジだからな」と突然表情が変わった。
奥の和室に入ると、色が白い角刈り頭の弟子が正座をして待っていた。
弟子は師匠が来るとさっそく噺を始めた。声を聞いて驚いたのは角刈り頭の弟子が女性だったことだ。
師匠は噺をジッと聞いている。場の空気が支配されている。
弟子の噺は上手だった。
噺が終わると、弟子は深々と頭を下げて教えを請い、師匠は話の仕方や仕草だけでなく、江戸庶民の文化などを教えている。
口調は少し厳しいけど真剣に弟子に教えていることが伝わってきた。

昼すぎに師匠は寄席に向かった。
私は客席で師匠が一席披露するのを見学した。
お囃子が演奏され、師匠が登場すると客は大きな拍手で迎える。
そして師匠が座布団に座り、扇子を目の前に置いて頭を下げた瞬間、華やいだ会場の中に結界が張られたような空間が師匠の周りに作られた。
噺のネタは昔CDでよく聞いたおなじみの古典だ。
だけど師匠の話芸と粋な仕草にあっという間に会場全体が引き込まれていく。これぞ名人芸。私はすっかり話芸の虜になった。

それからと言うもの、私は時間があれば師匠や弟子が出演する寄席を探して通った。やがて師匠と顔見知りになり食事に連れて行ってもらったこともあった。
実家のCDを持ってきては噺を覚えて、一人で稽古もした。
落書きへの思いは募るばかり。ロケから3年が過ぎた。
ついに落語の世界に飛び込もうという気持ちが止められなくなり、グループから卒業することを決めた。

下積み時代は貧乏暮らしだ。
卒業するとすぐに安いアパートに引っ越して、師匠に弟子入り志願を始めた。
寄席や楽屋の出口で師匠を出待ちして何度も頭を下げてお願いした。
でも「アイドルの世界と落語の世界は違う」「アマチュアとプロの芸は違う」「私じゃなくて他の師匠に弟子入りしなさい」と今までとは違い冷たく断られ続けた。

それでも私は諦めず通い続けた。
4ヶ月目にようやく「明後日、うちに来なさい」とだけ言われた。
まだ安心できないが扉が開いた気がして嬉しかった。

師匠の自宅に伺う日が来た。
今まで何度かおじゃましたことがあったが、これまでのようなお客さんではないから緊張する。インターホンを鳴らすと、キノコのような刈り上げ頭をした弟子が出てきて、奥の和室に案内された。この人は二つ目のつるりん姉さん。初めてロケに行ったとき師匠に稽古を付けてもらっていた時にいた角刈り頭だった噺家だ。
電話なのか来客なのかわからないが、別の部屋から師匠の話し声が聞こえてくる。
しばらく待つことになりそうだ。

ドキドキしながら正座をして待っていると、姉さんが「なんでアイドル辞めてまで噺家になりたかったの」と聞いてきた。
私は自分の思いを打ち明けた。
姉さんは師匠の弟子のなかでただ一人の女性だ。姉さんは私の話を聞きながら、自分の弟子入りの時からこれまでの苦労を語ってくれた。
ただ、それは私に噺家になるのをやめるように話しているものではなく、これから待ち受ける様々な苦労を受け入れる覚悟があるかを確認しているようだった。

あとは、私をリラックスさせるようなおしゃべり。やっぱり話のプロだ。面白い。
姉さんはお寺の娘で弟子入りの時に「弟子入りできないなら山に修行に行く」と、丸坊主になって師匠に志願をしたらしい。それからも女性だからといって特別扱いされるのが嫌で、前座時代は兄弟子と同じように角刈りで通したことも話してくれた。
髪が短い方が落語を演じる際、老若男女どの人物でもそれらしく演じやすいし、顔の表情も分かり易くなるメリットもあったからよかったと言っていた。

「今は女性の噺家がたくさんいるけど、誰もそんなことしている人はいないし、師匠も戸惑ってたから真似しちゃ嫌よ」と笑っていたが、最近注目を浴びている姉さんのルーツを聞いて改めてすごい人だと思った。

師匠が部屋に入ってきた。
姉さんは横で話を聞いてくれている。
手をついて師匠に弟子入りを志願すると、師匠はあっさり入門を許可してくれた。
そして「しばらくは前座見習いとして師匠の家に通い、雑用をしながら作法を習いなさい。」「いろいろ準備もあるだろうから3日後の朝から来なさい。わからないことがあれば、姉さんに聞きなさい。」とだけ言うと、さっさといなくなった。
私はいっしょにいてくれた姉さんに改めての挨拶とこれからの準備などを教えていただくと師匠の家をあとにした。


