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失恋歌を聴くようになった12年間の話

 僕が幸せなラブソングを聴かなくなったのは、いつからだっけか。

 確か、中3の12月。英語の授業で洋楽を紹介された頃のことだ。そこで教師が取り上げたのは、三つの曲だった。ワムの『Last Christmas』とカーペンターズの『I need to be in love』、それからもう一つ──。

 飛び跳ねんばかりに陽気で、ポップな曲調。そのくせ、配られたプリントの和訳歌詞には「傷心」だの「別れ」だのと物哀しい単語が散りばめられている。若い女性と思しき声は、教室の古びたカセットデッキの音割れも相まって哀愁に満ちていた。

 誰の曲ですか、と生徒の一人が質問するやいなや、教師は待ってましたと言わんばかりに顔を綻ばせたものだ。

「実はね、私の娘が作ったんだよ」

「えっ、すっごーい!」あちこちから上がる賞賛。曲も歌詞も自作、極めつけには路上ライブをやっているとの補足が入り、教室はたちまちのうちに拍手に包まれた。正直なところ「すごい」というよりは「しゃらくさい」と感じた。教師の親バカさ加減に呆れもした。

 その一方で、興味も湧いた。
 なにしろ、僕はその「娘」のことを知っていたからだ。

***

「──ヤジマくんって英語得意だよね? ここ教えてくれない?」

 高校受験のために通っていた塾の、同じクラスの女子。飛び抜けて成績が良いわけではないけれど、並以上の偏差値を目指したい学生が集められた「ふつう」の集団。ちょうどその日、当の彼女は英語の補習を受けていた。ついでに言うと、隣席の僕も同じく「居残り組」だった。ただし補習ではなく復習、そして教科は数学だったけれど。

「……クラハシさんって、英語苦手だったんだね」
「そうだよ。てか得意そうに見えた?」
「今日、クラハシ先生がクラハシさんの曲を使って授業しててさ」
「あっそっか、同じ学校だもんね!」

 はたと手を打って、彼女はつづける。
「あれね、苦手だからこそ作ったの。英作文の練習になるかなって」
 現実はこんなんだけど、と付け加えてにこりと笑う。
 そこに羞恥や狼狽の色は微塵もなくて、逆にこちらが怯んだ。彼女が戸惑うさまをうっすらと期待していた──そんな己の下世話さに気付いて、たちまち顔が熱くなる。こちらの動揺などつゆ知らず、クラハシさんは「ねえ」と顔を寄せてきた。

「わたしの歌、どうだった?」
「……皆、すごいって言ってたよ」
「ヤジマくんはどう思ったの?」

 まっすぐな問いに、胸の中心を突かれたような心地がした。喉の奥で絡まっていたいくつもの言葉が、ばらばらと転がっていく。口をつぐむ暇もなく、そのうちの一片がぽろりと零れ落ちていた。

「すきだったよ」

 率直な感想だった。恵まれた才能に対する僻みだとか、溢れる自信への妬みだとか──そうした負の感情を差し引いてもなお、膨大なお釣りがくる程度には彼女の声が魅力的だったから。

「やったね!」

 クラハシさんの笑みがいっそう深くなる。照れるそぶりもなく、ただ泰然と評価を受けとめて喜ぶ。いっぱしの表現者としての風格が、彼女にはすでに備わっていた。これといった芸のない身としては、彼女があまりにも眩しくて、心底うらやましかった。

 だから──「それ」を伝えたくなったのは、言ってしまえば凡人なりの対抗心からだったように思う。これから自分が抱えることになる、ささいな「特別」で一矢報いたかったのだと、今なら分かる。

「ところでさ、俺もう『ヤジマ』じゃなくなるんだよね」
「えっ、どういうこと?」

 にわかに目を丸くするクラハシさんに、俺は努めて平静な口ぶりで告げた。

「このまえ親が離婚したから。高校に上がったら『クロダ』になるんだ」

***

 仲睦まじい夫婦だった。

 看護師の母親と、小学校教師の父親。夜勤が多い母さんの代わりに、父さんが家事の大部分を担っていた。母さんも母さんで、父さんには常日頃から「いつもありがとう」と感謝を口にしていたものだ。そういう家庭だったから、必然、自分が物心ついてからの記憶は父さんとのものが多かった。

