マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

海辺のほうへ

 生まれて初めて彼が海を見たのは、切り立った崖に沿って走る列車の窓からだった。もちろんその列車は時々トンネルをくぐることはあったとはいえ広い意味ではずっと海沿いを走っていて、木々の生い茂った葉の隙間や家々の向こうに海がちらりと覗くことはあっただろう。けれど彼は母に連れられて長い列車の旅だったので、疲れ切っていて、人でごった返した始発駅のプラットフォームで運よく母と並んでシートに座ることができてから、少しして眠ってしまい、窓から差した柔らかい日差しの中で目を覚ますと海を見晴らす

    • 【メルヒェンの蒐集002】こわがることを覚えるために旅にでた若者

       君はいま、窓枠の縁に頬杖を付きながら、夕暮れに染まった一面のだだっ広、本当にだだっ広い、刈り入れの終わった田圃の中を、格子状のに突っ切る一車線道路を走るスクールバスにゆられながら、ガラスに映る君の顔越しに見える富士山をじぃと見ているのだけれど、奇妙なまでに、そのバスの描く軌道と平行になって、その上空30,000ftを飛行機が飛んでいるから、その米粒よりもずっと小さなバスは飛行機からは見えなかった。いや、それは大きさの問題ではないのであって、角度の問題だ。それに仮にバスが走る

      • アンコールすること

        体験の意味  凡庸なことではある。それは誰にだって起きうることであるし、いや寧ろ避けようのない事態だと言ってもいい。私には2つの価値体系の崩壊体験があった。一つは政治的な、そしてもう一つは愛においての、そのいずれが決定的であったのか、それはわからない、しかし今の私はその二つの瓦礫の上に築いた、一個の主体である。  思えばあの体験以後、新しい意味を求めて様々な本を読み漁った。現在の自分を肯定できる体系的な意味づけを求めて、あの体験がもたらした実存的な不安を、意味の欠如を埋め

        • 道徳は今日なお可能なのか?【何スゴ:カント『実践理性批判』】

          はじめに:道徳は今日なお可能か?  今日、道徳は非常に旗色が悪い。道徳と聞くと、退屈なお説教が思い浮かぶことでしょう。これからそれを真面目に論じようと言おうものならば、失笑されても仕方がない。しかし私はあえてそれを真剣に問おうと思います。  こうした道徳の凋落の理論的基礎づけとなる最も有力な思想家はニーチェだと言って差し支えないでしょう。ニーチェは『道徳の系譜』の中で、歴史を遡ってキリスト教道徳の成立の起源を論じます。簡単にまとめると、自分のよしあしの感覚で行動する貴族的

        • 固定された記事

        海辺のほうへ

        マガジン

        • 小説のようなもの
          8本
        • 政治論のようなもの
          5本
        • 哲学関係
          7本
        • 雑多なもの
          8本
        • 文学関係
          7本

        記事

          君は孤独に生きることができるか【何スゴ哲学:ベンヤミン】

          はじめに:批評の孤独さ  ベンヤミンは思想家であり、哲学者であり、翻訳家であり、そして何より批評家だった。 「何スゴ哲学」と銘打っておいて「ベンヤミンは何よりも批評家だった」だなんて、さっそくおかしいと思われるかもしれませんが、これは何らおかしなことではありません。 ベンヤミンは多くの社会批評や文芸批評を書いてきました。一方で彼の理論を体系的に記した哲学書はない、と言ってもいいと思います。(もちろん批評と思想は分かち難く結びついているものではありますが、)そのことがベンヤミ

          君は孤独に生きることができるか【何スゴ哲学:ベンヤミン】

          有限なもののうちに折り込まれた無限なものについての覚書

           エマニュエル・レヴィナスの著作において、有限な他者の中に無限を見出すという着想は驚くべきもののように思われる。  六面体のプラスチック容器を用意して、その容器の容量を上回るだけの水をそこに注ぎ込むことはできない。ましてや無限の水がそこに注がれることなどありうるだろうか。これがありうるとするならば、もはや容器さえ無限となって、そのとき容器にはもはや枠があってはならない。しかし枠がなければ、容器は認識できないだろう。有限の中の無限、枠がありその中にそれをはるかに超出するものが収

          有限なもののうちに折り込まれた無限なものについての覚書

          銀杏のアレゴリー

           モノレール沿いの坂道を登っていく途中に、小さな公園がある。遊具の類は何もない。あるものといえば木製のベンチが2つばかしならべてあり、大きな銀杏の木ばかりだけれど、しばらくはその木が銀杏だということは知らなかった。何度もその道は通ったというのに、秋が深まって、一面が美しい黄金色の落葉で埋め尽くされるまでは、それと気づかなかったのだ。気づいたとて、家から少し離れたところとはいえ大した距離もない、時間にして20分程度で着くであろうその公園のベンチにわざわざ出向いて腰掛けることも、

          銀杏のアレゴリー

          ゲルハルト・リヒター、あるいは現代絵画の「描き方」の問題

          リヒターとはいったい何者なのか  ゲルハルト・リヒターとは一いったい何者なのか。この問いに答えるのは案外難しい。  どういう人物かなら単純だ。リヒターは現代の最高峰の画家である。適切かどうかは置いておいて、分かりやすい指標で語るなら、リヒターの作品<アブストラクト・ビルト>は2012年の競売にて当時存命の画家としては史上最高額の約26億9000万円で売買されたという凄い画家である。また聞きで恐縮だが、美大生はこぞってリヒターのような作風の作品を作ろうとする、なんて話も聞い

