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不妊治療を振り返る

こんにちは。

イラストや絵描きについて
綴ろうと始めたnoteなのに
約1年ぶりの更新がイラストとは無縁の
不妊治療の話になってしまいますが...

今年が終わる前に書いておきたくて、
ここに綴っておこうと思います。

気づけば高齢出産の手前にさしかかり

いつかは子どもが欲しいなと思いながらも
気づけば結婚して6年が経っていました。

仕事も絵描きも楽しく、夫とわんこ2匹と
楽しい毎日を過ごしていたのですが
ふと33歳の誕生日を目前に

「あれ?ひょっとして
今年赤ちゃんができなかったら
わたし高齢出産になっちゃう?」

...気付いてしまいました。

これがきっかけとなり
夫と話し合ってすぐに不妊クリニックの門を叩くことになりました。


検査後、早々に体外受精を勧められ

あまりよくわからず、まったく調べずに不妊クリニックを訪れましたが、
恐らく治療のステージって

タイミング法

人工授精

体外受精

と、だんだんステップアップしていくのだろうと思っていました。

が、初回検査の結果



「うーん。体外受精じゃないと厳しいかもね」



院長先生の言葉に愕然。


我が家は夫と歳が離れているのである程度覚悟していたとはいえ、いきなり体外受精に挑戦するのは私のメンタル的にハードルが高かったのでした。

なので、先生の提案に対し
「まずは人工授精から試させてください」
と回答したのでした。


人工授精4回、かすりもせず

やはり院長先生の言うことは正しかった。

自己判断で挑んだ人工授精では、陽性結果にかすりもしませんでした笑

ただ、時間を無駄にしてしまったとか、先生の言うとおりにすべきだったとは今も思っていません。
私の心の準備期間として必要な4ヶ月でした。

これからお腹に命を宿すための準備期間
体外受精に挑むメンタルを作るための準備期間として。

ちなみに、私の通っていたクリニックでは人工授精でもレトロゾールを飲んで卵子を大きく育てました。

副作用で、排卵日前は恐ろしい眠気がやってきて
仕事中でもキーボードを打ちながら気づけば気絶するように寝ていたこともありました笑

排卵日当日もものすごくお腹が張って
頭痛もあって地味に辛かったです。

しかしながら、人工授精の処置自体に全く苦痛はなく。

いつも祈るように、エコーに映る
自分の子宮にエールを送っていたのでした。


ついに、体外受精に挑む

不妊治療をしていると思うのですが
体外受精の最後の砦感...
私もついにここまで来てしまった。
そんな気持ちになりました。

まず、採卵に向けてレトロゾールの服用に加え
ゴナールエフという自己注射が始まりました。

記念撮影 笑

ものすごく注射針が細いので、ほとんど痛みは感じません。
グリグリとメモリを動かし、75mgをおへその周りめがけて打ち込みます。

当時、不妊治療を頑張る同士のみなさんの採卵までの準備に向けたブログを沢山読みました。
人によっては注射がとにかく苦手で、自己注射がものすごく苦痛だとおっしゃる方もいました。

そうだよね。私も健康な自分のお腹に、注射する日が来るとは思わなかった...

私のクリニックは低刺激法らしく、高刺激のクリニックよりも量が少なかったですし、飲む薬の量や注射の種類も少なかったように思います。


採卵が近づくと、クリニックに内診へ行き
卵胞の成長具合を見て、採卵日が決まります。

採卵日が決まってからは、排卵のトリガーとなる点鼻薬を22:00、23:00、0:00に点鼻したり。
お風呂上がりに坐薬を入れたりもありました。

秒で物事を忘れるタイプの人なので笑
とにかく忘れないようにアラームをかけて、たくさんメモをして乗り切りました笑

ドキドキの採卵日

ドキドキなんてもんじゃありません。
恐怖過ぎました。

前日までネットで採卵の痛さを調べては、できるだけ痛くありませんようにと願うしかありませんでした笑

エコーでは、私の卵胞は20個くらいあって...数が多いほど長引くし、痛いと書かれているブログ多数。
(でも多いのはいいことらしい)

局部麻酔しか選べませんでしたが、病院によっては無麻酔だったり全身麻酔が選べたりもするようです。


手術着に着替えて待機していると隣の方が帰ってきたのがカーテン越しにわかり、サクサクと歩きながら
「ちょっとトイレ行って来ていいですか?」
と、かなり余裕な様子でした。

なーんだ、大丈夫そうじゃん!
そんな心意気で採卵に挑みました。


が、痛みには個人差があるようで...


