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ただの日記と面白いエッセイのちがいは「コレ」じゃないかな

こんにちは、わたしです。

#66日ライラン という企画に参加して早1週間。
あれこれ記事を書いてきましたが、ふと「今日何書くか…」と悩むことも出てきました。

そんな時に、日々の出来事を書いた「エッセイ」が書けたら、ネタ切れに困ることもないのになと思いました。

そんなエッセイについて考えてみます。

今日のわかること

自分用の日記と見せるためのエッセイ
その違いって「コレ」があるかどうかじゃないかな?


面白いエッセイが書きたい

日々のことをただ書くだけでも、もちろん問題はないです。

わたしのnoteを書く時のマインドは「自分のために書く」なので、一日の出来事を列挙するだけでも問題はありません。

ただ、どうせ書くなら面白いと自分で思えるものを書きたいと思っています。

なので、面白いエッセイとはなにかを考えてみました。

今回わたしが面白いと思ったエッセイはこちら。

このあとわたしが色々あーだこーだ言うのを読む前にとりあえずこの記事を読んで欲しいです。

ネタバレを読まずにとにかく読んでください。


面白いエッセイにあるもの

このエッセイを読んで、面白いエッセイに必要なものは「オチ」だと確信しました。

わたしはこのエッセイを、ただの国際交流の日々録だと思って読みました。

しかし、実際は国境だけではない様々なものを超えた交流をしているのです。

それを最後に明かされた瞬間、雷に打たれたような感覚がありました。

これは面白い!

つまり、面白いエッセイには「オチ」が必要で、しかしオチが輝くためにはそこに至るまでの道のりが必要です。

オチまで読みたいと思える構成と文章力が必要となります。

だいなさんの今回の記事は、オチもそうですが、どんどん読みたくなる展開がされています。

外国人の友達としているやりとりが淡々と記載されている前半、中盤はまるで舗装された平らな道を歩いているようです。

しかし、最後思わぬ落とし穴に落ちたような驚きがありました。

アスファルトに穴が掘られているとは誰も想像しません。

そんな不意打ちを喰らった文章でした。


面白いエッセイが書けるとお得

冒頭でも書きましたが、日常の出来事から面白いエッセイが書けたら、ネタに困ることはありません。

わたしたちは、文章を書くほかに様々な「日常生活」をしています。

朝起きてから寝るまでの間、なにかしら行動したり考えたりするはずです。

わたしはプライベートのアカウントで、日々思ったことや起きた出来事を呟いています。

それが面白い、もっと見たいと言われました。

わたしの普通が誰かにとっては面白いというのは新しい発見でした。

他人の日々や考え方を知るのは面白いのだとしたら、書き方1つで無限に記事が書けるのだと気づきました。

なので、エッセイの書き方や魅せ方も研究したいなと思いました。



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