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Decision

理想の死に方を考えたことはあるだろうか。

夢の中で何回か死んだことがある。
事故や事件に巻き込まれ、何回か死んでいる(現実逃避)。
頭は働いていても体が何も反応せず、何の意思も伝えられないまま暗闇に葬られる。

そんな夢を経験したことはあるだろうか。
大半の人が首を横に振るはずだ。

ではどのようにしてこの世から去るのが理想的なのか。
痛みを長年伴いながら死ぬのか、ある日突然何かに巻き込まれ死んでしまうのか。また、自分で死の道を選択するのか。

死生観は人それぞれだ。

日本では人生の終え方を自分の意思で決断できない人が多いと思う。(自殺を除いて)

日本では安楽死が合法化されない。

1日本人の考えとしては合法化に賛成だ。
決して反対の方の意見を否定するものでない。
勿論、反対派の主張も理解しているつもりだ。
人は生きている以上、死ぬことも含めて幸福を追求する権利をもち、人生を全うするのが、その人の義務だと。
安楽死が認められたら安易に死を選択する人が増えるのでは。など、これらが正しいかは分からないが、自分のなりの反対の意見も持ち合わせてはいる。

では、なぜ賛成派なのか。
賛成の理由としては、何をもって人となすのか。
延命して胃瘻で栄養を取り、酸素をつけ、発語もなく、意思疎通ができない状態。つまり死への道を何もできずに手繰り寄せている状態。
もし自分がこの状態で思考が残っていればどう思うだろうか。体が不自由でも思考が残っていれば苦痛に感じてしまう。
であるならば、ある程度思考を表現できるうちに最後を迎える選択をするのは間違いではないと思う。勿論本人の承諾すなわち意思表示を得るのが条件である。その家族が本人の同意なしに死の道を選択させるなら、それは殺人とも言えるだろう。

自分が自分であるうちに。
死に方は人によっては自分ができる最後の決断だと思う。
最後くらい自分の意思で、人生最後の自己決定権を使ってもいいんじゃないかと。

このテーマは中学生の頃からずっと考えている。
何が正解かは分からない。色んな意見がある。
ただ、歩む道は自分の意思で選択すべき。
この考えだけはずっと変わっていない。

このような内容を深夜に書いている自分が怖い気もする。別にそのような意思があり、書いている訳ではないとここに誓う。
ただ、死に疎い我々若者が考えなければならないテーマだと思う。
超高齢化社会を迎え、この問題が引き金となる前に。

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