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なぜ国立大附属小学校受験を目指したのか

昭和の末期、その一般に大きく開かれ過ぎた門戸に対して
『近畿で石を投げれば〇大生に当たる』と人々に揶揄された大学があった。

私は、そんな時代の〇〇大学商経学部卒業である。

対して妻は家庭の事情で高校進学が叶わず、公立中学校卒業が最終学歴である。

私の祖父は手広く小売業を展開していた関係で、自身や家族の体裁を取り繕うことに腐心していた。

彼には、家族を大学に行かせる財力があると世間に示すことだけが大事であったため、

それなりに裕福な家庭で育ちながらも、私たちは学習に対する意欲は低かった。

否、学習に取り組む環境が家庭内にできていなかった。

盆暮れ正月に親族が集まれば、まだ小さい孫たちに女遊びやオイチョカブの手ほどきをする阿呆な爺が家長ではさもありなんと思う。

対して妻は、ひとつ年上の兄の学費を捻出するため労働力として働かざるを得ない家庭環境にあった。

そのためスポーツ推薦で是非にと学校側から入学を切望されたにもかかわらず高校に進学することは叶わなかった。

世界を飛び回ってビジネスを展開するという幼き頃の夢であった職業には、この学歴では就けないと知るには、そう時間はかからなかった。

自分の将来に思いを馳せ、ささやかな夢を持つことすら叶わなかったのである。その無念は察するに余りある。

それから妻は、自分に子どもが出来たら、幼きころから共に学び合い、そして人生において夢をもつことの大切さを教えながら、

自分が得ることが出来なかった、整った学習環境を子どもに与え、職業選択の自由度を増してやりたいと望んだ。

私も、時代の流れと共に斜陽化してきた家業に不安を覚えながらも、次世代を生きる我が子には、

しっかりとした学習環境を与え、自分も共に学び成長したいと考えるようになった。

遊び人であった祖父を反面教師として学んだことは、その家庭特有の価値観を基に営まれる生活の積み重ねが人生を決めるということだ。

毎日、遊びや着飾ることばかり考えていた者たちが、それにふさわしい結末を迎えるのを何度か目の当たりにし、より一層その思いを強くした。

私たち夫婦は、日頃から子どもの教育方針についてよく話し合い、ふたりの意思の統一を図っていた。

しかし、これがなかなか難しい。私は自分の主張こそは、喧嘩も辞さぬつもりで、しっかりとやったが物事の決定は妻の一存に委ねた。

どちらかがサポート役に廻らなければ夫婦間の衝突は避けられないからだ。私は、子作りを開始する1年前に長年親しんだタバコと酒を止めた。

多かった会合や酒席も全て断り仕事が終われば真っすぐ家に帰った。毎日、友人からのコールが絶えなかった携帯電話の着信が

妻だけとなるには時間はかからなかった。夫婦間の会話も関西弁から標準語に変えた。テレビも情報番組以外は見ないようになった。

妻は、読み聞かせするための絵本や童謡集を大量に購入し、時間の許す限りお腹の中にいる子どもに読み、そして歌って聞かせた。

私も、妻が眠りにつく時には、子守唄代わりにそれらを読み、歌って聞かせた。夫婦ともに興味があった英会話学習にも取り組み始めた。

それらが胎児にどんな影響を与えたのかは知る由もない。ただ私たちは、生まれてくる子どものために新たな人間に生まれ変わる必要性を感じていたのだ。

早生まれは、その誕生月ゆえに実質的な学習期間が短くなるので、国立大学附属小学校の受験には不利だと

心無い人たちから何度も言われもしたが、幸いにも我が子は合格の割り印を得ることができた。望外の喜びとも感じるし、当り前の結果とも思う。

子どもが生まれる前から、ほぼ毎日、夫婦で勉学や体育に取り組み、それを習慣化した自負があるからだ。

仏教では、熏習は教育の基本とされ重要視されている。

「自分より、すぐれた人に日々接していると、
気がつかないうちに、自分自身も向上する。」という教えだ。

一番身近にいる親が子どもの手本となるべきなのだ。共に学び、そして多くの時間を共有することがお互いの成長の糧となる。

学習塾に任せ、頼み切っていては私たちの望みは叶わなかった。そう、合格の割り印を得るには家族が一丸となって取り組むことが肝要なのだ。

親が日常的にアニメを見たり漫画を読んだりゲームに興じれば、当然のごとく子どもの関心はそっちに流れていく。

しかし家族で取り組む勉学や体育は、就学前の子どもにとっては、それ以上に有意義で尚且つ楽しめるものだと思うが如何だろう。

社会生活を営む上での最小単位が家庭である。そこで子どもは生きるための術である生活力(自分の事は自分で行う力)を学ぶのだ。

先行き不透明な、この時代に子どもに何を伝え残すことが出来るのか?そう、変えるべきは親である私たちの意識と生活なのだ。

この項 終り

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