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【読書メモ】今週読んだ4冊



『幼馴染みが絶対に負けないラブコメ』二丸 修一


・タイトルの通り、幼馴染ヒロインが主人公の男を巡って「ポッと出の女」に勝つヘテロ(異性愛)ラノベ。
・タイトル勝ち。このタイトルを考えた瞬間、「売れるっ!」ってほくそ笑んだでしょ。
・主人公に何一つ取り柄がなくてもヒロインにモテるのが最近の異性愛ラノベのトレンドとお聞きしているけれど、本作の主人公は「元天才子役」という武器を持っている。それでも本作は売れているらしいので、「無条件モテモテが売れる」という風潮も一概には言えんな。
・これはラノベ全体に言えることだけど、男性読者の肩を抱いて「俺たち同志だよな? な?」と擦り寄ってくるようなホモソーシャルなノリが読んでいてややキツい。「クラスの美少女がグラビアに出ていたら、男なら興奮するしかないだろ!」というくだりがあったけど、人によるんじゃない?
・クラスの美少女を学校イチのイケメンに取られて悔しいので、主人公が学園祭で美少女を惚れ直させて見返してやる! という、なかなか逆恨みもいいところな出だし。しかし物語は意外な展開を見せて、美少女との関係性、そして幼馴染との絆にも変化があったり。
・メインキャラは5人。男性は主人公を含めて3人、女性は2人。ラブコメラノベには珍しく男のほうが多い。まあ、シリーズを重ねるごとに女が増えていくんだろうけど。
・初恋、そして復讐というテーマが大黒柱として物語の中央にデーンと構えているので、数か月後に「あの本、どんな話だっけ?」となった時にストーリーを思い出しやすい。
・たぶん、今後も最後には幼馴染が勝つ様式美のシリーズになるのかな。水戸黄門の印籠みたいに。そういう安心感ってあるよね。ものすごいスピードで疾走してどれだけ上下左右に激しく揺さぶられても、最後には元いた場所に戻ってこれるジェットコースターみたいに。


『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版』シェリー・ケーガン (著) 柴田 裕之 (訳)


・本書で語られるのは「死」そのもの。人間としての死との向き合い方とか、大切な人が死んだときの心の整理のつけ方とか、そういうお役立ち情報は一切載っていない。
・死とは悪いことなのか? という根本的な問いから本書は始まる。「私」が死んだあと、「私」は何も残らない。何も残らず、存在しないのなら良いも悪いという価値判断もできない。よって死は悪いこととは言えない。というなんとも理屈っぽい理屈から本書は始まる。
・「死後の生はあるか?」天国とか極楽とか、そういう概念を前提にした問い。これは言うなれば「生が尽きた後に生はあるか?」と言っているようなもの。料理を完食したあとにカラッポの皿を差して「まだ料理はあるか?」、映画のエンドロールが流れ終わって映画館が明るくなった時に「次は何のシーンがある?」と言っているようなもの。生が終わったのなら、次に生があるわけがない。
・「人間は物質的な”身体”と、非物質的な”魂”の二つで構成されている」という二元論と、「人間は物質的な”身体”のみで構成されている」という一元論の二つの論理があり、本書は一元論を採用している。
・魂の存在を否定する理由について説明する。たとえば病気の原因として「ウイルスが原因」と「悪霊が原因」という二つの説があるとする。一般的に前者が肯定されて後者は否定される。その理由は、悪霊を原因とすると医学的に様々な不都合が生じるから。ウイルス説を採用するのが最も科学的であり合理的である。ウイルスと悪霊、どちらも目には見えないのにウイルス説のほうを信じるのは、ウイルス説が否定されると医者や患者など困る人が大勢発生するからだ。
 さて、二元論において人間に宿るとされる”魂”。これも目には見えないものだが、これの存在が否定されたとして困る人が大勢出るだろうか? 答えはNOだ。だから一元論で問題なし。
・「そうと言いきれないとは言えない」みたいな難解な言い回しがよくある。どっちやねん。
・死が「悪いこと」とされているのは、今後の人生で起こるであろう素晴らしい人生体験を奪ってしまうから。これを「剥奪説」と呼ぶ。だけど、今後の人生が悪いことばかりだとしたら、死は良いものだと言えてしまう。要するに「死んだ方がマシ」ということ。これは否定しきれないだろう。
・人生の良し悪しは、快楽主義者によると「良いことと悪いことのトータル」で判断される。良いことより悪いことの方が多い人生なら、死んだ方がマシ、と言えてしまう。しかしそれならば、人生の「良いこと」を脳に電極を繋いで仮想体験でたらふく味わえばいいことになってしまう。しかし、客観的に見てそれが「良い人生」とは言えない。そのため、快楽主義者の主張には誤りがある。
・人間は血肉を持った機械だ。だけどタダの機械ではなく、「人を愛したり、ものを創造したり、計画を立てたりできる」機械。つまり人格を持った素晴らしい機械である。だけど、されど機械。死とは機械が壊れるだけのことなので、過度に恐れることはない。
・死は特別に恐れるようなことではない。みんな、今を大切にして有意義に生きよう! 855ページの本を一行に要約するとこうなる。


『死の壁』養老 孟司


・なぜ、死はいけないことなのか? それは、 死んだら元に戻せないから。「人類はロケットを作る事はできてもハエを作ることはできない。生き物を作り出すことなんて出来ないのだから、作り出せないものを壊す死や殺人はよくないこと」みたいな理論が展開される。なるほど。
・フィクション作品の死はどこか嘘くさい。たとえば、現実の死はゲームでショットガンで頭を吹き飛ばされた死体みたいにグロくはない。葬式で見る死体を見て「グロい」と思うことはないだろう。だからフィクションを読んで死を知ったような気になるのは間違っている。
・昔、死は今よりも身近だった。道を歩いていて死体が転がっているなんてよくあることだし、九相図という死体が腐敗して朽ちていく絵が描かれるぐらい、死は日常的なものだった。今では死体はすぐに火葬して、「生きている私たち」とは明確に線引きするようになった。
・本人にとって死は悪いものではなくても、友人親戚に心理的その他いろんな悪影響を与える。だから死は良くないものと言えるし、自殺はもっとよくない。


☆おすすめ!『安達としまむら』1巻 入間 人間


・Audibleで再読。朗読のトーンがラノベでありがちなテンション高めではなく、情緒系の一般文芸みたいな落ち着いた読み方なのがすっごく合ってる。
 あだしまの掛け合いと空気感が大事な作品なので、ちゃんと売りを生かした朗読作品に仕上がってる。朗読の「間」がすごく良い。
・日常系百合ラノベの鉄板にして金字塔。「女子高生ふたりが主人公で、会話や心理描写や空気感がめっちゃ良い百合ラノベが読みたい」なら迷わず買い。
・まだ安達がクール系だった時代。それも1巻の半分くらいで終了するけど。
・キミはもう、プロの朗読による「なんだばしゃあああ」を聞いたか?
・フィクション作品における高校生の連絡手段がまだ「メール」だった時代。今なら「ライン」である。
・読み返してみて思ったけど、あだしまやっぱり良いわぁ。女の子ふたりの空気感の密度が濃い。これを読んでいるアナタ、繰り返しになるけど今すぐ買おう。


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