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日記 2024.4.17

 今日は夏に出演する舞台の打ち合わせだけが大きな予定だった。近頃は、日中のイベント出演の話なども増えていてありがたい。割と早く起きて動くようになってるなあ。
 帰宅して、嫁の作ってくれた遅めの昼ご飯を食べた。キムチ、自家製チキナーふりかけ、自家製ラペ目玉焼きオンライスみたいな感じでしに美味かった。スープは中華風のキノコスープ。ご馳走様でした。
 それから、ちょっと昼寝を挟む。ちょっとのはずが、かなり寝てしまった。いつものことだが、最近は昼寝の時間も、保育園児のように一日の予定に入れている。予定として入れるだけでも、"昼寝も仕事のうち" という気分になれて多少寝過ぎても罪悪感が少ないからあら不思議。
 夏場の公演でも、曲を何曲か書くことになりそうで、非常に楽しみだ。ダンサーやヴァイオリン、ヒューマンビートボックスの方たちと創る舞台。セリフへ無しだが、一貫したテーマと物語があって、今日話を聞いてきた。イメージも湧いて、曲を書くのが楽しみになった。
 僕は、テーマ無しに曲を書いたりももちろんするのだが、やはり"相手が居る" 時に潜在能力が発揮される傾向が強い。スムーズに楽しく曲がかけたなと思える時は、求められてるイメージや、一緒に演奏するメンバーの顔、また届けたい相手のイメージがある時だったりする。だから、どんどん"誰かに向けて" "何かに向けて" 書くことの出来る機会が舞い込んでくるのは本当に嬉しい。感謝。
 ただ、なんとなく書けた、書けてしまった、とか、書いた時はいい曲だと思わなかったけど、時を経て忘れた頃に弾いてみたら良かった、みたいなこともあり、制作とは奥深いものだ。だから、意識的であること、無意識的であることの両方が重要だという気がしている。金沢の友人と話していたことだが、意識的なプロセスは、無意識の領域が流れ込んでくる場を整えるためのプロセスだとも言える。無意識を呼び込むために、意識的である、みたいな。彼は無意識が腰掛けるための椅子を日々作っている、みたいな表現をしていてとても納得した。それから、ルーミーという中東の詩人の詩にある"私は神の息の通る笛" という表現もまた雅だ。
 そんな風に思うので、日々曲は書き続けている。以前は、"ただ指だけが動いている演奏はイカン!" と毎度言ってくる頑固親父が僕の中に居たのだが、そして今も居るには居るのだが、、、親父との折り合いがついてきたように思う。親父の言い分だけに従うと、ある時"自分" という領域が感情や思考に留まってしまい、無意識が呼び込みにくくなる感を抱き始めた。ただなんとなく、オートマティックに、鍵盤に触れる、また歌う、みたいなことがうまくいけば、無意識が柔らかく流れ込んできたりする。しかし、これもこれでコンディションによる部分もあるから、親父とは喧嘩別れはしない方がいいと思って、意識的な努力も引き続きやっている。
 とまれ、オートマティックであるということを最近は悪しきこととは必ずしも言い切れないと思いながら、奏で、また書いている。
 そうそう。コンディションねえ。僕はコンディションというものに関しても様々な思いがある。まだ答えは見えてないが、コンディションを"整える" ということに関して、必ずしもそればかりがいいとは思っていない自分が居るのだ。なぜだろう。
 無論、今日という一日を出来るだけ楽しく生きるという意味で"整える思考" は必要だと思っている。でないと、衝動に流されるままになり、真に自由に遊べなくなるからね。直感というもので動き過ぎる僕には必要なことだと思っている。
 けれど、コンディションの悪さすらもぶち込む場がアートだと思っている。
 僕は一月前くらいから、言ってみれば"コンディションが悪く"なり始めた。二月はかなりのハイテンションの日々が続いていて、ライブでも爆発しまくったので、燃え尽きたようになり、三月頭の友人のバーでの弾き語りライブの時になんとか持ち堪えたような感じだった。その日もなんとなく、鳩尾がつっかえ始め、二月中のクリアな視界がなんとなくネガがかかっているようになっていた。そこから徐々に気持ちは下がっていった。
 まあ寝不足もあったろうね。大酒もあったろうね、、、。一月はかなり酒の量も減り、からだも軽くなってたからね。だから二月爆発的に動けたのかも。僕なんかは逆にコンディション整えを軽視し過ぎかも。破滅願望めいたものが、在るんだよな、、。危険。
 このバイオリズムは昔からなのだが。いわゆる躁鬱というやつかもしれない。今は、鬱期が明けかけているが、かなり心がナイーブになっているので、ガツンと人前で元気出したりし過ぎるとまた息が上がりそうになる。今は丁寧に、を心がけている。この日記も、丁寧に、の一貫だ。一日を振り返ってあんなことしたな、こんなことしたな、あの時こう思ったな、ということを確実に刻印するために書いている。ともすると僕は魂消るから。まあ魂消れるのもすごいことだと思うけど、魂消過ぎて自分を見失う時があるから。特に鬱の時。
 昼寝を長めにとったからか、結構スッキリしている。昼寝侮れない。
 
 ひとまず。

 

 嫁とジバゴへ行き、今日は風が暖かかったので外のベンチに腰かけコーヒー片手に語り合った。これから何をしていくかというワクワクするような話。嫁とのユニットDois: Pontos では、沖縄に来てから明確になりつつある"みんなを音楽家にする" という想いのもと、今年からはワークショップを重ねる。固有の響きで音楽のレゴブロックを作るワークショップから、もひとつ僕がやりたいのは、フィールドワークをもとに音楽を制作するワークショップだ。この沖縄を、自分の目で、からだで、"視る" 。フィールドワークを重ねる。
 それから海沿いを散歩。汐風が肌に張り付く。もう夏の匂い。さすがは沖縄。とてもいい時間だった。結局話が盛り上がって、その後は残波岬あたりまでドライブして東海岸経由で帰宅。嫁は、嫁だけでなく、永遠の親友でもある。
 帰宅して、昨日書いた曲の音源制作。めちゃくちゃいい。実際にバンドで音を出すのが楽しみだ。

 その後、絵を二枚描いた。
 これから練習して、風呂に入り、読書して寝る。
 今日もいい一日だった。感謝。
 
 

普天満神宮寺の門
写真を撮ってきて
それを見ながら描くのが楽しい

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