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私はどうして結婚しようと思ったのか?

という疑問が、突然降って湧いた。
他の記事で何度か触れているけれど、私はオムニセクシャルで、つまり同性を好きになることもあって、好きになった相手が同性だった場合は日本では結婚することは不可能で、そもそも私にとって結婚はただの「手続き」であり、自分の人生に必須のものではないという考えだった。

では、なぜ私は結婚を選んだのか?
好きになった相手が偶然男性だったから?
その相手に結婚願望があり、プロポーズをされたから?
別にしたくなかったけど世間体を考えて?
否、どれも違う。私は私の意志で、この人と結婚がしたいと思って結婚を決めた。

では何故、そんなふうに思ったのか?
ということについて、少し考えてみたいと思う。

理由①子供の頃、恋愛結婚に憧れていたから

別の記事でも書いたけれど、私は子供の頃、ものすごーく恋愛体質だった。
恋愛は幸せなもの、みたいなイメージが刷り込まれていたし、結婚はその幸福の行きつくところ、幸せなゴールだと思っていた。
私自身は幸福円満な家庭では育っていなかったのだが、だからこそ、自分だけの幸せな家庭が欲しかったし、「自分で選んだ特別な家族」というものを手に入れたい気持ちが強かった。

今でこそ、「結婚は法的手続きに過ぎない」「結婚は人生に必須のイベントではない」という感覚でいるが、幼少期にずっと抱いていた「好きな人と結婚すればきっと幸せになれるはず!」という盲目な信仰を、綺麗さっぱり消すことができたわけではない。
もちろん、今は「結婚すれば絶対に幸せになれる」というふうには全く思っていない。でも、やはりある意味で(ファンタジー的に)憧れがあったから、好きな人ができたときに、そしてその人が男性だった時に、「好きな人と結婚したい」という気持ちが芽生えた(再発した)のだと思う。

理由②生まれ育った家庭から離れたかったから

これも別の記事で触れているけれど、私はいわゆる「機能不全家庭」で育った人間で、肉親に対して憎しみに近い感情を抱いている。
詳細はこの記事では触れないが、私はとにかく、実家や両親と少しでも繋がりを感じる物事から距離を取りたかった。
20代半ばくらいでは精神的にも経済的にも完全に自立していたし、実家を出て一人暮らしをしていたから、無理にでも結婚したいという気持ちがあったわけではない。

ただ、私は、自分が親と同じ籍に入っていることが、たまらなく嫌だった。
私は母子家庭だったのだが、戸籍は父親のそれに紐づいたままで、すなわち私の戸籍は「父親、父親の再婚相手、腹違いの妹、私」という構成だったのだ。
それがとんでもなく、気持ち悪かった。
自分の苗字の字面や響きは好きだったが、親と同じ、親から引き継いだものだと思うと、捨てたくてたまらなかった。
関わりを示すものを、断ち切りたかった。他人ですみたいな顔ができるようになりたかった。

そういう理由があり、「親の籍を抜けられる」「苗字を変えることができる」というのが、私が結婚したいと思った理由の1つだと思う。

理由③生活面でメリットがあったから

これは私が言うところの「手続き」の部分。
つまり、結婚したら税金の支払い額がどうこう、という話であったり、お互いに何かあった際に、籍を入れていなければ法的な部分で相手に立ち入ることができないから、という話であったり。
あとは純粋に、一緒に暮らすようになれば純粋に生活費が浮くという考えもあった(結婚前の同棲はしていなかったので)。

このあたりは、「これからも2人で生きていく」ということを冷静に考えた時に、じゃあ籍は入れておいた方が不便は少ないよねという打算の部分である。

理由④好きな人の隣にいられる理由と約束が欲しかったから

なんだかんだ言ったが、これが一番大きな理由だと思う。
別に理由なんかなくたって、約束なんかしなくなって、死ぬまで一緒にいることはできると思う。
でも、結婚すれば、法的に(つまり第3者から見て完璧に)、「これは側にいることを誓い合った夫婦です」ということになれる。
あくまで法的な結びつきができたというだけなのだけれど、それでも、恋人同士という関係性よりは強い結びつきを感じることができるようになる。

私は好きな人を、逃がしたくなかったのかもしれない。
ずっと側にいてほしくて、それを「法的手続き」にしてしまえば、離れることは困難になって、ずっと私と一緒にいてくれるようになると思ったのかもしれない。
結婚する=相手を手に入れる、というのは浅はかな考えだと思うし、結婚したからといって配偶者が私のものになったわけでもない。
それでも私は、ぬかりなく、その人と「つがい」になりたかった。
誰もが認める、「ふたり」になりたかった。

そう考えると、私はあくまで結婚を「手続き」だと思っているけれど、世間的には(大多数にとっては)そうでないことをわかっているから、世間の目を利用して「特別な関係の2人です」という主張がしたかったのかもしれない。
ロマンス的な意味で、対外的にアピールがしたかったのかもしれない。

ある意味で独占欲だと思う。
配偶者に対する「好き」は、「愛が8割、恋が1割、冷静な打算が1割」みたいな感じなのだけれど、「結婚したい」という感情はこのうちの「恋」なんだろうなあと思う。
愛なら、別に、関係性に名前はいらなかった。
でも、恋だから。恋だったので。
他の人の入る余地がない、「特別なふたり」になりたかったのだ、きっと。

急に疑問に思ったことだったのだけれど、言語化したら、なんとなくしっくりきたりすっきりした。
一言で恋愛だとか結婚だとか言っても、私の中ではそれらは複数の要素を含んでいて。それがまさに「愛」と「恋」と「打算」なのだろうけれど。
私にとってそれらのことは、ロマンスでもあり、生活でもあり、自分自身の生き方や人生に直結するものでもあるんだろうな。

ちなみに、ここでいう「恋」の部分はこの記事で詳しく書いてるよ。
興味があったら読んでみてね。

愛の話は・・・したいとは思っている。
愛は私の人生のテーマだから、膨大過ぎて、どこから手を付けていいのかわからない感じなんだよね・・・。
ま、そのうちね。

ではでは、今回はこのへんで。

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