私は局部麻酔の注射をされているのも
子宮壁を突き抜けて卵巣に針が刺さるのも
そこから卵胞を吸引されているのも
すべて感じてしまうタイプでした笑

システマってご存知ですか?(突然)
ぶん殴られたあとに「フー!フー!」って呼吸して痛みを紛らわし「全然痛くありません」って言う芸があるのですが

あれをイメージしながら採卵中めっちゃシステマしてました。
さぞかし呼吸のうるさい患者だったはずです。
でも全然痛かったです涙

下半身力むとさらに痛いし、腰は絶対に動かせないので...ものすごい力で手をグーにしていたようで

「おわりましたよー」

と言われてホッとしたにも関わらず、手が強張って開かなくなっていました笑

フラフラで看護師さんに支えられながら、リカバリールームのベッドにダイブ...



やばい、マジで痛かった...涙

でも終わったことにホッとしました。
あとは頑張ってくれ、たまごちゃんたちぃ!

たまごちゃんたちに託す思いで
しばらく横になっていました。

採卵の結果

卵巣から吸い取られた卵ちゃんたちは、その日のうちに採精したての精子たちと受精させます。

20個見えていた私の卵胞は、採卵の結果8個となりました。
(実は何でそんなに減った?とちょっと不満だった)

精子がふんだんに取れれば(?)「ふりかけ法」と言って卵子に精子をふりかける体外受精に。

精子がそんなにふんだんに取れず、慎重にいっときたい場合は顕微鏡受精となりますが
(すごくラフに説明してます。すみません)
そこは培養師さんの判断に委ねます。

我が家は8個すべて顕微鏡となりました。
ふりかけるなんてもったいない。正確に確実にぜひそうしてください。
慎重にいっておきたい...


この日は実家にお泊まりして、気分的には負傷した(?)卵巣を労わりながらのんびり療養しました。


後日、培養結果

クリニックによってやり方は異なりますが、私のクリニックでは「胚盤胞」といってすぐに子宮に戻せるくらい成熟した受精卵だけを凍結し
採卵から元気に復活した子宮に戻すというやり方でした。
(なので移植まで1ヶ月くらい空きました)

他にも、新鮮胚移植というやり方があったり、色んな方法があります。
ご自分にあったクリニックを探されるのがよいかと思います。

そして8個あった卵子たちに顕微鏡受精した結果...
胚盤胞まで育った卵は1つでした。

「まあ、8こあったら3つくらいはうまくいくかな♪」

と、採卵が終わった開放感でいっぱいだった私は
年齢が近しい方のブログなど見ながら予想してました。

この年齢で1つしか残せなかった。
結果にものすごく落ち込んでしまいました。


同僚の言葉に救われて

同僚に1人、不妊治療の話をことを細かく報告している方がいます。
この時も、胚盤胞が1つしかできなかったショックをぶつぶつと話しながら、2人で仕事帰りに駅まで向かっていました。

ホームまでたどり着いて、うんうんと話を聞いていた彼女は

「えーっ!でもすごい!
その1個をお迎えするの、すごい楽しみですね!!」

とびきりの笑顔でそう言い残して
颯爽と反対ホームの駅の電車に乗って去っていきました。


...そっか、この1つはかけがえがなくて、お迎えできるのはとても幸せなことなんだった。

その時の私はそう言ってくれたのがすごく嬉しくて、帰りの電車で1人、泣いてしまいました。(情緒不安定笑)