 父さんは温厚なひとだった。

「お母さんがいない」とぐずる幼い僕に、彼はほとほと手を焼いていたに違いない。けれども、声を荒げることは決してなかった。いつも困ったような笑みを浮かべ、「お母さんはすぐに帰ってくるよ」となだめすかしては「それまでお父さんと一緒に頑張ろうな」と頭を撫でられた。平日は父さんの作った料理を二人で囲むのが当たり前だったし、休日はよくキャッチボールや買い物に連れ出してもらった覚えがある。

 父さんはよく歌うひとでもあった。

 たとえば家事の合間なんかに、あるいはお出かけに連れ出すドライブの車内なんかで、お気に入りのラブソングを口ずさむ。居間の棚には、お気に入りのラブソングを詰め込んだカセットテープが所狭しと並んでいた。飽きるくらいに登場する「愛」とやらが何かは理解できなくとも、彼の穏やかな横顔を眺めていれば、それがとても素敵なものに違いないということは分かった。

 仲睦まじい夫婦だと思っていた。
 いや、実際そうだったのだろう、ある時点までは。

 僕が中2に進級したあたりから、父さんの帰りが遅くなった。それ自体は、特に何とも思わなかった。むしろ印象的だったのは、彼がいわゆる失恋ソングをずっと口ずさむようになったことだ。往年のアイドルによってリリースされたその曲は「あなたに会いたい」と別離の悲しみを歌い上げるもので、常連リスナーたる息子からすればひどく不似合いに感じられたものだった。

「あなた」とは、いったい誰のことだったのだろう? もはや知る由はないけれど、少なくとも母さんのことではなかったはずだ。そう理解したのは、つい半年前──父さんの浮気が発覚してからのことだった。

***

 クラハシさんとまともに喋ったのは、その時が初めてだったはずだ。この場には似つかわしくない話題に、必要以上の言葉。自分から口にしておいてなんだけれど、聞き苦しい話だったに違いない。けれども彼女は、嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた。語弊を恐れずに言えば、興味津々といった様子でもあった。

「話してくれてありがとね、クロダくん」

 律儀に一礼するクラハシさんに、僕は思わず吹き出していた。まさか、感謝されるだなんて思わなかったから。なにより「クロダ」呼びは、気が早いにもほどがある。「フライングだよ」と苦笑交じりに突っ込んでみれば、「予習って大事じゃん」とあっけらかんと返してきたものだ。高校で会える保証なんて、どこにもないというのにね。

 けれども、その「予習」は最終的に実を結ぶこととなる。

 高校受験を終えて、僕とクラハシさんは同じ学校に進学した。その頃の僕は予定通り「クロダ」に名字が変わっていて、しかも彼女と同じクラスになったものだから、さっそく前後ろの席で対面する羽目になった。休み時間になって、彼女は早速とばかりに話しかけてきたものだ。

「この学校ね、軽音がめっちゃ盛んなんだ。だから第一志望にしたの」

 椅子ごと僕の机にもたれかかりつつ、彼女は口元を緩ませる。その時点でもう、自分なんかとは大違いだった。僕がこの高校を選んだのは、地元の中学から遠く離れていたからだ。通学に片道2時間半、家から通えるぎりぎりの距離。他人から余計な詮索をされなくて済むように──「最初から僕はクロダです」という顔ができるように。本当に、ただそれだけの理由だったから。

「改めてよろしくね、クロダくん」

 クラハシさんが口にした呼び名は、雑談が飛び交う教室にしっくりと馴染み、僕の耳へと染み込んでいった。悪くない、素直にそう思えた。彼女とはきっといい友達になれる、とも。

 その見立ては、半分正解で半分ハズレだった。

 僕らが打ち解けるのに、そう時間はかからなかった。中学は違っても塾で頻繁に顔を合わせていたおかげか、お互いによく話しかけるようになった。もともと顔見知りに過ぎなかった僕たちは、春が終わる頃には立派な「友達」になり、夏休みを迎えて「恋人」になった。

 デート3回目の帰り道に僕から告白、お手本どおりの恋だった。

***

 ──「タクロウはお父さん似だね」。

 幼い頃から両親にはそう評されてきた。中学の3年間を経て形成された容姿は、その見立てを充分に補強するものだった。小学校の頃は取り立てて言われることもなかったのに「優しい」だの「後輩の面倒見がいい」だのと同級生から褒められることが増えていった。

