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流るる美の語りて曰く

何にも考えずにタイトルをつけた。
フィーリングで読んでほしい。

筆者はエッセイ記事の執筆だけではなくて、普段は(というか元々は)創作をやっている人間なのだけれど。
創作というのは一次創作のことで、平たく言えば、フィクションの小説を書いているということだ。
あ、もちろん、趣味でです。アマです。
いちおう製本したりしたこともあるのだけれど、例えば文学フリーマーケットで配布したりだとか、そういうのは今のところしたことがない。
精々、ネットでひっそりと公開したり、紙とインクに現して極一部の人間に配ったりしているだけだ。

何の話かというと。

文字を紡ぐということについての話。
前にも似たような話をしたとは思うのだけれど、今回は「創作」と「物語」の話をしたいと思う。

創作って

ゼロからイチを生み出すような作業であって、けれども突き詰めていくと大抵のものには「元ネタ」が存在していて、創作はいわば個性的な模倣であって、選択のセンスと伝聞の技術を織り交ぜてできた結晶であって、決して本当は「ゼロから生み出した」ものではなくって、、
というふうに、創作についての議論は色々あると思うのだけれど。

私にとっての「創作」は、あまり難しいものは含んでいなくて、ただ「美しい」ことだけを目指しているといっても過言ではない。
ここでいう美しさは、奇抜なものではなく、万人が認知できて、ただ恒久にそこに「在る」、ひらけた知のようなもののことだ。
特別な知識を持っていなくても読み解くことができて、難しい単語や専門用語は一つも含まれていなくて、流れるように文字が綴られていて、飲める美しさのようなもの。
そういうものを生み出すのが好きで、私は創作家をしている。

もちろん、読み手としては、小難しい話も好きだ。
例えば巻末の付録などを参照しながら、1つ1つ単語の意味を知って読み進めていくような純文学も、読んでいて楽しいことは言うまでもない。

ただ、私が書きたいものは、もっとライトなものなのだ。
なんなら、斜め読みができるくらいの。疲れていてもさらさらと目から流れ込んで脳まで送り届けられるような、そのくらい軽くてきらきらしているものが書きたい。
絵本を作るのも好きで、絵がメインの作品についても構想したことがあるけれど、やはり私は文字作品が一番好きだ。優しい文字が好きだ。

長らくそういうふうな創作を続けていて、辿り着いたのは「短文」の創作だ。
俳句、短歌、都都逸、あるいは自由律の詩。
短くて、わかりやすくて、読みやすい。
ほんの数秒で文字の美しさを摂取することができるし、ものによっては余韻が深かったり、自由な思案の余地があったりする。
短いから作りやすいということはないのだが、短いから読みやすいというのは大いにあるだろう。

私が生み出す短文は専ら、そこまで味わいが深くないような、さくっとしたものばかりだ。読んで5秒後には忘れているくらいのもの。
入念に字数をかぞえて位置を調節してニュアンスを噛みしめて作品を作っている方々からすれば、ふざけたようなしょうもない作品であると思う。
でも、創作の楽しさは、「こういうのがあってもいいじゃないか」という部分だと思っているので、まあ気楽なものだ。

折角の機会なので、自作の短歌と都都逸をいくつか掲載しておく。

繋ぎとめられるならなんだってした 私の愛は羊水の味

短歌(57577)

深海の人目背けるばけものの硬く冷たく美しい鱗

短歌(57578)

家族捨て出てった父の新しく産まれた子どものキラキラネーム

短歌(57587)

湯立った頭と生煮え臓腑、冷えたる足先燃ゆる胎。

都都逸(8785)

酸いも甘いも常世の馳走 地獄にゃ地獄の味がある

都都逸(7785)


こう見返してみると、字余りが多すぎる。
リズムとしては読みにくくないからいいか、という判断だったのだろう。書いた時のことは覚えていないが。
あと、湿度の高い文章が多い気がする。
まあ、楽しくて幸せなときに創作をするタイプではないので、こう、悶えながら生み出したのだろう。・・・覚えていないのだが。


物語って

さて、ここまでは私の「創作」のスタンス、つまりは「読みやすくて美しいものがいいよね」ということについての話だったのだが。
それだけでも私にとっては十分なのだが、それはそうとして、私はやはり「物語」も好きだ。

物語とはなにか?
それは、生き物の、関係性の話のことだ。
私がいて、あなたがいて、だからそこに物語が生まれる。というようなもののことだ。

風景画のような、泰然とした自然や、何気ない日常に寄り添う美しさもあるだろう。けれど私は、どちらかといえば、誰かの生命を感じる、人物画のような美しさのほうが好きだ。
誰かが誰かのことを想って、心を動かしたり、脳を絞ったり、魂を砕いたりする過程がとても好きだ。愛おしくて、尊いと思う。
もしかしたら、人間自体が好きなのかもしれない。

物語を書こうと思うと、やはり短文では足りない。
いや、足りないということはない。少ない字数の中でも、関係性を匂い立たせることはできるだろう。私が生み出す短文も、そういうふうな、人の気配を感じさせるものの方が多い。
けれども、やっぱりそれでは、物足りないと感じることがある。
気配では物足りない。息遣いが、呼気の湿度が欲しい。血流の温度が、拍動の力強さが欲しい。瞳のなかで燃える炎が、欲しい。

そういうものを書こうと思うと、より緻密に書き込もうと思うと、物語には「背景」が必要になる。
そして、人と人との間に存在する「空間」、すなわち「余白」が必要になるのだ。
そういうものを表現するには、短文ではどうしても、足りない。
吸った空気が冷たくて、その冷たい空気がさっきまであった空間を、きみの生暖かい呼気が埋める。
そういう、取るに足りない「空白」の話がしたい。

さて、長くなってきているが、私の文章は読みやすいだろうか。読みにくいだろうか。
適当に読み流しつつ、詰まることなく、ここまでさらさらと流れてきてくれている読者がいると嬉しい。

長めの創作については、noteで公開する予定は今のところないのだが、こういうふうなとりとめのないエッセイのようなものは、これからもたくさん書いていくことになると思う。
美しくて、読みやすくて、どことなく物語を感じさせるもの。
・・・を、現状書けているかはさておき、書きたいと思っているよ。

最近は長くなりすぎないよう心掛けているので、このあたりで終わっておこうかなと思う。
また次の記事でお会いしましょう。

では、今回はこのへんで。


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