そのときに描いた絵です。

たった1つ生き残ってくれた
わたしのたまごちゃんが
とても愛おしく思えてきて。


病院の一角で凍結されて待っている、たった1つのたまごちゃん。

早くあったかいお腹に、ふわふわの子宮内膜を準備して迎えてあげなくちゃ。

そんな気持ちになって描きました。


できることは全部やる

その日から気分を切り替えて、悔いのないよう移植日までにできることは全部やろう!と色んなことを始めました。笑

まず、不妊治療に明るい鍼灸に通い始め。
ホットヨガにもちゃんと通い
(治療で体調不良でサボり気味だった)
腸や子宮によいとされる料理を取り入れ
子宮内フローラのサプリを始めて
できるだけ毎日たくさん歩き
身体を冷やさないようによもぎ蒸しパットを装着するなど...笑


思えばこれまで、自分の身体を大切にするために
努力をしたことがありませんでした。

不妊治療を始めた頃はコロナにかかって治ったばかりで、ガリガリに痩せ細り。(BMI17台)
冬は末端まで血が巡らず、足の爪が紫色をしていて、かかとや関節部分は乾燥でバキバキに割れてました。


不妊治療は赤ちゃんを迎え入れる準備期間であったとともに、自分のことを大切にしなければならないのだと、見直す機会をたくさん与えてくれました。


移植した結果...陽性に

妊娠判定はクリニックで採血し、hcgの値で決まります。

私はフライング検査はしませんでした。
採血のあと、心臓バックバクの状態でひたすら妊娠判定を待ちました。
こんなに緊張したのは何年ぶりだろう?

もう、胚盤胞はないからこれでダメなら、あの痛くて怖くてたまらない採卵からやり直しだ...
そんな思いが頭を過り、不安でいっぱいでした。


が、無事に妊娠判定が出ました。

自然妊娠の妊婦さんなら、まだ妊娠したかどうかわからない、これからどうなるかわからない時期なのに嬉しくて嬉しくて。
家族、仲のいい友達、応援してくれた同僚に即連絡してしまいました笑

みんな自分のことのように喜んでくれて、自分は本当に幸せだな、と改めて感じた瞬間でした。



すべてが奇跡の連続

妊娠、出産は奇跡の連続だとよく言われますが、それをこれでもかと痛感した半年間でした。

私が不妊治療をしていた期間は、半年。
これはすごく短いほうだと思います。

今、治療を頑張っている方の中には、私のこの記事で不快な気持ちになったり、プレッシャーに感じる方もいらっしゃるかもしれません。
それは本当に申し訳なく思います。

それに、作家名であるこのアカウントで、不妊治療の話をするかどうかは最後まで悩みました。
私の年齢どころか、結婚していることすら知らない方も、たくさんいらっしゃると思います汗

ただ、私は絵を通して誰かの気持ちに寄り添えるようになりたいと思っています。

そうなるには、自分のことを話したり知ってもらうことも必要なんじゃないかと考えるようになりました。




不妊治療は辛かったですが、いろいろな視野が広がった経験となりました。

自分の身体を本当の意味で大切にすること。
仕事をしながら不妊治療をする辛さ。

そして日本社会が不妊に対していかに融通が効かず、多くの女性が苦しんでいるのか...

治療はスケジュールが読めず、ほとんどの場合周りに打ち明けて理解を得るか、仕事を辞めなければ厳しい精神状態に追い込まれていくと思います。

もちろん。1番辛いのは女性ですが、一緒に治療を受けて支えている男性側の気持ちも知ることができませんでした。
きっと上手く言えないだけで、パートナーが痛い、辛い思いをしていることに心を痛めていると思います。

私自身、まだ妊娠初期で何が起きるかわかりませんが...
お腹に奇跡のように宿ってくれた命を、大切に大切にしたいと思います。


いま、不妊治療で悩んでいらっしゃる方
妊活がうまくいかず、苦しんでいる方
全ての方がうまくいきますように。
心から願っています。

長文となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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