次の日の夕方、私は姉さんに聞いた理髪店に向かった。
心機一転。アイドル時代の自分と訣別し、噺家としての第一歩を踏み出すために、私もばっちり角刈りにして修行に励もうと思ったからだ。
これは師匠や姉さんの意向ではなく、あくまで私の気持ちからの行動だ。
姉さんも「そんなことしなくていいよ。」と言っていたけど、心機一転したいのだ。
アイドル時代の私は髪を伸ばして緩くパーマをかけていたが、事務所を辞めてから4ヶ月以上何もしていなかったから少しだらしなくなっていた。

姉さんが教えてくれた理髪店は下町の商店街にあった。この店は師匠も通っている。古い佇まいで店の壁には師匠が今度出演する演芸会のポスターが貼ってある。
ドアを開けると年配のおじさんが出迎えてくれた。私はすぐに手荷物を預けてコートと帽子を脱いで長椅子に置き、後ろで束ねていた髪を解くと大きな散髪椅子に座った。
あらかじめ今日のことは電話で伝えていたので、おじさんは多くを語らない。
「本当に師匠たちと同じ髪型にするのかい」とだけ首に白いタオルを巻きながらおじさんは確認をしてきた。

「はい。ビシッと角刈りでお願いします」と私は返事をした。
おじさんも白髪混じりの髪をビシッと角刈りに決め、糊のきいた白い制服を着ていて、いかにも職人気質という印象だ。

大きなケープが身体にかけられると、霧吹きでシュッシュッと髪を濡らされ、目の大きな櫛で髪がとかされる。
とれかかったパーマを伸ばすと私の髪は結構長くて胸の下に届くくらいある。
毛先はだいぶ傷んでるみたいだけど、もうすぐ切って落とされるので関係ない。
おじさんが戸棚からハサミがたくさん入ったトレイを持ってきて、大きめのハサミを手に持った。あゝいよいよ散髪が始まる。

前髪が櫛で解かされながら上に持ち上げられた。

指で摘まれて…。パチン・パチン・パチンッ
目が覚めるようなハサミの大きな音が頭の上で響くと同時に、パサッパサッとという音といっしょに胸のあたりに髪が落ちてきた。

ほんの一瞬で私の前髪はおでこの大部分が見えるくらいにまで短くなった。
続いて頭の真ん中の髪が次々と持ち上げられて指で摘まれながら

パチン・パチン・パチンッ    パチン・パチン・パチンッ

と切られていく。霧吹きで湿らされて重くなった髪がどんどん落ちてくる。こんな体験は初めてだ。小さい頃から私はショートはもちろん肩より上の長さにしたことがなかった。

その後も頭の形に沿って斜めに、横に髪が持ち上げられてパチリ、パチリと大きなハサミでリズムよく髪を切り落とされていく。髪を切られることに寂しさなんか感じないはずだったけど、いざ始まるとだんだん不安になってきた。

今までは前髪を切るだけでも事務所に報告して許可をもらっていた。
今回、自分の意思で髪を大胆に切ることに喜びを感じていたはずだ。現に最初にハサミが入った時はワクワクした。
だけど顔を覆う髪が無くなってくると後戻りができないという思いが湧き上がってきた。

両サイドの髪の粗切りが終わり、後ろの髪もドサドサと床に落ちていく。

粗切りが終わった。

前髪が短くなり、サイドの髪も耳に少しかかるくらいに切られた雑なベリーショート。
おじさんはハサミをトレイに置くと、後ろの棚から銀色に光る手動のバリカンを持ってきた。

「普通は電気のを使うけど、プロの噺家だけには、今もきちんとこれで仕上げていくんだよ」

聞いてもいないのにおじさんは私に説明して、頭を抑えて首を少し傾かせながら、もみあげより前の位置からバリカンでカチャカチャと刈り上げ始めた。
くすぐったいけど我慢する。
金属の感触を地肌に伝えながらこめかみの上あたりまで刈っていく。
辛うじて耳にかかっていた髪がなくなり地肌が見えるほど短く刈りあげられていて、耳の周りが丸出しにされていく。

後ろ髪もうなじからカチャカチャと音を立てて、つむじ近くのかなり上まで刈られた。私は首を下に向けたまま、黙って作業がおわるのを待つ。
不安で黙りこんでしまった私と真剣に散髪するおじさん。
今まで通っていた美容室とのようにトークなんて弾まない。

何度も頭を這い回ったバリカンが止まり、おじさんの手が私の頭から離れた。
耳の周りから黒い髪がなくなり、耳の形がくっきりと現れた。
おじさんは老眼鏡をかけ直し、もう一度同じところをカチャカチャと念入りに仕上げていく。
ようやく鏡の前にバリカンを置かれた。刃先に細かな髪がついたバリカンからゴトリと重たい音がした。サイドと後ろ頭は坊主頭のそれだ。奇妙な刈り上げ頭の状態の私。
これからいよいよ前髪もトップの髪も無くなってしまう…。

