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世界一幸せな存在になった夜のこと

わたしです。たのしく暮らしたいです。
でも、今日のわたしはそんな願望を吹き飛ばすほど、幸せな出来事に出会えました。

かねてからお付き合いしていた恋人と、ついに
結婚の約束をすることができました!

正直ここまでとても苦しかった気もするし、振り返るとあっという間でした。

今日はそんな恋人とのことを書いていこうと思います。

登場人物

わたし…2週間前に30歳になった女。生きづらさ三重苦でもなんとか生き延びた。
恋人(ぴ)…31歳。ゴミを溜め込む癖があるところ以外は文句のない人。考え方が少し昭和チック。

出会い

わたしはアニメが好きないわゆるオタクをしている。
アニメ好きで、その関連でとあるゲームのプレイヤーでもある。
ぴとは10年前、わたしが19歳の時に恋人の紹介で知り合った。
ぴは、当時の恋人の高校からの友人だった。

同じゲームをしているので紹介されたけど、びっくりするほど愛想がなく、挨拶も最低限で感じ悪くとにかく印象が悪かった。
「あー、この人とは仲良くなれないな」
と思ったのを覚えている。

その日オタクの聖地秋葉原に、ぴはゲームに必要なものを買いに来ていたんだけど、アキバの取扱店舗をいくら回っても見つけることが出来ず、初対面ながらにしょんぼりしているのがわかった。

あまりにも可哀想だったので、当時わたしが1番よく通っていた店舗にならもしかしたら探し物の在庫があるかもしれないと思い、店舗に問い合わせをすると、在庫があることが判明。
ぴと当時の恋人と3人で電車で移動しお店に向かった。

移動している時、わたしがカバンにつけていたポケモンのキーホルダーを見て
「ポケモン、やるの?」
と聞いてきて、やっと会話らしい会話ができた。
ぴの捜し物を見つけられたおかげで、わたしもぴの仲間になれたらしい。

それからぴと友達になり、恋人が忙しい間わたしの相手をぴがしてくれた。
ゲームのトリオ戦を組むこともあったし、恋人と同じくらいぴも大事な仲間になっていた。

恋人と恋愛関係は解消し、友人になったあともぴはわたしと仲良くしてくれたし、別のゲームに一緒にハマり、聖地巡礼旅行もした。
その頃くらいからぴはわたしのことを好きだと言っていたけど、わたしは付き合うのは無理だと思って流してしまっていた。

当時のぴは、元々の無愛想に相まって空腹だったり眠かったりするとすぐ機嫌が悪くなり、それが態度に現れる。
でも、わたしはぴに対する理解度が足らず、なんで怒ってるかがわからなかった。
自尊心0のわたしは、自分がなにかやらかしたのではないかと思考し、例えばそれが空腹が理由だとするとご飯を食べれば治るので、何事もなかったかのようにぴが元の機嫌に戻ることがよくあり、とにかく振り回されてしまっていた。

友達としては好きだけど付き合うのは無理だなというのが、当時のわたしのぴに対するイメージだった。

空白期間とその後

わたしが自然とぴとの出会いのきっかけだったゲームをやらなくなると、ぴや元恋人などゲーム関連の友達とは疎遠になっていった。
元恋人はぴと4年間ルームシェアをしていて、最初の頃は頻繁に遊びに行っていたけど、それすらもいつしか無くなってしまった。

そうしている間に、わたしの病状が悪化し人と会ったりまともに連絡を返すということができなくなっていた。
その頃に1度ぴから「近くに寄るけど会える?」とLINEがきていたけど、それにも返すことができず、それどころか既読すら付けなかったので、ぴの中では死亡説すら出ていた。

ぴの中でわたしが生きてるのか死んでるのか、シュレディンガー状態になっていた頃、ぴが会社から青森への単身赴任を命じられていた。
グループLINEでそれをしった、わたしは埼玉から青森に永住すると勘違いし、慌てて「出発前に会いたいです」とLINEした。

ぴは知らない間に会社の近くの街に引っ越していて、しかも引っ越してから2年以上経っていたという。
ゲーム仲間の1人がぴの会社の後輩になっていたり、わたしのメンタルが死んでる間もみんなは変わっていた。
でも、ぴは「まだ好きだから、付き合いたい」と言ってくれた。
当時のボロボロのメンタルに、10年近くわたしのことを好きでいてくれた存在は大きすぎて、わたしはふたつ返事でOKした。

青森にぴが行った間、わたしのメンタルが暴走したせいで1度破局になったけど、ぴは一時帰省で埼玉に来る度にわたしに連絡をくれた。

わたしはぴが青森から帰ってきたら、ぴとルームシェアがしたいと考えるようになり、それを叶えるために必要なものを書き出した。
仕事をする、仕事を続けられるメンタルを作る、家事をする、お金の管理ができるようになる…。
普通の人はみんな当たり前にやっている事1つ1つが課題として立ち塞がり、対応策をたくさん調べて考えた。

メンタルが苦しくなると「今、なにが苦しいか」を細分化し、Googleで調べ記事や本を読み漁った。
1人で生きていけない、1人になれない、他人依存だったわたしが段々1人で外に出られるようになり、1人でカフェに行ったり、1人で映画を見られるようになった。

