人間ドックで思うこと

2024年令和6年5月皐月3日、昨日は、東京荻窪に在ります、医療機関で人間ドック受診しました。
20年前にこちらの医療機関で乳癌の手術、術後の化学療法、副作用の喘息治療等でお世話になりました。10年経ちまして、一応寛解ということで、通院から遠退いておりました。その後、新病棟建設等、病院の建物や、施設等ずいぶん変化しておりました。

人間ドックの、後、虎の門にあります、医療機関へ移動しました。
荻窪の医療機関は、キリスト教の背景から出来た病院です。
人の魂をとても大切にして、人の命の尊厳に基づいた、医療行為をなさる医療機関です。

虎の門の医療機関は、高校入学直後、発症した、バセドウ氏病の治療がご縁となり、その後、約半世紀いろいろな経験を致しました。

東日本橋から、荻窪、虎の門、東日本橋の移動、物理的距離、費やした時間も約半日、
そんなわけで、肉体的にも、精神的にも、疲労困憊です。

何に、疲れるかと言いますと、初めて行く場所、久し振りに行く場所の、行き先案内表示が、不十分であることです。
元々、日本は、地下道や、駅、バス停等交通機関の案内表示が、不完全なことが、理解しにくい要因です。

海外特に、アメリカは、行き先表示が、適切で、誰かに道を尋ねることもなく、スマホない、時代に、マップひとつで、あちこち行くことが、出来ました。約30年前に、ハワイでグローバルビジネスを學び、ニューヨークでインターンシップしてました。(難病罹患中でしたが、当時は、歩く事、走る事などは得意でした。帰国後、交通事故受傷)

一方、日本では、東京駅ですら、行き方が解らないので、インフォメーションセンターや、案内担当者等に、お尋ね致します。

しかし、一部の方が、双方向でコミュニケーションが取れないことが問題なのです。

昭和の時代は、人の話を聴くことが、出来ていました。

今時の方は、キチンと人の話に耳を傾けることは、少ないです。
相槌打って、聴いてるような素振りを見せてはいます。
しかし残念な事に、自分の聴きたいように、話を聴いています。
自分都合で、話を理解しています。
こちらが、お尋ねしている事、

つまり、わたしの知りたい情報を、答えてくれることは、少ないです。

今は、情報量が多くて、耳からも、目からも、かなりの情報が、音や、画像等で、垂れ流されています。

目からの情報は、目を瞑れば、見なくてもすみます。

残念ながら、音、話については、耳を鬱ぐ事で遮断することは、難しいです。

物理的に耳を塞いでも、聴こえてしまいます。

人間の聴力には、気道、骨導という、音を聴く機能が2つあります。
気道は、耳を塞いで音を遮断出来ます。しかし、骨導は、骨を通じて聴こえてしまいます。
自分が本能的に聴きたくない、
という状況では、防衛本能として、大脳が、音をキャンセリングするようになります。

聴こえていても、大脳が、キャンセリングして、精神の安定、安心を生存本能として行っています。

難聴となる訳です。

このような、ロジックが、大脳で組み込まれてしまいます。この新たなロジックで、人の話は、雑音、扱いされて、真剣に耳を傾けることは、防衛本能として、しなくなります。

とても残念なことです。

人の話に耳を傾けることを拒否しているわけです。

そんなに嫌なら、案内係しない方が、その人の為になると考えます。

お互いのしあわせとなりますね。

働くとは、人の為に動くと書きます。
人の為に、動くことが嫌いなら、案内係は、楽しくないですね。

出来ないことは、出来ない。
好きではないことは、心から喜んでなさることは、難しいでしよう。

心穏やかに、清々しい心、笑顔で過ごしましょう。

エンジョイ!











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