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近況報告

みなさんお久しぶりです。
2か月半くらいかな、投稿を完全にサボっていました。
特に何があったわけでもなく、平穏な日々を過ごしてはいたのですが、唐突に「文字によるアウトプット欲」を他のコンテンツに吸われていました。

他のコンテンツってなんなんだというと、一次創作ですね。
学生時代は頻繁にガリガリ(厳密にはカタカタ)やっていたものですが、社会人になってからは心身ともに忙しく、集中して小説を書くような時間も体力も失っていたのですが。
ここ最近、また以前のように、ガリガリ(厳密にはカタカタ)やる日々が戻ってきたような感じです。

noteに投稿しているような「エッセイの執筆」と、趣味である「小説の執筆」を両立できれば一番いいのでしょうが、私の場合、「文字を生み出す」という点で、この2つによって消費されるエネルギーが共通しているんですよね。
つまり、1日に5000字書けるとして、それをエッセイに何文字、小説に何文字と振り分けて書くような。
集中してどちらかをたくさん書くと、もう片方はおざなりになってしまうわけです。

そういうような理由で、ここしばらくnote記事の投稿が滞っておりました。
その分、小説はかなりのスピードで書き進めていたのですが、今のところnoteでは一次創作を公開する予定はないので、ここでは純粋な沈黙(あるいはただのサボり)という形に今後しばらくもなりそうです。

もし、以前までは狂ったようなペースで更新していた私の記事を楽しみにしてくださっていた方がいれば、申し訳ないです。
今書いている小説が完成すれば、またnoteをガツガツ更新する日が来るかもしれません。
・・・とはいえ、日常的なあれこれも少しずつ環境が変化してきており、以前(今)のような勢いで今後も文字を紡いでいけるかというと、ちょっと微妙なところではあります。
日常生活については、機会があれば、また今度。

そんな感じで、今回は近況報告でした。

以下はおまけです。

毒親のタグをつけて記事をいくつか書いているせいか、そういったテーマの記事が、おすすめによく表示されるようになりました。
自身の体験に基づいて、「自分の親は毒親かもしれない」「毒親にこんなひどいことをされた」というようなことが書いてある記事は、今でも結構読ませていただいています。
色んな人がいて、色んな親がいて、色んな経験がある。
他人の目から世界を見ることができるのは、とても面白いことだと感じます。
毒親に関する記事については、「面白い」では済まず、応援する気持ちになることが大半ではありますが。

そんな中で、目についた記事がありました。
内容はというと、「毒親について研究・分析する」みたいな主旨で、他人の語る体験談を引用し、「こんなのが毒親ですか?(笑)」と暗に嘲っているようなものでした。

・・・ネット記事に関しては、「嫌なら見るな」が大原則だと思っています。
わざわざ(特に匿名で)アンチコメントをつけたり、引用して反論するようなやり方はあまり好きではないですし、私もその記事をそっと閉じて、それでおしまいにするつもりでした。
色々な記事があるなあって。

けれど、少しだけ。言いたいので言いますね。

自分が経験したわけでもない他人の体験を、勝手に断定して断罪するな。

なんなのでしょうね。
他人がSNSに書いている、その人の人生のほんの一部の経験を、体験談を、その価値観や心情を少し齧っただけで、何故その人の生育環境を完全に把握できたような気持ちになって、「その程度(笑)」みたいな感想が湧くのでしょうかね。
いえ、どんな感想を抱いても別に構わないのですが。
わざわざ引用して、その人の目にも届くような形で、小馬鹿にしたような形で「その程度(笑)」と言ってしまえる神経には、驚愕します。

まあ、SNSってそういう場所なのかもしれませんけどね。

しかし、大人になった今でも、「ハイ論破(実際は論破できていない)」みたいなものって、楽しいものなんですかね。
確かに、気持ちのいい反論みたいなものは存在するかもしれませんが、そういう類の感情って、エゴや浅はかさとセットになっているようなイメージなので、どこか後ろめたさを伴う気持ちよさだと思うのですが・・・。
そういうわけでもないのですかね。よくわかりません。

大抵のことは聞き流せるつもりですが、毒親に関して思うところのある私としては、いかなる状況であったとしても、「そんなの毒親じゃないよ」って断言できる人に対しては不快感を覚えてしまいますね。
そんなことは、本人にしかわからないので。
同じ親に育てられた兄弟でない限り、「それは毒親ではない」なんて言うことは、絶対にできないと思います。

それが仮に、「ママがブランドバッグ買ってくれない!毒親だ!」というような声であっても。そのほかの部分が見えない限りは、周りの人間は何も断定・断罪するべきではないと思うのです。
もちろん、「バッグ買ってもらえないのは残念だよね、お友達もみんな持ってるんだもんね。劣等感を覚えちゃうよね。でも、家計の問題とか色々あるから、お母さんも、嫌がらせで買ってくれないってわけじゃないんじゃない?」くらいのことは思うかもしれませんけどね。

おまけの方が長くなってしまった気がしますが、まあいいでしょう。
また、創作の息抜きがてら、たまに更新していこうと思います。
そんな感じで、今後ともよろしくお願いいたしますね。

ではでは、今回はこのへんで。


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