見出し画像

レンアイの話

愛の話がしたいと言い続けているのだけれど、書ききれる気がしないので一旦、恋愛の話をすることとする。
結構赤裸々に書きます。
下世話な感じの話(話し方)が出てくるから、苦手な人には合わないかも。上手いこと回避してね。

全部、一般論ではなくて、「私にとって」の話です。
まずは、私にとって恋愛とはなんですか、という話ね。

私にとっての恋愛、というのは、脳の致命的バグであり、オーバーヒートであり、コントロールが効かない大暴走状態のこと。
RPGの状態異常でいうところの、毒マヒ混乱に全部かかってるような感じ。
健康か不健康でいうと不健康寄りだし、健全か不健全かで言えば、まあまあ不健全なのでは?というような状態。
論理的思考も生存本能も社会的立場も全部かなぐり捨てて、「きみのためなら死ねる」をやるのが恋愛、だと私は思っている。

というのも、私は恋愛においてかなり激重人間なんだよね。
好きな人がニートでもいいし。私が全然養うし。なんなら腎臓売ってもいいし。仕事も家事も私がやるから家でだらだらしてていいよって思うし。
好きな人が人を殺しちゃったって言うなら一緒に埋めに行くし。罪を重ねてでも頑張って隠蔽するし。無理そうなら一緒に逃げるし。逃がすし。
好きな人にお願いされたことは全部叶えてあげたい。例えば性転換してって言われたらするかもしれないし。死ねって本気で言われたら死ねる。
なんでそんなことができるのかというと、着地点が「だから私を好きでいて」だからです。
私にとっての恋愛は、「めちゃくちゃ好き」で、だから「同じくらい私のこと好きでいてよ」。
そういう盲目状態のことを、恋愛と呼んでいる。

余談だけど、これが「人生でたった1人に対して思うこと」とかなら、こう、「運命の人」感があっていいのかもしれないけど。
私は恋愛体質なので、割といろんな人を好きになって、好きになる度にこういうことを思っていたよ。本気で思っていた。
(だからダメンズメーカーと呼ばれていたしある意味メンヘラだったと思うし恋愛で上手くいくことは基本的に全くなかった。)

これは他人の意見を否定するわけではないのだけれど、恋愛をしていると自称している人が、「いや相手のために死ぬとか無理(笑)」っていうスタンスなのを見ると、本当に理解ができないなと思ってしまう。
いや、それが健全な恋愛(?)なのはわかっているし、望まれている理想の形がそっちであることはわかっているのだけれど。
健全な恋愛って、それもう恋愛じゃなくない?
純粋に好意があるだけか、もしくはただの欲じゃない?
って思ってしまう。
まあそんなこと言い始めると、言葉の定義の話になってしまうし、ただの言葉遊びの話になってしまうからね。掘り下げはしないけれども。
少なくとも、私にとっては、恋愛というのはもっと過激で灼熱で本気で盲目で地獄みたいなものなのだ。

で、私が思う恋愛というのはですね。
ただの感情の一種であって、完全にそれ単体で独立してるものなんだよね。
どういうことかというと、恋愛=交際ではないし、恋愛=結婚でもないし、恋愛=セックスでもないということ。
純粋に「うおおおお好きだああああお前のためなら死ねるぜ!!!!!!」という感情(状態)のことを恋愛と呼んでいるので、そこに社会性みたいなものは勿論なくて、常識とか、体裁とか、倫理観とか、そういうものもあるはずがなくて。

恋愛してる相手と、なんか「約束」が欲しいなって思ったら交際するかもしれないし。
交際してる相手が既婚者なら、不倫になるんだろうし。
恋愛してる相手と触れ合いてえ!ってなったらセックスもするかもしれないけれど。
それら全部があってもなくても、恋愛が恋愛であることに変わりはないというか、別にそこの関連性は重要じゃないかなって思う。
逆に、恋愛していなくても誰かと交際することもあるだろうし、恋愛じゃなくても誰かとセックスすることも普通にあるんじゃないの?って思うよ。

でも、世間一般ではそれらのことは恋愛と強く結びつきのあることだとされているから、一応それらについても考えてみる。

交際(いわゆるお付き合い、恋人同士の状態)することについて。
これはパフォーマンスの側面が強いと思っている。「誰かに見せる、聞かせるため」の言葉・関係性じゃないかな。
だって世界にその2人しかいなかったら、わざわざ「恋人同士になろう!」とか言わない気がする。恋人になってもならなくても一緒じゃんて。
わざわざこんなふうに他者の視点を取り入れるのは、やっぱりそれが「約束」の側面を持つからじゃないかな。
恋人なので、大切にします。恋人がいるので、他の人とは仲良くしません。あの人は恋人がいるから、手を出してはいけません。
そういう暗黙の了解というか、社会性のために、「交際」という状態が生まれたんじゃないのかなと思う。

結婚について。
これはただの法的制度だと思っている。法律上の、籍とか世帯とか配偶者とか、そういうのを上手いこと調節するためにすること。
たとえば配偶者の関係であったら、片方が不慮の事故で亡くなったとしたら、もう片方には財産を受け取る権利がある。もし結婚していなかったら、法的に「繋がり」が証明されないから、法的手続きにおいて不便が出てくるよね。
まあ、前述した「交際」状態のパワーアップ版、みたいな側面があるのもわかる。交際よりも、より固い約束で、より強いパフォーマンス。
でもそれも、2人の関係性、だけの話なら、本当は必要ないんだよね。わざわざ約束しなくても、誰かに認めてもらえなくても、好き同士で死ぬまで一緒にいることはできるし。
だからやっぱり、「ただの法的制度」かな。

セックスについて、は、これはあれだね。
恋愛とは一切関係がありません。ただの欲で、3代欲求の1つだね。
恋人や配偶者に向くこともあるし、そうじゃない人に向くこともあるし、好きじゃなくてもそういう欲が出ることもあるし。
私は恋愛体質ではあるけれど、それと同時に性的な意味での奔放さも(考えとして)持っているから、誰とどんなふうに何度しても、別に罪悪感を持つ必要もなく、普通の、当然のこと(行為)だと思っているよ。
食事と同じようなものだよね。美味しいもの食べたいし、いっぱい食べたいし、お腹空いてたらそんなに好きじゃなくても食べるかもしれないし、いろんな味を食べ比べて試してみたいし、食べるためには生き物を殺していただくこともあるし。でもそれは欲求だもん。本能だもん。誰に咎められることでもないよ。(ベジタリアンが食肉に対して怒るみたいに、一定数怒る人がいることはわかっている。)
あ、暴力は良くないし、犯罪がだめっていうのは大前提だよ。

と、まあ、私の恋愛についての考えはそんな感じかな。
100人いれば100通りの「恋愛とは」があるから面白いよね。
何かの参考になるか、もしくは暇つぶし程度になっていれば幸いです。

ちなみに、私は既婚なんですけど、配偶者に対する気持ちは「愛が8割、恋愛が1割、機能維持の最小単位としての家族の一員という冷静な打算が1割」です。
ほとんど愛です。
そのうち愛の話をする。かもしれない。

では、今回はこのへんで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?