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誰かと住む旅、第1回目カナダ編。

実家は宮崎。
23歳(だったかな?)にワーホリ行ってくるねー!
と初めて実家を出た。
急に思い立って、バイト掛け持ちしてお金を貯めて、両親にも、いついつからカナダ行くからーとだけ告げた。両親も好きにしなさーいって感じだったかな。

これまでお世話になりました、とか特に何もなく気がつけば独立、そのままずっと外で暮らしている。
(今でこそ一年に一回は帰ろうと心がけてるけど、以前は四年に一回のペースで帰ってたから親戚からオリンピックの人と言われてたw)
私達あっさりしてるけど、仲は良い。

カナダ生活のはじめは、一か月語学学校に通いながらホームステイ。そこの家も変わってたなぁ。

ホームステイも終わり、たまたま先にワーホリに来てた宮崎時代の友人とルールシェア。
正確には友人の友人の家に転がり込んだ。
友人の友人は長期不在でその間の留守番みたいな感じ。約一ヶ月ほど、ベッドはひとつ。
私は基本だらしなくマイペースなので、まあ怒られたよね。

バイト先も決め、さあいよいよ家探そうかなとなったとき、バイト先の人とシェアする事になった。
家は決まってない。

カナダに留学やら長期滞在する時は大体ルームシェア。家賃や高熱費など一人で払うの大変だし。
お相手はカナダ人、日本人、韓国人と様々。
大体テイクオーバーと言って電化製品や家具など何もかも揃っている所に引っ越すことが多い。まさに引き継ぎなのですぐ住める。

冷蔵庫とオーブンはついてるが家具も何もない部屋を契約した。
ある時、ルームメイトが家具を買いに行くと言って出かけた。
帰ってきたら、家具ではなく子犬を買ってきてた。

ペット禁止の部屋だった。

子犬と目があったらしい。
不可抗力だよね、わかる。

しばらくダンボールを家具にし、寝袋で暮らした。
何もないからw
犬はいるけど。

そのうち大家にバレてお引っ越し。
ルームメイトはそのまま帰国し、私は当時お付き合いしていたカナダ人の家に転がり込んだ。

彼はカナダでは珍しく一人暮らしだった。
一人暮らし用の部屋、当然私の部屋は無い。
棚一つが私のスペースだった。
あっそういえば黒猫も同居してたな。
気高くて可愛い猫だった。
お別れして数ヶ月で出てしまったけれど、リアルなカナダ人の生活が見られて良かった。

その後は一軒家のシェアハウス。
オーナーは日本人。
ベースメント(地下室)にはオーナーの娘が住んでいて、地上二部屋を人に貸していた。
ベットルームは各自の部屋、キッチンや居間は共有スペース。
ルームメイトは私と同い年の子、誕生日は同じ3月。
引っ越ししたのは3月ということもあり、すぐ共同お誕生日会をした。私はカナダに来て1年が経っていて、その子はワーホリでカナダに来たばかり。みんなでわーわー楽しかった。

ワーホリVISAは通常1年。
(今の制度は知らないが)
私はなぜか1年半VISAが降りていた。
(思えばワンダー)

お互いの友人同士も仲良くなり、ワチャワチャほんとに楽しかった。
騒ぎ過ぎてベースメントに住んでたオーナーの娘さんから苦情来たのも良い思い出。

その子は引っ越し、その後に日本から妙齢の夫婦が引っ越してきた。
老後、どの国に住むかを探してお試しでカナダに来たらしい。ご飯を作ってくれたり本当にお世話になった。
私はカナダ横断旅行に出発し、ほんの僅かな時間しか一緒にいなかったけれど、お選別に300ドルという大金をいただきビックリした。
ちょっと遠慮したら、
もうすぐ帰国するし、換金も面倒だから使って欲しいと言われ、遠慮なくいただいた。

旅は楽しかった。
(今回は旅のお話は割愛)

旅後、元ルームメイトの部屋に居候。

帰国。

帰国後、元ルームメイトの友人宅(大阪)にしばらくお世話になった。
ルームシェアしてる時、ルームメイトを訪ねて何日か家に滞在してくれたのがきっかけで仲良くなった。
大阪滞在中は友人の友人が遊びに来て、お好み焼きパーティーしてくれたり遊びに連れて行ってくれたりとかと楽しかった。

両親にサプライズで告知なく帰ろうとしたけど、
カードでお土産を買い、お金借りないといけなかったので連絡した。(ひどいねw)

宮崎に帰ったけれど、
すぐ出稼ぎに出た。

まだまだ誰かと住む旅は続く。


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