 鏡を見るにつけ、絶望がほんのりと色づいていくようだった。

 経験を積んだ男女がふたり集まり、愛を誓い合ってなお上手くいかないことがある。げんに両親はそうだった。だったら自分はどうすればいいのだろう。いったい何をしたら、彼らが目指していたはずの大人になれるのだろう。

 ──どうしたら、父のようにならずに済むのだろう。

 そう考えた時、まっさきに思い浮かんだのは「練習」だった。動いてみれば理解は後から付いてくるし、基礎をしこたま積み上げていけば人並みにはなれる。嫌いな数学だって、苦手な体育のバスケだって、そうやって僕は克服してきたのだから。

 本番で失敗しないための予行演習。
 クラハシさんに告白した動機を一言で表すならば、そうなる。
 そして彼女が交際する理由もまた、僕と似たようなものだった。

「どうして俺と付き合ってくれたの?」

 よせばいいのに、僕はクラハシさんに理由を訊いたことがある。告白しておいてなんだけれど、そもそもが玉砕覚悟のチャレンジでもあったから──それはもう純粋に不思議だったのだ。そして彼女は、これ以上ないほどに明確な答えを示してくれた。

「経験が欲しいから」
 あっけらかんとした調子で、彼女はつづけた。
「いい歌をつくるには、人生経験が多いに越したことはないと思うのね」

 クラハシさんは学校の軽音部に籍こそ置いていたものの、いまだに路上ライブを続けていた。いわく「ソロでやるほうが性に合ってるの」ということで、部活に入った理由は「練習用のスタジオ費用が節約できるから」。本業たる路上ライブにしても、高校進学に際して変化はあったそうで──もともとの活動拠点は自宅近くの小さな駅だったらしいが、今は高校最寄りのターミナル駅へと場を移していた。

 初めて彼女のライブを観に行った日のことは、よく憶えている。

 高1の、秋の夕暮れ。帰宅がてら「お忍び」で、彼女のステージたる駅裏口の広場へと向かった。観客が自分ひとりだったらどうしよう、といささか失礼な想像を巡らせながら──でも、そんな不安は杞憂に終わった。

 家路を急ぐ人々が行き交うなか、広場にはちょっとした人だかりができていた。たぶん20人くらいは居たと思う。他校の制服を着た女子の集団、スーツ姿のサラリーマン、それから買い物帰りと思しき主婦たち。扇状に広がった一団、めいめいの視線はギターを携えたクラハシさんに注がれている。

 僕は観客スペースの最後方にそっと紛れ込んで──そのまま、心を持っていかれた。

 よく通るハスキーボイスが、雑踏の喧騒を軽々と飛び越え、鼓膜を揺らす。掻き鳴らされるギターの響きに呑まれるかのごとく、気付けば前へと歩を進めている自分がいた。クラハシさんが、恋に破れた鬱憤をとうとうと叫んでいる。息継ぎをした彼女の視線が、自分のそれと人垣越しにかち合った。その双眸は確かに僕を捉えていたけれど、同時に遥か遠くを見据えてもいた。

 瞬間、僕は理解できた気がした。
 彼女が欲する経験の行方を──その終着点を。
 それがいつかは分からなくとも、そう遠い未来ではないように思えたのだ。

 視界が滲んだのは彼女の歌声のせいか、それとも別離の予感ゆえか。自分でもまるで判然としなかった。ただ、これから自分がどう彼女と接していくべきか、その指針はおのずと定まっていた。

 これからもクラハシさんの経験になり続けること。
 少なくとも、彼女が望む限りにおいては、ずっと。
「もういいよ」と彼女から告げられる、その日まで。

***

 僕がクラハシさんの音楽の糧になれていたか、そう問われれば正直なところ自信はない。その一方で、自分の経験は着実に積み上がっていった。クラハシさんの彼氏であるというだけで、中学の頃とは比べ物にならないくらいに交友関係は広がった。

 特に印象に残ったのは軽音部の面々だ。以前であれば遠巻きに眺めるはずだった同級生たちから「友達」と呼ばれるのはなんとも不思議な心地だった。付け加えれば、彼らは自分が思っていたよりもずっと真面目で、接しやすい人々ばかりだった。

