#暮らしたい未来のまち
私が生まれ育ったのは東京の下町で、子供の頃は広い敷地が近くにあり、そこが唯一の遊び場でした。
トンボ取りで夢中になっていた小学生の頃を懐かしく思い出します。
夕方になるとコウモリがたくさん飛んでいました。
コウモリなんて信じられないですが、ふつうに空を舞っていたんですよね。夕方になると夕焼け空には、たくさんのコウモリが毎日飛び交っていました。
今はそこは小さな公園があって、会社の寮や団地、住宅になっています。あの広場は跡形もないです。
ただ、人は変わりなく、子供の頃からのご近所さんばかり。
今は皆さん80歳から90歳になっていますが、すごく元気です。
両親が、ご近所を大切にしてくれていたので、私の存じ上げない方からもたくさん声をかけてもらえます。
「お父さんいつもニコニコしていたわよね。」とか「色々修理してくれて助かったわ。」など。
私の知らない父と母の話を聞くことも珍しくないです。
何十年も一緒に暮らしていたのに、全く知らない父母がたくさんいて、なんだか不思議な気持ちです。
地域の小さなお祭りも大好きです。どんなに大きなお祭りより、ワクワクしていたのを思い出します。
隣り近所で鉄板焼きをやったり、「たけのこ狩りに行ったから、取りにきなさい」とポストにメモが入っていたり、鯵のたたきを作って持ってきてくれたり、田舎から送られてきたデコポンを持ってきてくれたりなどなど。
面倒くさがりの私にとって、こういう付き合いは、厄介なはずなんですが、嫌ではないんですよね。
そんなやりとりが幸せを感じるんです。
自然な感じのお付き合いができているんでしようね。
もし、あまり得意でない人やよく知らない人だったら、気が重くなっていました。
若い時は、華やかな世界に身を置きたいと思っていましたが、何事もない穏やかな今を、1日を、明日を、と望んでいる私に代わっていきました。
生活の中で、いろいろな物が便利になればなるほど、そこに留まっていられない焦りと戦いがあって、私には目や耳を背けたい気持ちでいっぱいになります。
歳を重ねていくうちに、更にその気持ちが強くなって、この何気ない日々がいかに大事なのか、自分が求めていることなのかがわかってきました。
30歳の時、「何のために生きているのか?」と毎日考えている時期がありました。
なんだか自分が今、何が幸せなのかわからなくなってしまい、「最終的に何が幸せなのか」を探していたんです。
更に歳をとって、近所の方の大切さや人々との交流が、幸福感をもたらしてくれている大きな要因であると感じました。
下町のこんな日々は、今、コロナ感染の影響でほとんど出来ていませんが、また元に近い感じに戻れるならば、ずっと続いてほしい光景です。
これが私の理想の生活で、暮らしたい未来のまちです。
子供の頃の日々はもう戻らないでしょうが、下町の独特の雰囲気は残していってほしいです。
私にとってまた巡ってきて欲しい未来のまちです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?