青森に行ってからぴとは月に1回くらい電話していたけど「最近声が明るくなったね」と言われるようになったりもして、少しづつ回復し始めていた。

青森出張があと僅かで終わると言われた夏に、ついに正式にルームシェアをするという約束をした。
その時ぴが「実家にもそのうち女の子と暮らすと言ったんだけど、恋人ではないと言ったら親が不審がってた」と言われ、一緒に暮らすのに恋人の方が便利だなという話になり、再度付き合うことにした。
当時わたしはもう恋人を作らなくても生きられるくらいに自立していて、本当に不便さの解消のため恋人を名乗るくらいの感覚だった。

一緒に暮らしはじめてから

はじめて実家を出て外で暮らすのは勇気も必要だったけど、始まってしまえば意外となんとかなった。
ホームシックもならず、それどころか自分が実家にいて苦しかった事も気づくことができた。

ぴは社会人になってから、大きく成長し昔のようにコンディションの悪さが顔に出なくなっていた。
怒ることがほとんどなく、元々細かいことは気にしない性格だったので、一緒にいてとても楽だった。
そんなぴにわたしはすっかりメロメロになってしまい、最初の「まぁ恋人にしておいた方が便利か」と形式上の交際のつもりが、しっかり恋人を楽しんでいた。

「昨日より楽しい」が毎日更新される感覚が体感としてあり「消えたい、死にたい」と思っていた日々が嘘のように思えた。

ぴとずっと一緒にいたい。
ぴと結婚したい。
そう思うのは当然のことだった。

でも、ぴは首を縦にはなかなか振らなかった。
「俺もね、踏ん切りがつかないの」
といつも言って、不満があるかと聞いてもはぐらかされて。
わたしも結婚適齢期真っ只中だし、決めるのなら早く決めたかった。

「とりあえず1年は暮らしてみよう」
と言われたのを素直に受け入れて、1年後また考えようとなった。

暮らしてから1年経った

寒い冬を超え、記録的猛暑の夏を超え、全然来ない秋を待っていると、寒くなる頃には暮らしはじめて1年が経っていた。

1年記念日には特に話がなく、そのあとすぐのわたしの誕生日も話が動かず…。
ぴの会社の情勢が芳しくなく、ぴは転職を考えないといけなくなった。
「転職が決まるまで結婚は無理なんだろうな」
と、もう少し待つことを決めたわたしにぴは
「転職先、新潟にするのも迷ってる」
と話した。
新潟はぴの実家がある。山に囲まれた、豪雪地帯。
車がないと生活ができないし、賃貸もほとんどない。

ぴは実家にいずれ帰ることも考えていて、それをこの転職のタイミングにしようとしていた。
元々ぴが埼玉で働いているのも、わたしが「埼玉で就職してくれたらいつでも会えるね」と言ったからで、もうわがままをこれ以上言うのは良くないなと思った。

わたしは車に乗れない。
ADHDの不注意と、HSPの感覚過敏さで車を運転することが難しい。
埼玉から離れると、通院先も変えなくてはならないのでそれも考えなくてはいけない。
一言で言うと、わたしは新潟にはついていけないのだ。

いつかこの楽しい生活は終わりが来る。
そう思ったら涙が止まらなかった。
ぴとこれからも一緒にいたかった。

新年会に行った

びの会社の福利厚生で、社内イベントがよく行われる。
ボーリング大会だったり、旅行だったり。
家族友達も呼べるとの事で、ぴに呼んでもらうことがあった。
新年会も呼んでもらい、ぴの会社の人とご飯を食べていた。
ぴの会社の人は仲が良く、うちに遊びに来る人もいる。
社内イベント2回目の参加になる新年会では、わたしもすっかり溶け込み「なんか社内の人みたいですね」とよく言われた。

その中で色んな人から「結婚しないのか?」と聞かれた。
わたしは「わたしはいつでもいいんですけど、あの人が良いって言わないんですよ~。どうしたらいいですか?」と返し、大体の聞いた人がぴをからかって盛り上がった。

わたしもわかっている。
ぴだって考えてないわけじゃない。
ただ、きっかけがないだけなんだ。
見つかりもしないタイミングを探しているんだ。
ビビってるんだ。

帰りの電車で、今日食べすぎたとはなし、1駅歩くことになった。
わたしはちょっと押し気味に「結婚しないんですか?」と話した。
「タイミングがない」
「タイミングなんてこない、自分で行動するしかない」
「やってみてダメだったら捨てるなんて無責任なことできない」
「まずはやってみないとどうしようもないし、話し合える間柄だと思うし、別れても死ぬわけじゃない」
と、あー言えばこー言うを繰り返していた。
わたしは「結婚するか決めてくれなきゃ帰らない」と言って、少し遠回りして帰った。

「でも言うとしてこんな寂れた公園の前とかでいいの?」
と言われたから
「まぁ約束だけして、ちゃんと言うのはまた別でやろう」
と言ったら
「じゃあ、籍入れようか」
と言われた。

とりあえず視界が滲んで、なんかすごく許された気がした。
こんなわたしでも選んでくれる人がいるんだという感覚、わたしもこの世界にいていいんだという許された感覚があって、ぴとこれからも一緒にいられるのが嬉しかった。

今日はもう遅いから、今後の詳しいことは明日以降決めるとして、とりあえず1番引き出したい言葉をなんとか言って貰えた。

頑張って生きてきて良かったって思えた。
頑張って生きていけば必ず幸せは訪れるってことをまた色んな記事で発信出来たらと思います。

世界一幸せな存在になれたわたしが、noteを通じてなにかを届けられますように。

これからが大変だろうなぁ~!


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