「カラオケでも行く?」

 彼らが揃って「遊ぼう」と言う時、行き先は決まってカラオケボックスだった。音楽を主食にしているような顔触れなのに、甘い物は別腹とでも言わんばかりに誰もが歌いに歌う。それはクラハシさんとて例外ではなかった。

 手慣れた調子で、クラハシさんはタッチパネル端末を軽快に叩く。間を置かず、液晶モニター上部に曲目が表示される。いつもの選曲、アヴリル・ラヴィーンの『My Happy Ending』。次に彼女が入れるのはステイシー・オリコの『Stuck』で、そのまた次はブリトニー・スピアーズの『Everytime』とくる。

 定番の三曲を歌い終えたら、あとは気まぐれに好きな曲を歌う。とはいえ、彼女が入れる曲は毎度のことながら悲恋を取り扱ったものばかりだ。軒並み洋楽だったのは、彼女なりの配慮といったところか。それでも、気にする人は気にするもので。

「彼氏的には、イヤじゃないわけ?」

 何度かそんなふうに、カラオケに居合わせた面々からこっそり尋ねられたことがある。そのたび僕は「何とも思わないよ」と返したし、彼らも「クロダがいいって言うんなら」と安堵したように苦笑を返した。

 クラハシさんの振る舞いがNGだというのなら、自分もまた同罪だ。いつも持ち歩いていたMDウォークマンには失恋ソングがぎっしり詰まっていたし、自室の机にはお手製のマイベスト──「片思い」を手始めに「死別」やら「浮気」などとラベリングされたMDディスクが10枚近く積まれている。なんなら僕は、それらを彼女にお薦めがてら貸してさえいるのだから。

 学校周辺で遊ぶ時は、仕事帰りの母さんの車に拾われるのが恒例となってもいた。遊びに限らず、学校行事やアルバイトで遅くなる際も同様だ。それは高校入学にあたって、母さんと交わした取り決めでもあった。そのルールは母さんなりの親心だったろうし、同時に過去の反省でもあったのだろう。

「この前ね、こっそりクラハシさんが歌ってるとこ見に行ったのよ」
 車内での話題に、母さんはしばしば彼女を登場させた。
「今日もいい歌いっぷりだったわ……お母さんちょっと泣いちゃった」

 大体において、その手の報告は先んじてクラハシさんからもたらされている。「タクロウ君のお母さん、今日も聴きに来てくれたよ」──そう告げてくる日の彼女は、いつにも増して上機嫌だ。母さんは熱心なファンとして完全に認知されている。それはそうだ、“こっそり”最前列に陣取って“ちょっと”号泣している観客なんて目立たないほうがおかしい。

「そうなんだね」と僕は相槌を打つ。それでこの話はおしまいになる。
 ──父さんのこと、今でも思い出したりする?
 涙の理由を、そんなふうに問うのは野暮だとさすがに分かっているから。

 後を引き継ぐようにして、カーステレオが愛をバラードに乗せて語りだす。クラハシさんのつくる曲とは正反対の、失恋の「し」の字も無いようなラブソング。俗に言う「両想い系」──言わなくても愛は伝わるとか、そういった種類の歌詞が母さんの好みだった。帰路の沈黙を埋めるには少し照れくさくて、ちょっとずるいな、とも思う。

***

 そんな家族の習慣も、高校を卒業してからは必要なくなった。

 理由はシンプル、僕が地元を離れて関東の国立大学へ進学したからだ。「一人暮らしを経験しておきたい」だの「東京のほうが就職口が多そう」だの、もっともらしい理由を色々つけはしたが、結局はクラハシさんの存在が大きかった。彼女は「卒業したら上京する」と高1の時点で公言していたから、自分の心構えも早い時期から出来ていた。

 そのクラハシさんは、都内にある音楽系の私立短大へと進学していた。

 活動スタイルは、彼女お馴染みの路上ライブだ。最初こそ環境の違いに色々と苦労したようだったけれど、一年も経つと安定して観客を集めるようになった。

 短大を卒業する頃には、彼女の名前をインターネットで検索すれば、どこぞの取材記事やレビューブログが次々とヒットするようになった。

 就職して2年後、レーベルから声がかかってインディーズデビューを果たした。その影響もあってか、大手雑誌のインディーズ特集にたびたび取り上げられるようにもなった。

 一年、また一年と時を重ねていくうち、インディーズ進出を機に改名した「椋橋蜜柑」の四文字は着々とその知名度を上げていった。彼女が目指す、しかし通過点にすぎない「いつか」は間近に迫っている。

