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18歳差のふたりの3年半

18歳差の彼との付き合いが3年半を超えた。だからといって、何かお祝いしたわけではない。3年半経つね、そうだね、だけだったけど、それで構わないのだ。
1年に1回の記念日、それぞれの誕生日、特別なのはそれだけで、あとは日常が流れていく。付き合いたてのときはクリスマスやバレンタインに何もしない、というのにちょっと不満があったりもしたが、3年半も経てば別にいいかなと思えてくる。周りに合わせてそうしなくても、私たちの関係がそれで変わることは多分ないと感じるから。
(クリスマスの雰囲気は好きなので友達と楽しんだりはしているが…)


3年半という月日は、付き合う、というカテゴリの中では長いほうだという。20歳まで恋人がいなかったからか、私はあまり短長の感覚がわかっていない。流石に5年経つとなると確かに長いとは感じるけど…。人間的に色々と未発達な時期の私と3年半一緒にいるというのは、なかなか大変だっただろうなとは思う。

小さい頃から、親にお前には常識がないと言われて育って来たけれど、親の指す常識というものが何かはわからないまま20歳になった。彼と付き合い始めてからその常識、のようなものがなんとなくわかったり、それを補うための対策を一緒に考えてもらえるようになった。
例えば、1つ1つの具体的な手順がわからないと作業することができないこととか。いわゆる「適当にやっておいて」が極端にできないのである。わかりやすい例として、ラーメンズのコントを1つ挙げておく。

2人があやとりをするシーンがあるのだが、片桐仁が小林賢太郎に手順を説明する際の悶え方に彼は共感するのだという。このような外的な例を提示されて初めて、私は自分がだいぶ面倒くさい奴だとわかった(コント自体は大変面白いので、ぜひ見ていただきたい…)。
いつも自分のことでいっぱいいっぱいなので、彼の苦労というものがわかっていなかった。ほんと、よく私と付き合ってるなあと思う。他にも、時間の管理が苦手とか、たまにパニックになってフリーズしてしまうとか、問題はこれだけではない。それらに対しても、カレンダーアプリを共有するとか、一旦落ち着かせるとか、もう本当に頭が上がらない。


私自身は親、特に父親のことが苦手だったが、彼いわく親も多分私の育て方がわからずに戸惑っていたのではないかとのこと。確かに今になって、何かあればフリーズするし、他人よりだいぶゆっくり動く一方で妙に強情で、そんなやつが第1子で生まれてきたら間違いなく大変だとは思う。そういうわけで、彼は恋人であると同時に先生、親のような存在だった。彼自身は、その発言に対して勘弁してくれと苦笑いしていたが。


こんな私たちが山あり谷ありで3年半を迎えた。この間に私は大学を卒業し、彼は40歳を過ぎた。結婚しないのかと聞かれることも度々あるけれど、子どもを授かることもないし、結婚する方が2人にとってのデメリットが大きそうなので多分私たちは結婚しない。
最近、僕は役目を終えたから、僕自身は寂しいけど君の人生にもう僕は必要ないんだよ、と彼は言う。確かに最初は私が大学にいる間だけ付き合うという話だったような気がするし、世間的な段階と照らし合わせると、もっと次のステップ、次の相手に行くのが良いのかもしれない。
しかし、付き合った期間が寂しさと好意を助長させ、今も私たちは一緒にいる。また、新しいことが何も無いわけではない。これまでにもお酒の飲み方、バイクの楽しさなどを教えてもらってきたが最近はキャンプにもついて行かせてもらっている。まだまだ新しく一緒に楽しめることはきっとたくさんある。



どんなひとにも別れは必ず来るもので、価値観の相違か死別かわからないけど私たちにもいつか別れる日が来る。
ただ、例え私がひとりになったとしても、私の言動の節々に彼の影響が顔を覗かせるだろう。それは料理の味付けかもしれないし、見ている動画の傾向かもしれない。また、使う語句の種類かもしれないし、服の好みかもしれない。この先、誰か他のひとと付き合ったとしても、彼は私の一部であり続ける。同様に、彼が付き合ってきた元彼女たちも彼の一部なのだろう。

3年半経って、その事実に嫉妬しないくらいには、私も大人になれたのかもしれない。

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