未熟な私は、艱難辛苦乗り越えて精進します

2024年令和6年5月皐月12日日曜日、爽やかな青空の風の強い日です。

去年、6月末に、山梨県原村で、偶然声をかけて頂いてから友人となった、素敵な女性がおられます。

彼女は、小雨降る中、レインコートと傘をさして、読者モデルの撮影しているのかと思う程のトータルコーディネートなさっておられました。

彼女のお召し物、持っているバック、傘など、ファッションコーディネートは、私の好きなテーストど真ん中でした。

印象的な大きな澄んだ瞳で、ゴージャスに微笑みながら、振り返りました。

私は、小川のせせらぎに耳を澄ませて、道に迷って、車椅子で、あちこち徘徊して、疲れたので、一休みしていました。

そこで、声をかけて下さいました。私は、高校同級生の住むところがわからなくなっていました。

そこで、道を尋ねましたら、彼女も、私の同級生とお知り合いでした。
そして、彼女の案内で、高校同級生のお家へ無事にたどり着きました。

そこから、彼女との有難いご縁を頂きました。

さて、私は、昨年夏、ちょううど、彼女と知り合った、直後から、自宅のお片付けをしています。
自宅の断捨離と、鼠の被害を、受けた、自宅のリノベーションも併せて行う方向です。

変な業者に、騙されたり、高額な見積もりされる事、等々、数回となりました。

精神的にも、肉体的にも疲労困憊していました。

元々、幼少期から、複数の難病と重篤な病を複数持ちながら、仕事をこなしてきました。
激務で、22時間労働が続いて、いた頃、約20年前に、交通事故受傷しました。また、一年後の足の再手術が、きっかけで、悪性新生物発見され、手術すると、リンパに転移していました。放射線治療後、化学療法開始したら、直後、アナフィラキシーショックで心停止し臨死体験2回目でした。
1回目は、青信号横断中のトラックに、跳ねられ、頭蓋骨11センチ割れまして、左膝潰されました。昏睡4日入院4ヶ月自宅療養2ヶ月でした。この事故直後の昏睡している間に1度目の臨死体験しました。

化学療法を規定回数こなしましたら、副反応で、喘息となり、リュウマチを発症しました。

会社への復職の条件が、電動車椅子通勤となりました。

ちょうど20年前に会社復職を実現しました。

そんなこんな、いろいろありました。

交通事故の直前に、親の家の隣に、自分で設計して、自宅を建てる為の地鎮祭行いました。

退院したら、エレベーター付いている、バリアフリーの自宅が、待っていました。
丁度、ITバブルの効果と、住宅財形を入社以来行っていた為、ローン無しで、それなりの自宅が、準備出来ていました。

そのような、経緯から、私は、難病、上肢下肢身体障がいもあり、車椅子利用者です。最近、原爆の子という立場にも認定されております。

行動に制限があります。

お片付けをお手伝いして下さる友人とは、健康健常な時からのお付き合いです。

こんなに重篤で、全身激痛で、倦怠感に苛まれていることは、私は、話しません。

私が、そのような話を聴かされたら、心配になり、寄り添うことが上手く出来ないと思うから、私の病状や肉体的な艱難辛苦には、ノーコメントというか、そこ以外で付き合ってきました。

日常生活を健康健常なお身体で過ごしておられる人には、想像しにくい状態です。

夢にも思っておられないと思います。

お身内の方で、そのような方が、おられるとまた、違うのでしょうね。

この断捨離で、多くの様々なお立場の方達とお知り合いになりました。

様々な価値観や能力、人格、品格、文化をお持ちなのだと、學ばせて頂きました。
次々押し寄せて来る、厳しく、辛い出来事は、魂磨きの、磨き砂ですね。過ぎてみて、振り返ると、どれ程有難い経験だったかと、感謝しかありません。

このような、辛く、耐え難い経験をさせて頂かないと、私の未熟さは、改善されて来なかったのでしょうね。

見えない存在の配慮に感謝します。

引き続き、みなさまのご支援の下、魂磨きを続け精進致します。

よろしくご指導ご鞭撻お願い申し上げます。





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