 そんな僕の予感は、ほどなくして現実になった。
 彼女からの電話で、メジャーデビューの打診があったと知らされた。
 互いに27歳を迎えた、冬のことだった。

 一般的に、メジャー進出組の年齢層は20代前半がメインであって、25歳を過ぎたあたりから可能性は著しく低くなる。付け加えると、30代以降は絶望的とすら言われるくらいに門戸が狭まっていく。いわゆるアラサーの焦燥は、張本人たる彼女がいちばん感じていたに違いない。

 それでも、彼女はあくまで冷静だった。25歳から同棲を始めて2年あまり、日々の生活を共にしてなお、おくびにも出さなかったのだ。

「おめでとう、ミカコ」

「椋橋蜜柑」の本名を口にすると、彼女はくすぐったそうに目を細めた。その笑顔は、メジャーデビューに先立って配信されたMVにおいても存分に発揮されていた。デビューシングルは「両想いの幸せ」を朗々と歌い上げるもので、今までの彼女ならば絶対に作らないはずのテーマだった。良い曲だった──掛け値なしにそう感じた。なんなら、今まで聴いた彼女の曲の中で一番好きかもしれなかった。

 すなわちそれは、彼女が新たなステージに入ったことを意味してもいた。

「大事な話があるんだけど、いい?」

 胸の内を読んだかのように、彼女はそう切り出した。その声音がかすかに震えていることに気付いて、僕はとっさに居住まいを正す。それでいて、頭のどこか冷静な部分は「彼女でも緊張するんだな」と他人事のようにのたまっていた。

 彼女としては、恋愛経験はもう充分に得られたのだろう。つまり当初の目的は達成されたと言っていい。ならばもう、彼女が僕をそばに置いておく理由など特に見当たらなかった。

 果たして、彼女は伏せていた目を上げ、ゆっくりと口を開いた。

「12年、かかったの」
「……12年?」

 オウム返しで問うた僕に、彼女は小さく頷いて、つづけた。

「12年かけて、わたしはやっと幸せな曲を書けるようになったんだよ」

 わたしが本気で歌手になりたいって思ったのは、中1の頃だったかな。

 勉強そっちのけで、色々なコンテストやオーディションに音源を送ってたのね。結局、どこにも引っかからなかったんだけど──ただ、同じ「落選」でもはっきりと結果に差が出たんだ。幸せな恋愛を扱った曲はどれも予選落ちで、失恋をテーマにしたものはすべて最終選考に残ったんだよ。

 理由は自分でも分かってたんだ。わたしは、恋愛を幸せなままに歌えなかった。それを歌で表すには、悲しみとか怒りとか、そういうネガティブな想像をして……「失いたくない」と思ってやっと歌に昇華できたのね。

 路上ライブでも、それはもうはっきりと結果に出た。幸せな愛を歌うと誰も立ち止まらないのに、失恋を歌うと嘘みたいに立ち止まってくれて。結局、わたしはそういう形でしか出力できないんだなって、ほとんど諦めてたんだよ。

 ……タクロウ君と付き合うまではね。

 初めてちゃんと恋愛してみて、分かることはやっぱり多くて。おかげで、本当に久しぶりに幸せな歌を作れたの。でも、人前に出す勇気はなかった。せっかく聴いてくれるようになった人たちが離れていくんじゃないかって、それが怖くて。

 ……そんな時にね、タクロウ君のお母さんが見に来てくれたの。

 そのときふと思ったんだ、好きな歌に挑戦してみようって。ただ、すごく怖かった。好きな人のことを歌った曲が、その親御さんに届かなかったら、それはもう本当にダメなんだろうなって。

 結果は、君も知っての通りだよ。ああ、ちゃんと届くんだなって──心の底から安心したし、ほんとうに嬉しかったの。ただ、ライブとしては失敗だったかな。オーディエンスにつられて自分も泣いちゃったのは、後にも先にもあの一回だけだよ。

 それ以来、お母さんが見に来てくれた時はその歌を必ず入れるようになって……だんだん、幸せな歌も聴いてくれる人が増えてきて。だから、あらかじめ決めてたの。メジャーから打診が来たその時は、絶対にこの曲でいこうって。

