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ジブリ映画『君たちはどう生きるか』感想 ※重大なネタバレあり

古来より、生者が住まう現世と死者が住まう常世の間には、境目の世が存在した。
すなわち、輪廻転生が行われるその場である。
そこに時間や空間の概念はなく、稀に死の匂いを纏った生者が迷い込んできたり、あるいは生まれ変わるための死者が漂っていたりすることもある。
三つの世は寄り添うようにして存在しており、時に混ざり合い、時に隔たれてただそこに在り続けた。

ある時、現世より一人の男が境目の世にやってきた。
その男は大変聡明で、好奇心と探求心があり、あらゆる分野について造詣が深かった。
ほんの偶然の揺らぎと歪みの影響で境目の世にやってきた男は、すぐにその世の虜になった。
まるで歴史そのもののような、神話のような、創作のような、生命の神秘と謎がそこにはありありと横たわっていた。夢中にならないはずがなかった。
男はその世を隅から隅まで調べ、撫で回し、ほじくって、啜って呑んで全てを自分のものにした。それが自分の血や肉になるまで、徹底的に。
そうして男は、一時の神となった。

男はその世であらゆるものを生み出すことができた。
世界の断片を集めては、積み上げ、形作って、動かし、運用することさえできた。
けれどそれは所詮、既に存在するものを元手とした捻出でしかなかった。自分の心や魂を千切って差し出すか、あるいは0.1を1へと拡張する作業でしかなかった。
ついには、0から1を生み出すことはできなかった。
そして、愚かな人間が生み出せるものには当然のように愚かさがついて回った。
男の悪意がその世に滲み出た。憎しみが、悔しさが、怒りが、悲しみが、やるせなさが。
例えば男がその世に連れてきたペットのインコは、男の悪意とまぐわい繁殖し、人間のような愚かな生き物として増産された。
あるいは、男が作った世界が存在し続けるために、元々その世に存在したものたちを喰らい尽くすペリカンのような化け物さえ生まれてしまった。

男はようやく気付いた。
己の造り上げた世界が、壊れつつあることに。壊れる定めのものしか造ることができなかった己に。
それでも男は、世界の造り方は知っていた。世界の造り方を知っていた。その知識さえあれば、何度だって造り直せるはずだった。
男は、自分の悪意の染み込んでいない世界の断片を探した。それさえあれば、悪意のない平和な世界が造れるはずだった。
だが、清らかな世界の断片をいくつか見つけた頃に、男の寿命が来てしまった。
新たな世界を造り始めるより先に、常世が世界の底から手を伸ばしてきてしまった。
男は思った。
本当に事切れてしまう前に、それよりも前に、世界の想像を受け継ぐ者を探すしかない。自分の血を引く、正統なる継承者を。

男は青サギを生み出した。
まるで呪いのように愚かで、珍妙で、そして愛さずにはいられないような醜い生き物だった。
青サギは境目の世から現世へ飛び出し、そして男の子孫である少年を連れて舞い戻ってきた。
今、境目の世に存在する全ての生者や死者や創造物を利用して構わなかった。世界の存続のために。何よりもそれが重要だった。
かくして男は子孫の少年と邂逅した。
男は言った。
私の後を継いで、新たな世界を創造しなさい。
そのための清らかな世界の断片は既にここにあり、世界の造り方は私が知っている。何も案ずることはない。私の言うとおりにするだけでいい。それで平和な世界を造ることができるんだ。

しかし、少年の答えはNOだった。
ただ与えられただけの、意志のない断片なんていらない。それで世界を造りたいとも思わない。
そもそも、自分が生きる世はここではない。自分は生者が生きる現世に帰り、そこで生きる。生きていく。
今あるこの世界がなくなっても、元々あった境目の世はなくならない。今まで通り、ただそこに在るだけだ。そういう存在に、戻るだけだ。

少年が現世に帰ろうとしたその時、愚かな創造物であるインコが唐突にガシャンと世界を壊した。
インコにはこの世界の尊さがわからなかったし、清らかな断片のありがたさもわからなかった。それらに価値を見出ださなかった。そこにあったのはただ、浅はかな自我だけだった。
結局、男の世界と男を壊したのは、男の創造物であり、かつての男の悪意であった。
世界を造るというのはそういうことだった。
世界が終わる瞬間というのは、呆気ないものだった。

その後、なんとか現世に帰り着いた子孫の少年がどうなったのかを、知るものはいない。
少年は、現世を生きていったのだろうか。そこで生者の友達を作り、幸せに暮らしたのだろうか。そうしてまた血を繋いだのだろうか。
ついに世界を創造することはなかったのだろうか。あるいは、与えられたものではなく、自分で得たものによって自分の世界を造ったのだろうか。
誰も知らない未来に続いていく。
これからも、脈々と。

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こう書くと、創造の難しさと産みの苦しみの話に見えるな。
女は命を産み生かし、男は世界を生み回す。
与えられたものだけを学び造れば、生まれ出づるのはただの墓石だ。
生きているものを正しく生むためには、他人から得た知識では足りない。己の経験が、己が今まで飲み込んだ全てのものが必要なのだ。
そしてその孤独な作業を成し遂げたとしても、生まれ出たそれが正しく幸福になるとは限らない。
正しさや幸福を、他者に押し付けることも、できない。

けれど、己の手を離れたそれは。
愚かで、我が儘で、時に奇跡のようなものを呼び、そして、想像を絶するほど美しいなにかを、孕むことがあるかもしれないのだ。

眞人は女によってその血を得た正統な命であり、男である故に世界を回すことができる存在、それすなわち『真実の人』である。
みたいな感じなのかなと思いました。
完全初見の一度観で書いた備忘録だから、もう一回観に行きたいな。
そしてみんなの感想と考察が聞きたい。

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