          ゲルハルト・リヒター、あるいは現代絵画の「描き方」の問題

          あなたに出逢えたのは運命だったのか

          運命と偶然  高校生の時、少し面白い出来事があった。僕は合唱部に入っていて、毎年初夏の頃にある文化祭が3年生の最後のステージで、そのステージの後部長と副部長とがみんなの前でちょっとした挨拶をするのが通例になっていた。ひとつ上の代の文化祭での最後のステージの後、まず副部長が「ぼくたち3年生がこうして出逢ったことは運命でした」と話した。まぁ青春時代の夢見がちな青年が語る、言ってしまえば陳腐な話しだとぼくも思う。しかしそのあと部長が話す順番になって、「もともと私はこのメンバーが集

          あなたに出逢えたのは運命だったのか

          【メルヒェンの蒐集001】蛙の王さま

          Ⅰ  河津周作は不愉快な夢から目を覚まして、身を起こすとそこはホテルの、やたらと大きいわりにひどく硬いロココ調のベッドの上だった。目の前には菱形のの植物の様な模様が並んだ壁紙と、革張りのソファー、レースのカーテンのかかった窓からからは薄暗い部屋光が差しているのが見える。明るさからして既に昼前くらいだろう。横を見やると、皺だらけの白いシーツの上に、こちらの方に向かって身体を丸めて女が眠っている。河津も女も服は着ていなかった。ベッドの下には脱ぎ散らかした服が、無造作に散らばって

          【メルヒェンの蒐集001】蛙の王さま

          セックスするにはミジュクモノではいられない:『ライ麦でつかまえて』について

           ちょっと暇な時間ができたから、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んだ。ほとんどパラパラめくるだけのことを読むと言うならね。いい歳した大人がこんなの読んでたら恥ずかしいじゃん。月一くらいで通っている病院の待合席で読んでいたら、僕と同い年の看護婦のおねぇちゃんにいつも何読んでるんですかって聞かれて、前来た時はノヴァーリスの『青い花』だったからまだカッコがついたけど、サリンジャーの『ライ麦畑』なんてみんな名前くらいは知ってるメジャーな小説だし、大体どんな話かもなんとなくイ

          セックスするにはミジュクモノではいられない:『ライ麦でつかまえて』について

          ネオ組織政党という戦略と挑戦

           先の参議院選挙の後、特定の宗教団体と政党との深いつながりが注目されている。カルト的な宗教団体が、政党の政策決定に少なからぬ影響を持つことの問題だという指摘は出ているが、この点に関して私自身はその是非についての性急な判断は避けたいところだ。政治、というよりは公共の場からの宗教性の排除を目指すライシテなどはフランスだけの話であり、宗教団体が支持母体になっている政党など日本に限らず世界的に見ても珍しい話ではない。その中には問題含みな主張をする団体が母体のケースもあるだろうが、ひと

          ネオ組織政党という戦略と挑戦

          消えてしまった、存在論ー写真についてー

          Ⅰ .消えてしまった  最近、と言っても一年以内という程度の意味だが、昔から暇な時間さえあると本を読んでいるものだから、時々「どんな本を読んでいるんですか」とか「どういう本が好きなの」と聞かれることがあると、便宜的に「ドイツ文学が好きです」と答えるようにしていたら、それまで以上にドイツ文学やその周辺に関する本を読むようになった。  もちろん嘘ではない。大学の頃はドイツ語を第二外国語で学んでいたし、卒論は(文学部でもないのに)わざわざある程度好きなテーマで書けるゼミを選んでノ

          消えてしまった、存在論ー写真についてー

          批判精神はなぜ民主主義をダメにするのか

          民主主義と批判精神  民主主義と共に批判精神が大きく進展してきた今日、批判は民主主義と根底においてもっとも結びついたものとして捉えられています。民主主義がその原始、戦わねばならなかったのは階級制度でした。一部の国王や聖職者、貴族のみが国政に携わるのではなく、すべての国民に主権が委ねられること、そのためには一人ひとりの個人が合理的な判断が可能であるという啓蒙の精神が深く浸透せねばなりません。階級という権威に唯々諾々と従うのではなく、合理的な主体としての個人たちの判断によって政治

          批判精神はなぜ民主主義をダメにするのか

          パララックス・ヴュー

           カメラを覗き込めば、そこは真っ暗で、ただ窓からわずかに斜陽の差し込む部屋の一隅を写し続けている。窓にはカーテンは全くない、外の様子が曇りなく覗ける筈であり、同時にこの部屋の殺風景も誰かが容易に覗き込むのだが、逆光のせいで格子状に貼られた枠のほかは一面の白、いやそれほど強烈ではない、陽は傾いてややオレンジがかって、やわらかい。その陽差しが、何にも遮られることなく、白木の床板に、いくつもの平行四辺形を作っている。  誰もいない部屋、いや本当にそうなのかはわからない。カメラに映る

          パララックス・ヴュー

          日本的民主制を民主主義にズラすための戦略的投票行動について

           衆議院選挙の投票日が近づいている中で、今一度民主主義というものについて考えてみたい。これは曲がりなりにも大学で政治学を専攻していた私の一つの民主主義論だ。  こんな論立をするからには、私は現状の日本の民主制に対して当然不満を抱いているわけだが、それを言ったところでしょうがないじゃないかという声も聞こえてきそうなものである。確かに今更民主主義についての空理空論を並べ立てたところで、少なくとも短期的には、どうにもならないだろう。だからこそ私は目前に差し迫る選挙において活用できる

          日本的民主制を民主主義にズラすための戦略的投票行動について