 12年かけて、わたしはやっと幸せな曲を書けるようになったの。
 やっと、自分の「好き」に自信が持てるようになったんだよ。
 だからね──

「わたしと、結婚してくれませんか?」

 その時、自分はどんな表情を浮かべていたのだろう。

「……それも『経験』の一環?」

 たっぷりの間を置いて、ようやく絞り出せたのは、よりにもよって皮肉じみた一言だった。違くて、と僕が訂正するよりも先に、ミカコの口から「あ」と短く声が漏れた。見覚えのある反応は、高校時代に彼女が宿題を忘れた時のリアクションそのものだった。

「確かにそうだね……それも経験だね」

 一連の反応が、すべてを物語っていた。事ここに至って、僕はようやく気付く。彼女が高校時代から求め続けた「経験」は、最初からここを見据えていたのだと。

 かつて僕が求めた練習、その本番はいつなのか。その想定は、ミカコが自分のもとから去っていくことが前提だったはずだ。しかしそれも、今更な話だった。もはや自分でも「練習」だと思えなくなっていることに、とっくに気付いていた。

 それでも僕はまだ、首を縦に振ることはできなかった。
 とどのつまり、僕は己に自信を持てずにいるというだけで。
 12年の歳月を費やしてなお、情けないことに──。

「もう少しだけ、考えさせてください」

 だから、結論を先送りするしかなかった。

 ──父の訃報が届いたのは、そんな折のことだったのだ。

***

 父方の家墓を訪れるのは、本当に久しぶりのことだった。

 古びた御影石に彫られた「矢島家」の記憶は、もはや遠い。ただ、墓誌に刻まれた行数は、十数年前の盆休みに訪れたときより明らかに増えている。優しかった祖父母、よく遊んでくれた叔父。そして最後に、父の名前があった。

 父の葬儀は、すでに再婚相手によって済まされていた。我が家のほうで必要となる諸々の手続きは、母さんがそのほとんどを取り仕切ってくれてもいた。とはいえ、なかには息子たる僕自身の意思表示が必要となるものもあった。

「お父さんが、遺言でタクロウ宛に遺産を残してるのよ」
 最初に電話口でそう告げられた時は、たいそう驚いた。遺言書で指定された金額は、会社勤めである自分の年収に匹敵するものだったから。「結婚資金に宛ててください」──付言事項には、そう記されていたという。

「……なんでなんだろうね」

 墓参りからの帰路、僕は運転がてらそうこぼした。ありがたいとは思う。受け取らない理由も別段ない。ただ、その注釈が心の片隅に引っかかっていた。

「お父さんも、色々思うところがあったのよ」

 返答代わりに、僕はスマホをカーステレオに繋いだ。Spotifyを検索すれば、それはすぐに見つかった。ほどなくして、車内は聞き憶えのあるメロディーで満たされる。それは、父がよく歌っていた曲だった。サビで「愛してる」と何度も繰り返す、彼がいっとう好きなラブソング。

「もっと音量上げてくれる?」
「充分大きいと思うんだけど」
「そうなの? 最近ちょっと耳が遠くなっちゃってね」
「還暦でそれは早いんじゃないかな」

 あながち冗談でもないのだろう、とは思う。行きがけに母が流していたミカコのデビューシングル、あれもかなりの大音量だった。「お父さんも喜ぶと思うから」──そう言われてようやく、僕のほうが折れた。

 懐かしさは募る。フロントガラス越しの風景の変わらなさもあって、余計にそう感じられた。自宅へと至るこの国道なんて、それこそ何度通ったか分からないし、かつては父の車に乗せられて様々な場所へ行ったものだったけれど、中学の記憶の大部分は学習塾の送り迎えで占められていて──ああ、そういえば。

 瞬間、脳裏をかすめる記憶の断片が、ひとつながりの情景となる。

 父の車に最後に乗ったときも、この曲が流れていた。中学3年の秋。用もないのに遅くまで塾に居残っていた僕を、父は迎えに来てくれた。それが彼の、我が家における最後の務めだった。

 車に乗っている間、僕はたぶん一言も喋らなかったと思う。話したくなかったわけじゃない、何を話していいのか分からなかった。父もまた無言のまま、じっと前を見据えていた。あいしてる、というフレーズの響きのみが、車内の空気をゆるく掻き回していた。