おじさんはハサミを手に取って、短くなった前髪を櫛ですくいとりながらジョキリジョキリと頭頂部に向かって、さらに短く切りはじめた。

まだ3〜5センチくらい残っていた髪が短く刈り込まれていく。
おでこの真ん中まではあった前髪もなくなり、広めのおでこが丸出しになり、外見が激変する。

ついに坊主のように短くなった状態の髪型から、おじさんは植木を剪定するように頭頂部が真っすぐ平らになるように丁寧に刈りこんでいく。

数ミリに刈り上げられたサイドや後ろの髪もトップの髪が時間をかけて自然につながるように短く刈られた。
櫛を使いながら形を整えていくが、地肌が見えるくらい短くなっているから、櫛歯がチクチクと直に当たってくすぐったい。

やっとおじさんがハサミを置いた。

(これで終わりかな?)

鏡に映っている角刈り姿の変身を受け止めるので私は精一杯になっている。
恥ずかしくて早く終わってほしい。
でも散髪はまだ続く。おじさんは私の頭全体にポンポンと白い粉をまぶして白い部分を消すように形を整えながら仕上げるように切っていく。
もうこれ以上切る髪があるのっていう状態なのに…。

こめかみ、もみあげ、耳周り、うなじのラインがくっきりする様にハサミが当てられてハケで顔や頭の毛を落とされた。
ケープが取られ「終わったよ」と声をかけられた。

頭の上は1センチもないくらいの短さでビシッと平らに刈りそろえ、サイドや後ろは数ミリで刈り上げられた地肌が丸見えの見事な角刈り。
後ろ頭は触っても髪のある感覚がなく、地肌と手のひらがぴたっと吸い付く感じがする。
少しうつむいて頭のてっぺんを鏡に映すと、短い髪が立ち上がって頭の真ん中あたりの地肌が透けて丸く光って見えている。
かわいいロングヘアだったアイドルの面影は完全に消え去った。
施してきたメイクと角刈り頭のミスマッチが、まだこの髪型を受け入れられていない私の心模様を表しているようだ。

少し動揺しながら「大丈夫です」とおじさんに返事をすると、椅子が倒され、顔剃りとキワ剃りをされた。
椅子が倒され、あったかい蒸しタオルを顔にに載せられながら眉も細く整えられていく。チリチリと剃刀が顔にあてられていくのは気持ちがいい。
椅子が起こされ、顔と頭との境界線がくっきりした顔を見たら、動揺が少し落ち着いていた。
椅子から降りて、洗髪台に座り頭を洗ってもらう。
髪が水を含んだ重たい感覚が全くない。そして美容師さんと違い、おじさんのシャンプーは力が強い。
シャワーのお湯が止まり、その場でタオルを使って水を拭き取られるとすぐに頭が乾いてしまった。

もう一度散髪椅子に座ると、おじさんは肩にタオルをかけて最後の仕上げで私の頭全体を見直し、チョキチョキと手を入れた。すごいこだわりようだ。
ようやく首のタオルが取られた。

普通は合わせ鏡で後ろ姿を見せられるけど、おじさんはそんなことはしなかった。
きっと自分の仕事に自信があるのだろう。
足元を見ると、椅子の周りに長い髪が大量に落ちていた。私はこれだけの過去を捨て去ったと思うと感慨深い。
記念で少しもらって帰ろうかなと思ってたのに、私が上着を羽織ってる間におじさんはホウキで髪を掃き集めてさっさとチリトリに入れてしまっていた。

帰り際に、おじさんは「角刈りは伸びたらすぐにだらしなくなるから、マメに切りに来なきゃいけないよ。あんた前座だろう。次からは出世払いで髪を切ってやるから2週間おきくらいにおいで」と言ってくれた。「おじさんは前座から金は取らない」って姉さんが言っていた通りだ。出世払いと言いながら、実は師匠が払っていることも教わった。

この頭に馴染むくらいの薄いメイクをして、店を出た。
洋服姿で角刈り頭じゃ恥ずかしいかなと思って用意してきた野球帽。
外に出て被ろうとしたら、髪がなくなったせいでブカブカだった。
サイズを直して被り直そうかなと思ったけど、もうこれからはこの頭で過ごさなければいけないと考え、帽子を被らないでそのまま帰ることにした。

きっと今の私を見ても誰も元アイドルだということに気づかないだろう。
夕方の冷たい風を生まれて初めて直接頭皮に感じる。
頭が冴えわたるような刺激でとっても気持ちがいい。
これはシャンプー楽だろうなぁ…。時々ガシガシと頭を撫で回しながら駅までの道を歩いた。

そして…
師匠の家へ弟子として初めて伺った日。
玄関で挨拶をする私を見て、師匠は「お前もそんな頭にしてきたのか」と驚いていた。
これから始まる噺家としての人生。厳しいだろうけど頑張ろうと思った。

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