デモの効用

概要

2024年5月4日、元乃木坂46の山崎怜奈という人物が読売テレビの情報番組「ウェークアップ」内で、アメリカの大学で起こっている抗議活動を評して「大学を退学処分になる可能性もはらんでいる中で、デモの有効性ってどこまであるんだろう」との発言をしたことが、X上にて、人間の尊厳の問題を効用で語っていること、声を上げる行為を冷笑している、そもそも退学にする大学がおかしいなどとして物議を醸し、炎上状態になっている。

筆者がデモを捉える視点

筆者の読者であれば、筆者がデモや街頭アクションといった社会運動に顔を出し、時にスピーチをしたりしていること、それを口では付き合いだと言いながら記録にも残していることは理解されていることと思われる。
なので、今回の件について、批判者とほぼ同じ立場に立つものと考えるかもしれない。

しかしながら、ここで筆者はあえてある行動ろ有効性も考慮に入れなければならないとは思うのである。
というのも、デモにしろ、スタンディングにしろ社会運動の戦術を実践する上で、全体計画を描いた上での戦略的な立ち回りを前提とするものであると考えるからだ。
要は、デモにも上手いデモ、まずいデモはあるということだ。

なので、全ての社会的行為を人権擁護という観点で評価し、デモの行為を何でもかんでも認めねばならないとすることは、ハッキリ言って運動を知らない人の意見なのだと思うということである。

イスラエルのジェノサイドがいかに人間の尊厳への挑戦であろうと、それに対する抗議の仕方には残念ながら良し悪しはあるのだ。
その行動の効用は運動体の動員力や運動自体が持つ性質・影響力・力関係、運動の目的・目標などから総合的に判断されることなのであって、一概に評価できるものではない。
そもそもデモが効く時もあれば控えた方が良い状況もある。
それを考慮した上で運動や活動をすることが筆者は重要であると思う。

では何が問題か

しかし、山崎氏の発言には問題がある。
それは、有効性を疑問視していることを装いつつ、自分ならデモに参加しないとの表明をしていることが言外の意として認められることである。

つまり、デモに有効性などないとして、社会日物申すことに参加しない言い訳にしているのである。
もし、これが、デモは重要だとデモを擁護する意図での発言ならば印象は変わったことだろう。
そうではなく、中立を装ったデモ否定の言説なのが問題なのだ。

また、その偽りの中立的な問いが誰にとって都合が良いかという視点は重要だ。
言うまでもなく、権力による印象操作などの工作にとって都合の良いものだ。
著名人の権力のすり寄りの言説、そして、権力の一般人のすり寄りに警戒しなくてはならない。
その点でも問題であると言える。

結語

以上、デモにおいても有効性を語ることの重要性と、発言の問題点について見てきた。

思うに有効性を失ったデモはデモのためのデモ、行為自体が自己満足として消費され、閉じた運動になっていき、影響力は削ぎ落とされ、最終的には瓦解するものと言えるだろう。

参加することは大いに重要なことである。
しかしながら政府を動かす闘争と考えるなら単に参加して関心を持つ、考えること以上のことも目指さなければならない。

大半の人間が活動家になるわけではないので、そこまでの視点が必要かと言われればそうではないが、活動家が人間の尊厳のために動いているということのみで判断するのは危ういことではないかと思う。
人間の尊厳を盾にしたところでまずい行動は批判されるべきである。

デモの有効性についてはデモを行う身として、その時々において声を上げながら考えていきたい。
たかがデモ、されどデモなのだ。

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