 そうこうしているうちに、車は自宅の前に停まっていた。車外に出たところで「タクロウ」と呼ばれた。僕の目の前に立った父は──僕の両肩をそっと掴んで、静かに告げた。

「俺みたいに、なるなよ」

 いつだって彼は自分を「お父さん」と呼んでいた。
 そこに居るのは、かつて父だった一人の男だった。
 その事実がたまらなくさびしくて、かなしかった。

 ──ならないよ。

 あのとき涙で言えなかった一言を、胸の奥底でつぶやいてみる。

 本当は、いつかまた父に会いたかった。
 成長した自分を、恋人のことを、誇らしげに自慢したかった。
 あんたのように悲しませたりしないのだと、宣言してやりたかった。

 ──だから安心してほしいと、そう伝えたかった。

 車内備え付けのボックスからティッシュを一枚取る。
 遅れて、母さんも横から二枚まとめて抜いていった。

「お母さんもね、色々思うところはあるけれど」
 赤くなった目元を拭いつつ、母さんが微笑む。
「あなたの将来は、あなたのものだからね」

「経験者」の言葉の重みを感じつつ──僕は自宅前の路上で車を停めた。

「……この車、もうちょっと借りていいかな。少しドライブしたくて」

***

 数分ほど走らせたところで、コンビニの駐車場に入った。

 ミカコに通話をかけると、コールが数回鳴ったところで「どうしたの?」と声がした。いつもの軽快な口調、いつもの優しげな声音。数週間前に僕が保留を決め込んでなお、少しも変わらず接してくれている。そんな「普段どおり」に、喉の奥がぎゅっと締まるような心地がした。

「いま話せる?」
「ん、大丈夫。今日はオフだから」
「そっか……あのさ、」

 言わなければならない。
 だのに、その後の言葉が続かない。
 スマホを握る手が、自分でも驚くくらいに震えているのが分かった。

 不自然きわまりない間がそのまま重苦しい静寂となりかけた、その刹那。

 “あいしてる──────”

 爆音のごとく、車内に自分とは別の声が轟いた。

 たぶん僕は、叫んだのだと思う。しかし、それも「あいしてる」の連呼に掻き消され、己の耳にすら届かなかった。

 視線を下ろせば、音の出所はすぐに判明した。助手席に転がった母さんのガラケー、その「着うた」だった。着信表示は母だった。そのまま出ようとしたものの、すんでのところで切れてしまった。

「……なに、どうしたの今の?」
「……いや、えっと気にしないで」

 察するに母さんは、自分の携帯を車内に置き忘れたことに気付き、家の固定電話から架けてきたのだろう。間が悪いにもほどがある。ただ──気付けば、先ほどまでの震えが嘘のように収まっていた。

「大事な話なんだけど、」

 深呼吸をひとつ挟んで、僕は再び口を開いた。

「あいしてるけっこんしよう」

 思った以上に早口になった。棒読みになってしまった感も否めなかった。
 その証拠に、スマホの向こうからは反応がない。
 これはマズいかもしれない、と内心焦りつつもう一度、

「愛してる──」
「聞こえてる! ちゃんと聞こえてるから!」

 こちら以上に焦った声音が、二度目の宣言を上塗りしていった。

「……それも、『練習』の一環?」
「言われてみれば、そうだね」

 この「本番」は、東京に戻ってからになる。
 ただ、この練習は今後も必要になるのだろう。
 僕も彼女も、お互いに。

 10年前、かつて心に定めた指針があった。
 今もなお、それはほとんど変わらない。
 ただ、10年も続けていれば、流石に欲も出てくるというもので。

「俺も、経験したいことができてさ」

 これからもミカコの経験になり続けること。
 僕の人生が続く限りにおいて、いつまでも。
「さようなら」と彼女に告げる、その日まで。

「人生を全うする君を、側で看取りたいんだ」

 一拍の間があって──

「こまったな」
 と、ミカコはどこか照れくさそうに言った。
「その経験、わたしもしたいんだよね」

 だろうな、と僕は苦笑する。
 負けられないな、と思う一方で、譲ってもいいかと思う自分もいる。
 看取られる経験も、それはそれで貴重なものには違いないだろうから。

 母さんの携帯が鳴る。
 メール着信に設定された椋橋蜜柑が、応じるように歌う。
 死が、ふたりを分かつまでと。


<了>

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